公園内にある、東照宮第一売店。この店好きなんですよ。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・17mm(35mm判換算34mm)で撮影・絞りF5.6・1/60秒・ISO400・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
通称上野のお山、上野公園にはかなりの頻度で足を運んでいる。ここは不特定多数の人たちが行きかっている。大勢の人が集まるところには必ずいい被写体が転がっている――そう思っているんですがね。
慶応4年、彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戊辰戦争のひとつとして上野戦争がこのお山で起こった。
明治元年(1868年)の戦闘で寛永寺のほとんどが焼けてしまい、そこで寛永寺の土地は官有地となり、大正13年(1924年)に東京市へと恩賜されて公園となった。そのため、正式名称を上野恩賜公園という。ちなみに恩賜とは、天皇から賜ったもののことを言う。
約53万平方メートルの広大な敷地には、博物館、美術館などの文化施設が点在するアカデミックな公園と言えよう。そして忘れていけないのは、やっぱり上野動物園ですね。しかしどこの行楽地、歓楽街でもそうだが、昨今、外国からのお客さんがわんさかであり、上野のお山も例外ではない。
文化施設が点在と書いたが、敷地内には他にも記念碑や銅像がまばらに散らばっている。しかしその多くが人々の関心事から外れている。つまり素通りされる運命にあり、興味の対象から遠ざかっている。そこで今回は公園内で見つけた、世間の人の興味の対象から遠ざかっている物を紹介しようと思う。
まずは西郷隆盛の銅像。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・25mm(35mm判換算50mm)で撮影・絞りF5.6・1/200秒・ISO200・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
これは上野公園内では最も有名であろう。明治31年(1898年)12月18日に除幕式が行なわれた。多くの観光客が銅像を入れ込んで記念撮影をしている。西郷は明治維新の指導者で、幕府征討軍参謀指導者である。銅像の作者は高村光雲なのだが、連れている犬のツンの作者は高村ではなく、後藤貞行である。
その直ぐ後ろにあるのが、彰義隊の墓所である。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・19mm(35mm判換算38mm)で撮影・絞りF5.6・1/60秒・ISO800・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
彰義隊とは、鳥羽・伏見の戦いに敗れ、東叡山寛永寺に謹慎となった15代将軍慶喜を守るために結成された部隊であるが、新政府軍の最新鋭の砲撃隊らを前に、彰義隊はたった1日で壊滅してしまった。
お次はやはり近くにある、日本に初めて百済(くだら)から漢字と儒教を伝えたとされる王仁博士記念碑である。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・25mm(35mm判換算50mm)で撮影・絞りF5.6・1/60秒・ISO1000・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
この人物が何者なのかよく分からないのだが、あたしは王仁博士を「おうにんはかせ」と読んでいた。みなさんは読めますか? 王仁博士は、「わにはかせ」と読むんですって。これは読めませんよね。
写真は、天海僧正毛髪塔である。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・14mm(35mm判換算28mm)で撮影・絞りF5.6・1/60秒・ISO320・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の大僧正ということらしいのだが、あたしゃこちらもよく分からない。天海僧正の毛髪を治めた宝塔で、慶安5年(1652年)に弟子の義海によって建立されましたとある。この毛髪塔の前は何回も通っているのだが、全く気が付かなかった。
時忘れじの塔。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・20mm(35mm判換算40mm)で撮影・絞りF5.6・1/60秒・ISO200・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
昭和20年(1945年)の東京大空襲の犠牲者を悼む慰霊碑で、平成17年(2005年)に海老名香葉子さん(故・先代林家三平の夫人)によってこの場所に建立された。
上野大仏は元々、江戸時代初期に建立されたのだが、大正12年(1923年)の関東大震災で頭部が落下してしまった。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・14mm(35mm判換算28mm)で撮影・絞りF5.6・1/60秒・ISO640・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
本来の像は、高さ約6メートルの釈迦如来坐像だったという(写真が飾られている)。震災後、頭部と胴体は再建に備えて上野寛永寺に保管されていたが、第二次世界大戦中の金属供出で顔面部だけが残った。顔面だけの大仏様は「これ以上落ちない」という意味で、「合格大仏」と呼ばれている。
お化け灯籠(とうろう)は、佐久間勝之が寛永8年(1631年)に奉納したもの。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・17mm(35mm判換算34mm)で撮影・絞りF5.6・1/60秒・ISO640・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
名前の由来は、高さが6m以上もあり、お化けのように大きいから付けられたとある。しかし今まで、地震等で倒れることはなかったということだろうか? 関東大震災でも大丈夫だったのか? 大仏様だって頭部が落ちたんですよ。
グラント将軍記念植樹碑。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・17mm(35mm判換算34mm)で撮影・絞りF5.6・1/60秒・ISO500・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
グラント将軍は南北戦争に従軍して戦功を重ね、のちに総司令官となって北軍を勝利に導いた人物である。明治2年(1869年)年に第18代アメリカ合衆国大統領となり、引退後家族同伴で世界を周遊し、日本にも来日している。明治12年(1879年)8月25日、開園してから間もない上野公園で大歓迎会が開催され、その記念として将軍が植樹した。
それから50年後、木は立派に成長したが、50年の経緯でこれらの木の由来を知る人も少なくなり、来訪50年記念を含め、植樹の由来を忘れないようにと、昭和4年(1929年)年8月、ここに記念碑が建設された。グラント将軍本人は知らないんでしょうな。50年後ですから、もう故人か。
お次の立派な銅像は、小松宮彰仁親王の騎馬像である。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・32mm(35mm判換算64mm)で撮影・絞りF5.6・1/250秒・ISO200・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
これは明治維新の功労者の一人で、会津征討の総督に任じられ、日本赤十字社にも貢献した、皇族の伏見宮邦家親王の第8王子「小松宮彰仁親王」の像です。
ラジオ体操は1928年に制定されたとある。ラジオ体操制定50周年を記念して、公園のラジオ体操広場に東京都郵政局により「ブロンズ像」が建設された。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・18mm(35mm判換算36mm)で撮影・絞りF5.6・1/100秒・ISO200・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
それを記念してこの場所でラジオ体操大会が行われたということである。
野口英世像。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・25mm(35mm判換算50mm)で撮影・絞りF4.6・1/60秒・ISO400・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
伝えられるところによれば、1947年に北里研究所や日本医師会が中心となって野口英世をたたえる記念像の制作計画がもちあがった。当初の希望案としては、設置場所は 皇居前か日比谷公園だったようである。しかし許可が下りなかったのか、最終的に上野公園に落ち着いたとのことである。
ボードワン博士は、上野公園を日本最初の公園に指定した人物で、名実ともに「公園生みの親」とも呼ばれている。
OLYMPUS PEN-F・M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ・20mm(35mm判換算40mm)で撮影・絞りF4.5・1/60秒・ISO500・JPEG[撮影日 2024年10月14日]
博士はオランダの一等軍医で、長崎医学校に教官として所属していた。明治4年(1871年)に、まだ日本に公園という言葉がなかった時代に、明治政府に上野の山を近代的な公園に整備することを提言した。この提言が、上野公園が日本最初の公園に指定されるきっかけとなったそうである。
しかしこうしたものというのは、作ってしまえば安心とばかりに、あまり行事などの対象にはならない。したがって、人々の興味も薄い。作って人たちは意義を持って作ったはずであるが、その意義は悲しいかな、遠ざかってしまっている。
◉今回の上野公園へのお供は……
OLYMPUS PEN-F+M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ
撮影日は、2024年10月14日
- ●CD発売情報
- なぎら健壱 CD ALBUM
- 「あれからずっと…」ROOTS-015
「ぐるり万年床~あれから50執念~」 ROOTS-016
全国CDショップにて発売中!& デジタル音源配信中!- ●なぎら健壱 写真集発売中
- タイトル : 「Tokyo In a Moment」
- 価格 : ¥2,200 (税込)
- ●LIVE SCHEDULE
- 10/26土曜日 吉祥寺マンダラ2
- 11/2土曜日 カメリアホール コンサート
- 11/15 金曜日 京都磔磔
- 11/16 土曜日 松阪M’AXA
- 11/17 日曜日 名古屋TOKUZO
- 11/30土曜日 吉祥寺マンダラ2
- 12/6 金曜日& 12/7 土曜日 静岡 風の街
- 12/14 土曜日 横浜サムズアップ
- 12/21 土曜日 大岡山GOODSTOCK TOKYO
- 12/28 土曜日 吉祥寺マンダラ2
- ※TOTAL INFO : http://roots-rec.s2.weblife.me/index.html
1952年、東京生まれ。70年、アルバム『万年床』で、フォークシンガーとしてメジャーデビュー。以後ラジオパーソナリティー、俳優、エッセイスト、タレントとして活躍。写真やカメラにも造詣が深く、写真家の顔も持っている。『町の残像』(日本カメラ社)など著書も多数ある。
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