top コラムなぎら健壱の「遠ざかる町」第11回 かつてここは川だった

なぎら健壱の「遠ざかる町」

第11回 かつてここは川だった

2023/01/20
なぎら健壱

築地川跡・現 首都高速1号羽田線(東京都中央区/2023年1月17日)


築地川の水が抜かれ、工事が始まったのはあたしが小学校2年の時である。工事とは首都高速1号羽田線の竣工で、東京オリンピックへのお客さんを円滑に羽田から運ぶ目的があった。築地川はその一部ということで、①の写真は祝橋から新橋方面を見たものであり、正面には旧・新橋演舞場があった。その頃あたしは、築地川にほど近い東銀座(現・銀座2丁目)に住んでいた。

 

① 首都高速1号羽田線。正面が新橋演舞場で、左の白と茶のビルが東劇(東京劇場)である。
Panasonic LUMIX S5・SIGMA 16-28mm F2.8 DG DN | Contemporary・23mmで撮影・絞りF6.3・1/80秒・ISO100・+0.3EV補正・RAW

 

その側で生まれた演出家のM・A氏が、ある雑誌で「子供の頃には築地川に貸しボート屋があり、川でボート遊びする人が大勢いた」というようなことを言っていたが、その人物は昭和33年の生まれである。ということは、物心ついた頃には、川はとっくに埋め立てられていたということである。しかもその頃の築地川は汚染がひどく、メタンガスがプクプク出ていて、尋常な臭いではなかった。確かに今の東劇の前に貸しボート屋はあったが、まずボート遊びなどしている人間はいなかった。きっと家族か誰かの記憶の受け売りであろうと思われるが、自分の言葉も演出してしまったのであろう(②)。

 

近寄った写真だが、右手が首都高銀座出口、東劇の下に貸しボート乗り場があった。
Panasonic LUMIX S5・SIGMA 16-28mm F2.8 DG DN | Contemporary・16mmで撮影・絞りF6.3・1/160秒・ISO100・-0.3EV補正・RAW

 

水が堰き止められ抜かれると、泥ともヘドロとも付かない川底が現われた。日を追ってそれが乾いてくると、だんだん亀裂が出来てきた。その上を歩けるんじゃないか? 勇気ある年長の子が、その上にゆっくりと下りた(川に下りる石の階段があった)。その子が「大丈夫だよ」と声を発すると、何人かが後に続いた――あたしもその一人であったが、臭いがかなりキツかった。「おお~歩けるよ」そう言いながら固まった泥の上を歩いた。するとまだ下の方が乾いていないのだろう、亀裂の入った泥の表面がボヨ~ン、ボヨ~ンと波を打つように揺れるのである。身体を上下させると、さらに表面が大きくユラユラと波打つように動くのである。今考えてもよくそんなことをやったと思う。昨今なら柵や塀でもって囲われ、立ち入り禁止になるであろうと思われるが、警備員の一人もいなかった。


日曜日だと記憶しているが、遊んでしばらくした頃、思わぬことが起こった。あたしより年下の、多分幼稚園の年長ぐらいの女の子が、階段の中程から勢いをつけて川底に飛び降りたのである。するとズボッと腰あたりまではまってしまった。と同時のその子は泣き始めた。子供達はみな凍り付いてしまったが、我々にはどうすることもできない。急に怖くなりみんなは階段に向かった。そこまでは鮮明に覚えているのだが、不思議なことにその先のことは覚えていない。あの女の子はどうしたんだろう?(③)。

 

③ 亀井橋を見ているが、右手の石垣は川があった時代のものである。こうした場所に、所々川底に下りる階段があった。
RICOH GR Ⅲx・26.1mm(35mm判換算40mm)で撮影・絞りF5.6・1/200秒・ISO200・RAW

 

後に下の方まで乾いていったのか、だんだん揺れが少なくなって、みなが遊ばなくなった頃、本格的な工事が始まった。
そういえば中央区役所前、新富町駅(東京メトロ有楽町線)から徒歩1分ほどのところに、三吉橋なる橋がある。かつての築地川と楓川を結ぶ川がT字となった地点に作られた、三方向にかかる珍しい橋(三股型単純鋼板桁橋)である。関東大震災後の復興計画の一環として、昭和4年(1929年)に架けられたとある(④)。

 

④これが三股の三吉橋である。
Panasonic LUMIX S5・SIGMA 16-28mm F2.8 DG DN | Contemporary・16mmで撮影・絞りF6.3・1/125秒・ISO100・RAW

 

その昔、この橋の側に係留させた船で生活をしている水上生活者(船上生活者)がいた。舟運や港湾物流が盛んであった時代で、何やら船を使って仕事をしていたのだろう。あるいは廃船を住宅として利用していたとも聞いた(⑤)。

 

今は遮音のための屋根があるが、この岸に水上生活者の船が接岸されていた。

RICOH GR Ⅲx・26.1mm(35mm判換算40mm)で撮影・絞りF5.6・1/50秒・ISO100・RAW

 

接岸された船では、住民は渡り板で陸地とを往き来していた。水路が多かった中央区に多く見られ、一時はなんと1万人近くの水上生活者がいたそうで、子供達も船から学校に通っていた。


60年代後半になると水上生活者も激減し、80年代にはほぼ見られなくなった。首都高速の工事で、築地川のあの水上生活者達はどこへ行ったのであろう。水上生活者も死語になりつつあるが、この高速道路が川だったことを知る人も、今や少なくなったのではなかろうか(⑥)(⑦)。

 

築地川は堰き止められたが、その先の楓川は長い間どこにもいけない水が淀んでいた。今は首都高新富町の出口であるが、両脇は未だ整備されていない。
RICOH GR Ⅲx・26.1mm(35mm判換算40mm)で撮影・絞りF5.6・1/200秒・RAW

 

行き止まりだったここにも長い間逃げ場を失った水があったが、今は公園であり、支流の川も緑道になっている。
Panasonic LUMIX S5・SIGMA 16-28mm F2.8 DG DN | Contemporary・17mmで撮影・絞りF6.3・1/125秒・ISO100・RAW

 

  • ●CD発売情報
  • なぎら健壱 レコードデビュー50執念記念ALBUM
    「ぐるり万年床~あれから50執念~」 ROOTS-016
    全国CDショップにて発売中!& デジタル音源配信中!
  •  
  • ●書籍発売情報
  • 『アロハで酒場へ ~なぎら式70歳から始める「年不相応」生活のススメ~』
    10/20発売・判型四六判・1,815円(税込)・双葉社
  •  
  • ●LIVE SCHEDULE
  • ・1/28(土) 吉祥寺マンダラ2
  • ・3/11(土) 横浜サムズアップ
  •  
  • ※「なぎらチャンネル」
  • https://www.youtube.com/channel/UCFCz3lDO-hXCb1NnVwTsgpA
  • ※TOTAL INFO : http://roots-rec.s2.weblife.me/index.html

 

 

Profile

なぎら健壱

1952年、東京生まれ。70年、アルバム『万年床』で、フォークシンガーとしてメジャーデビュー。以後ラジオパーソナリティー、俳優、エッセイスト、タレントとして活躍。写真やカメラにも造詣が深く、写真家の顔も持っている。『町の残像』(日本カメラ社)など著書も多数ある。

 

関連記事

PCT Members

PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。

特典1「Photo & Culture, Tokyo」最新の更新情報や、ニュースなどをお届けメールマガジンのお届け
特典2書籍、写真グッズなど会員限定の読者プレゼントを実施会員限定プレゼント
今後もさらに充実したサービスを拡充予定! PCT Membersに登録する