日本カメラ博物館は東京 半蔵門駅すぐそばです。この看板の脇の階段を下ります。
わたしは戦争報道写真家の映画がとても好きで、コラムでも度々紹介してきました。「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」もそうですし、「シビル・ウォー アメリカ最後の日」もそう、どうしてこんなに好きなのかと言うと、若いころに見た「地雷を踏んだらサヨウナラ」五十嵐匠監督(1999年公開)にきっかけがあります。そこで“一ノ瀬泰造”の名を知ったのです。いや、一ノ瀬泰造役の浅野忠信がたいそうかっこよかったという理由じゃないですよ。戦争報道写真家は、なぜ危険な戦場に行って、命をかけてまで写真を撮りたいと思うのだろう、という素朴な疑問を持ったのです。
筆者がすっかりはまった「地雷を踏んだらサヨウナラ」五十嵐匠監督(1999年公開)
今回、日本カメラ博物館で行われる、「沢田教一と一ノ瀬泰造」展は、彼らはこんな写真を撮っていました・こんな機材を使っていました、という単なる事実の羅列ではなくて、沢田教一と一ノ瀬泰造がどんな人間だったか、というところまでもう一歩踏み込んでいるようで、たいへん見ごたえがありました。図録は大ボリュームの48ページ、プリントの美しさにも息をのみます。
大ボリュームの図録ですが読みごたえがあり、強くお勧めします。(1800円)
上から見てもこの厚さ。
図録の内容をほんの少しだけ。このように、一部、採用された写真以外のネガも見ることができます。
彼らの情報なら、もうネット越しで知っているよ――という人にこそぜひ勧めたいです。遺されたさまざまな遺品や写真の、実物そのものの重みは、実際に日本カメラ博物館を訪れ、目の前で見てこそです。
沢田教一、1936年(昭和11年)青森生まれ、ベトナム戦争で、川を泳いで逃げるベトナム人家族を撮影した「安全への逃避」はあまりにも有名なため、誰もが一度は見たことがある写真ではないでしょうか。1966年に日本人で二人目のピュリッツァー賞を受賞、同年「泥まみれの死」「敵を連れて」が第十回世界報道写真展で一位と二位を獲るという、日本を代表する報道写真家です。
沢田教一愛用のライカM2。今回、初見の人の感動を損なわないため、機材の写真を多くこのコラムで紹介していますが、機材以外の所持品もとても興味深いので、ぜひご覧になっていただきたい。
その彼がプノンペンで銃撃され死亡したのがわずか34歳の時だった、と知って静かな気持ちになります。彼の遺した膨大な写真やフィルムは、2019年に日本カメラ博物館に委譲されることになりました。沢田教一が何に興味を持ち、写真家としてどう進んでいったのか、遺されたフィルムでは、どのコマを採用し、どのコマを選ばなかったのか、そこも興味深く。
わたしが特に見入ったのは、サタ夫人に宛てられた直筆の手紙です。書き損じ、付け足し、全体の字の雰囲気、夫人を気遣う優しさもあり、仕事への野心もちらりと見られます。最後の手紙となった手紙も展示してあって、わたしは息をのみました。(この手紙を書いているときには、自分の運命は知るよしもなかったのだな……)と。歴史年表だけでは伝わらない部分を、この展示では見ることができます。
一ノ瀬泰造、1947年(昭和22年)佐賀県生まれ、日本大学芸術学部卒業後、UPI通信社東京支局に勤務。1971年に退社後、ベトナム行きの資金を貯めて、まずは1972年にバングラデシュへ。共産軍側の根拠地となっていたアンコールワットへの一番乗りを目指す。その後ベトナムへ。同年、「安全へのダイブ」でUPI月間賞を受賞。
一ノ瀬泰造の被弾したニコンF。銃撃の恐ろしさとニコンの堅牢さに驚きます。
1973年、26歳の誕生日を迎えたころ単身アンコールワットへ潜入、消息を絶つ。友人への手紙には「地雷を踏んだらサヨウナラ」と示してあった。
オープニングセレモニーでは、一ノ瀬泰造の姪にあたる永渕教子氏が挨拶をし、その中で、一ノ瀬泰造が戦争報道写真家として活動していたのは二年間だった、と話されていたのが印象的でした。
オープニングでは日本カメラ博物館館長、櫻井龍子氏と、一ノ瀬泰造の実の姪でもあり、一ノ瀬泰造アーカイブの代表でもある永渕教子氏の挨拶がありました。
アンコールワットで一ノ瀬泰造が行方不明となり、亡くなったとわかるまでには9年間の空白がありました。わたしも子を持つ親として、その間のご家族の心情を思うと心が痛みます。行方不明期間中である1977年には、彼の遺したフィルムがすべて両親のもとに届けられたそう。その後、辛い中、ご両親がどう動かれたかは図録に詳しいのでぜひ読んでいただきたい。今、私たちが一ノ瀬泰造という報道写真家を知ることのできる理由もそこにあります。
一ノ瀬泰造の愛用のニコマートFTNとニコンF。ニコンファンもぜひ。
彼もまた、写真家として何に興味を持ち、どんな被写体を追っていたかが展示で丁寧に描かれます。ボクシングの社会人ライト級で優勝していたとは知りませんでした。その自作写真集の美しさ、黒の深みはぜひ日本カメラ博物館で見てほしい。報道写真家ではなく、スポーツ写真家として有名になる未来もあったのではないかと思うほどです。
一ノ瀬泰造は、1970年12月に開催されていた沢田教一写真展を訪れ、写真展会場の様子を写真に残しています。翌年1971年にはUPI通信社東京支局を退社し、ベトナム行きを目指すようになったという事実と照らし合わせると、その沢田教一写真展が、どれほど彼に影響を与えたのだろう、と想像できます。
沢田教一が所持していた、戦場カメラとしてのローライフレックス2.8C。
わたしは、「地雷を踏んだらサヨウナラ」の直筆(展示はコピー)を目の当たりにして震えました。ぜひ皆さんに見ていただきたいので写真はありません。
9月30日から10月26日までは、――報道写真家 沢田教一のまなざし――「戦火を生きる人々」
10月28日から11月30日まで、 ――戦場を駆けた写真家 一ノ瀬泰造――「もうみんな家に帰ろー!」
沢田教一・一ノ瀬泰造ふたりの写真展がそれぞれ、日本カメラ博物館のすぐ隣にあるJCIIフォトサロンで開かれます。そちらも併せてぜひ。
- ■日本カメラ博物館 特別展「沢田教一と一ノ瀬泰造」
- 開催期間:2025年9月30日(火)~2026年2月1日(日)
- 展示点数 写真:沢田、一ノ瀬それぞれ約25点 その他資料:約50点を予定
- ■JCIIフォトサロン
- 9月30日(火)~10月26日(日)
—報道写真家 沢田教一のまなざし— 「戦渦を生きる人々」- 10月28日(火)~11月30日(日)
—戦場を駆けた写真家 一ノ瀬泰造— 「もうみんな家に帰ろー!」- 開館時間:10:00~17:00
- 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日の火曜日)、年末年始 12/27(土)~1/4(日)(年始は1/5(月)から開館)
- 入館料:一般 300 円、中学生以下 無料、団体割引(10名以上)一般 200 円
- 住所:〒102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCIIビル
- TEL:03-3263-7110
https://www.jcii-cameramuseum.jp/news/2025/08/19/37488/
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