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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第22回  AFカメラの時代にレンズに起きたこと (4)

2024/12/03
佐藤成夫

90年代半ば以降、中上級一眼レフは万人向けに最も多機能で便利なカメラという立ち位置から写真趣味者のためのカメラという立ち位置へと変化していった。これに伴って、レンズもまたそれに寄り添うように変化していった。しかし、21世紀を迎える頃になるとさらに大きなうねりであるカメラ自体のデジタル化の動きに飲まれていくことになった。というわけで、今回は90年代半ばからデジタルまでにレンズで起きたことについて述べていこう。

 

さて、AF一眼レフ戦争の開始から各社3〜4世代ほどモデルチェンジを重ねた90年代半ばになると、ボディ内モーターかレンズ内モーターのどちらが良いのかという議論に関してはある程度着地点が見えてきた。AF一眼レフが世の中に登場した当初の頃ならともかく、この時点の技術で新規にマウントを作るのであればレンズ内モーターのデメリットはもはやほとんどなくなっていたし、また既存のボディ内モーター陣営にあってもAF速度が特に求められる(反面大きさ重さコストの制限は比較的緩い)望遠レンズであればレンズ内モーター化するメリットが生まれてくる、といった辺りが明らかになったきたわけである。

 

現に、レンズ内に何らかのモーターを搭載しても外形や重量の面で大きなデメリットにならなくなったというのは、前回述べた各社の電動ズームレンズでも明らかになっていた。ということはつまり、レンズ内モーター化に限りなく近いところまで来ていたとも言えるわけである。

 

ボディ内モーター陣営の中でも特にプロ向けのニーズが多いニコンにおいては、実は一部の超望遠レンズに限りレンズ内モーター化を早期から模索していた。その第一歩となるのが1992年から1994年にかけて発売されたAF-Iシリーズのレンズである。これらのレンズはコアレスモーターを内蔵することでボディ内モーターを基本とするシステムでありながらレンズ内モーター化を果たしていた。とはいえ、ラインナップされたのは主にプロ向けとされる大口径単焦点望遠レンズの4本きりであり、これは全体からみれば極めて限定的な動きに過ぎなかったし、大多数のアマチュアユーザーにとっては無関係の話であった。

 

ただ、ボディ編でも述べたようにシグマは1993年に新規にAF一眼レフ市場に参入するにあたって完全電子マウント(レンズ内モーター)であるSAマウントを策定したし、同様にボディ内モーターの盟主であったはずのミノルタは1996年のAPSシステム展開時にはレンズ内モーターのVマウントを擁してVectisシリーズとして(αとは別のラインで)展開したり、同様に2000年発売のコンタックスNシリーズも完全電子マウントであった。つまり、互換性に縛られないのであれば、もはやレンズ内モーター化及び完全電子マウント化は必須のものとなっていったのである。

 

ただし、そうは言ってもボディ内モーター陣営にはこれまで築き上げたボディ内モーター機とレンズのラインナップがある。とまぁ、時には資産が自らの足を引っ張ることがあるというのはまるでAF一眼レフ初期の頃を見ているようだが、ここでも歴史は繰り返すのである。こうした事情を抱えながら、ボディ内モーター陣営は段階的にレンズ内モーター化を推し進めることとなった。そして、このレンズ内モーター化というのは各社共に超音波モーターの搭載がセットでもあった。

 

このような動きの結果、ニコンはSWM(AF-S)、ミノルタはSSMとしてレンズ内モーター化と超音波モーター化を果たし、またシグマは独自にHSMとしてニコンボディで動作する超音波モーターレンズを作り上げた。フィルム時代に間に合ったのはここまでで、ペンタックスのレンズ内モーター化・超音波モーター搭載はデジタル時代までお預けとなったがこちらもデジタル化後には対応を果たしている。

 

そしてさらに時は進みデジタル一眼レフの戦争も概ね終わりを告げた現在では(AF化でマウントを変更することのなかった)ニコン、ペンタックスともに現行最新の仕様では絞りの電動化を含めた完全電子マウントとなっているというのが面白いところだ。このように、現代では当たり前となった仕様が段々各メーカーに取り込まれていったのが90年代半ば以降だったと言っていいのではないだろうか。

 

そういった意味では、現代では当たり前ながらこの時期に初めて登場したテクノロジーに手ぶれ補正がある。現在デジタルでは補正方式の違いはあれどほぼ標準装備となった感もある機能だが、その始まりはフィルム時代まで遡るのである。なお一眼レフ用交換レンズで初めて手ぶれ補正を搭載したのは、1995年発売のキヤノン EF 75-300mm F4-5.6 IS USMであった。
 
[EF 75-300mm F4-5.6 IS USM 手ぶれ補正付きレンズはここから始まった]

 

ここで一つ面白い対比がある。フィルムカメラにおける手ぶれ補正機構の実用化は一眼レフの二大メーカーであるキヤノンとニコンでほぼ同時期に行われたのだが、そのアプローチというか、最初に出てきた製品は全く異なっていた。

 

フィルムカメラへの手ぶれ補正搭載という意味で先行したのはニコンであった。だが、ニコンが初めて手ぶれ補正を搭載したのは一眼レフではなく、コンパクトカメラ(1994年 ZOOM 700VR QD)だったのである。このセレクトは、おそらく手ぶれに悩まされているユーザーはぶれ防止の方策を熟知している一眼レフユーザーよりもコンパクトカメラの方に多いと考えていたからではないかと思われる。これはおそらくその通りで、理屈の上では全く正しい姿勢である。

 

しかし、コンパクトカメラに手ぶれ補正を搭載した場合一つ大きな問題がある。それは効果のありがたみがユーザーから見てほとんど分からないという点である。デジタルカメラ以降はライブビューがスルー画で出るため手ぶれ補正の効き具合は誰でも実感出来るものとなったが、ファインダーと撮像側が別々のフィルムコンパクト時代にそれを体感する術はなかった。もちろん撮影した写真はブレが止まっているかもしれないが、これはユーザーの撮り方が良かったのか、それとも手ぶれ補正が助けてくれたのかは正直判別のしようがないのだ。そしてそれ以外にも、手ぶれ補正機構を搭載する為にカメラ自体が大きく重く高価になったことも普及の妨げになったようだ。

 

その一方で、一眼レフ用レンズであればスイッチのオンオフによってまずファインダー像が安定することから、ユーザーにとってのありがたみも一目瞭然であった。余談だが、デジタル一眼レフカメラ時代になってボディ内手ぶれ補正を採用した陣営も(ファインダー像の安定には寄与しない為)ファインダー像で効果をアピール出来ないという課題を抱えており、一部のカメラにはファインダー内にブレ具合を表示するインジケーターが装備されていたこともある。

 

そんなわけで、理屈の上では正しいはずのコンパクトカメラへの手ぶれ補正搭載はアピールが上手くいかなかったのか700VRだけの一機種で終わってしまい、コンパクトカメラへの本格的な手ぶれ補正搭載はデジタル時代を待つこととなった。その一方で、一眼レフ用の手ぶれ補正付きレンズはその効果の分かりやすさからユーザーの支持を集めることとなり、主に手ぶれの目立ちやすい望遠レンズから搭載されていった。実際にニコンも2000年にAi AF VR Zoom-NIKKOR 80-400mm f/4.5-5.6D EDで追従しており、フィルム時代はほぼこの二社のみの機構であったものの、今では二社に限らず様々なメーカーで定番の機能となっている。なお、フィルム時代はその機構上手ぶれ補正はいわゆるレンズ内方式に限られていたが、フィルム給装機構に縛られないデジタル機においてはボディ内方式も生まれ、現在でもそれぞれ進化を続けている。

 

[Ai AF VR Zoom-NIKKOR 80-400mm f/4.5-5.6D ED 待望のVRレンズとなった]

 

 

さて、カメラ本体は先の通り趣味性が高まっていったわけだが、レンズもまたそういった意味でマニア向けというか、憧れの高級レンズという方向性が各社の柱として成長していくこととなった。一つは前回述べたような大三元や超望遠に代表される高級レンズシリーズであるが、それとは別の動きとしてペンタックスにおけるリミテッドシリーズの立ち上げなどは新たな潮流を感じさせるものだった。同社にはMF時代から高級レンズシリーズとしてスターレンズが用意されていたのだが、リミテッドシリーズはそれとは明確に異なる立ち位置を志向したレンズシリーズである。

 

その第一弾となった1997年発売のFA 43mmF1.9 Limitedは、まずその43mmという特異な焦点距離が話題を呼んだ。この43mmは同社曰く135判の対角線長であり、この画角こそが真の標準レンズではないかという意図が込められているとのことだった。この一風変わったスペックが独自の立ち位置を補強したのは間違いないだろう。おそらくだがこのレンズが例えば40mm F2に丸められていたなら、きっとこれほどの反響はなかったのではないかと思われる。

 

このレンズは当時のMZシリーズに合わせてコンパクトな金属鏡筒が奢られた他、ねじ込み式の金属製フードやかぶせ式の金属製キャップなど、敢えてクラシックな仕様が採用されていた。


このレンズはMZシリーズの象徴的なレンズとなり、フィルム時代には43mm、77mm、31mmと発売され、ユーザーの中には三兄弟(あるいは三姉妹)と呼ぶ人たちも居たようだ。
 

[PENTAX MZ-3 + FA43mm F1.9 Limited ※本来ならこのボディは黒レンズがセットである]

 

 

この通好みのスペックと質感はまさしく「マニアが語りたくなる機材」であり、趣味者のための一眼レフカメラというボディ側の転換にも上手くマッチしていたといえる。ただし、他のメーカーがこの時点でこれに追従することはなかった。むしろこういった質感重視のマニアック路線は一眼レフではなく2000年前後を跨いで発生したクラシックカメラブームやレンジファインダー機ブームの方に回収されていったのではという感もある。とはいえ、質感に拘った高級レンズというのはこれ以降もリミテッドシリーズに限らず一つの潮流として残り続けている。

 

さて、メーカー純正の高級レンズシリーズは前回触れた通りだが、同様の競争はレンズメーカーでも起きていた。AT-Xシリーズでいち早く28-70mm F2.8のスペックに対応させたトキナー(1988年 AT-X270 28-70mm F2.8)とそれを同スペックで追うシグマ(1992年 AF 28-70mm F2.8 ZEN)に対し、タムロンはSP AF 35-105mm F/2.8 Aspherical(1992年)やSP AF 28-105mm F/2.8 LD Aspherical-IF(1997年)といった特異なスペックのレンズで対抗していた。

 


[90年代初頭のレンズメーカー製大口径標準ズーム各種。タムロンのみやや変化球気味だった]

 

……しかし、フィルムカメラ最末期まで視野に入れると、このF2.8標準ズーム競争の勝者はおそらくタムロンではないかと思われる。2003年に発売されたSP AF28-75mm F/2.8 XR Di(A09)はその圧倒的なコストパフォーマンスで一世を風靡することになったからである。定価10万越えが当たり前のメーカー純正レンズからすれば数分の一であり、スペックから言えば激安と言って良いレンズであった。とはいえ、03年と言えばフィルムカメラは既に末期であり、実際にはこのレンズをフィルム機だけでなくデジタル機に着けて使っていた人も多いことだろう。なお、この頃になると純正レンズは28-70mm F2.8の次のスペックとしてワイド端を広げた24-70mm F2.8へと主戦場を移し始めていた。

 

[SP AF28-75mm F/2.8 XR Di 大口径ズームレンズを大衆化させた立役者]

 

趣味性の高い中上級機に対する高級レンズはこのように様々なバリエーションが展開されたのだが、ボディ側のもう一つの柱である高機能廉価機については前回述べた通りWズームの組み合わせが一般的で、ここは最後まで変わらなかった。いわゆるママさん一眼レフとしての使われ方も考えると、これがもっともバランスが良かったのだろう。

 

こうしたキットレンズは明るさもズーム倍率もほどほどでどちらかといえば安価軽量が優先されたが、それでも当時のコンパクトカメラに対して画質のアドバンテージは大きかった。なにせ当時のコンパクトカメラといえば、100mm以上の望遠を実現するモデルもあったが画質はそれなりであり、そういう意味では望遠で撮るのであれば未だに一眼レフを使う意味は大きかったのだ。AFズームレンズの設計も成熟した頃なので、モノによっては値段以上の写りを発揮するレンズもあるとされている。

 

……最後に、フィルムカメラ末期特有のレンズとして、よく言えばフィルムとデジタルの橋渡し役、悪く言えば時代の仇花となった「フィルム・デジタル兼用広角レンズ」に触れてレンズ編を終えることとしよう。

デジタル一眼レフ初期は大サイズの撮像素子の製造が困難だったことから、いわゆる135判フルサイズのデジタル一眼レフの実現は難しく、主にAPS-Cサイズのデジタル一眼レフから普及していった。そして撮像素子サイズが小さくなれば画角は望遠側にシフトしてしまう(約1.5倍程度)ため、これまでの標準ズームレンズを装着すると広角側が物足りないという事態が発生した。

 

こうした事態に対処するため、フィルムカメラ末期には各社からフルサイズをカバーしつつも、デジタル一眼レフでの使用も見据えたワイド端17〜18mm程度のスペックのレンズが発売されることになった。ただし、デジタル一眼レフが主流になれば必ずしもフルサイズに対応する必要もなくなり、次第に主流はAPS-C専用設計のレンズへと移っていったためこれらのレンズが輝いたのも一瞬の出来事であった。

 

この時期発売の主な135判対応広角レンズ
・ニコン Ai AF Zoom-Nikkor 18-35mm f/3.5-4.5D IF-ED(2002年)
・キヤノン EF17-40mm F4L USM(2003年)
※なお、当時Lレンズは買えないがデジタル用に安価な広角が欲しい層に
 裏技的に知られていたのが比較的廉価だった
・EOS IX用のEF22-55mm F4-5.6 USMを転用する手法であった。
・ペンタックス FA Jズーム18-35mm F4-5.6 AL (2003年)
・コニカミノルタ AF ズーム 17-35mm F2.8-4(D) (2004年)
 
 

[EF17-40mm F4L USM デジタルとの共用を見据えた広角ズームの例]

 

こうしてレンズもまた、最後にはデジタルという大きなうねりへの対応を余儀なくされたわけである。

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