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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第13回 クラシック操作の限界とその先に生まれたもの

2023/12/01
佐藤成夫

90年代半ば、中級AF一眼レフの操作系として一世を風靡したクラシック操作であったが、実はその限界は意外に早く訪れてしまった。


なぜクラシック操作には限界があったかというと、それはクラシック操作の為にすべての機能を物理的にダイヤルやレバーで実装しようとすると、操作部材の数やそのポジションが増えすぎてしまうことが理由である。機能の数だけ物理的な操作部が必要になる以上、クラシック操作というものは高性能化・多機能化に向いていないのだ。


しかし、中級機においてクラシック操作が受け入れられたことで、クラシック操作を継承しつつより高性能で多機能なモデルが求められるのもまた自然なことであった。この相反する要素に対して、各メーカーは知恵を絞り、クラシック操作のその先を見つける必要に迫られたのである。


というわけで、今回は90年代半ばに生まれたAF一眼レフにおけるクラシック操作の限界と、その後90年代末~00年代初頭にかけて各メーカーがたどり着いたそれらの発展形について解説していきたい。


……のだが、一旦横道に逸れてここで一台のカメラの解説を挟みたい。AFカメラの歴史を語る上では外せないカメラがこの時期に誕生しているからである。

 

 

孤高のAF一眼レフの登場


その名はコンタックス AX(1996年)。既存の京セラAF一眼レフの流れとは全く別個に存在し、そして方式的にも他社とは一線を画す、孤高のAF一眼レフである。


このカメラの何が孤高なのかという話だが、このカメラは京セラ製にも関わらず、既に存在していた京セラAFマウントではなく、ヤシカより引き継いだヤシカコンタックスマウントを採用していた。ただし、ニコンFマウントやペンタックスKマウントのように、ヤシカコンタックスマウントに電子接点を追加して新たにAFレンズを用意したというわけではない。レンズやマウントの仕様はあくまでもMFカメラであるヤシカコンタックスマウントそのままだったのである。当然そのマウントには電子接点もAFカプラーも存在しなかった。


ではレンズを変えずにどのようにAF化を果たしたのかという話だが、これはなんとレンズではなくボディ側を動かすことでAFに対応したのだ。レンズ(前)が動かずとも、フィルム面(後)の方が移動すればピントを合わせることが出来る……このバックフォーカシングという発想自体はマミヤ6(スプリングカメラの方)やビューカメラ等で古くから存在したものの、これをAFカメラとして自動化した例はほとんどない。


とはいえこのAF方式はボディ側を大きく動かす必要があるため必然的にボディが肥大化する(AXはインナーボディを10mm可動させていた為、当然この分分厚くなっていた)こともあり、これ以降も主流になることはなかった。レンズ側を動かす必要がない為、どのようなレンズでも取付さえ出来ればAF化出来るということでマニアックな人気もあったものの、やはり本流からは外れた存在だったと言って良いだろう。


ちなみに、カメラ本体の操作系もMF機である各種コンタックス機に揃えられており、そこに対してAF周りの操作を付け足したような形になっていた。つまり操作系はいわゆるクラシック操作そのものだが、AFの操作系をクラシックに戻したというよりは元々そうなっていたと言う方が正しい。そういう意味では、操作系から見てもこのカメラの位置付けは「AFも出来るMFカメラ」といった趣であり、やはり当時主流のAF一眼レフカメラとは異なる立ち位置のカメラであったと言える。


結局、AXはこの一代限りとなり、バックフォーカシング方式のAFカメラがこの後に続くことはなかった。ただ、コンタックスや京セラのAFに対する挑戦がこれで終わるのかといえばそうではなかったのだが、それはまた別の機会に解説することとしよう。

 

 

クラシック操作で好評を得たミノルタとペンタックスの次の一手


というわけで、改めて主流(?)だった方のAF一眼レフカメラの話に戻ろう。


冒頭で述べた通り、物理的にレバーやダイヤルを設けるというクラシック操作の原則は、それ自体が機能や操作に対する足枷にもなっていた。例えばシャッタースピードダイヤルを物理ダイヤルとして実装する場合、(電子ダイヤル式であれば一般的な)1/2ないし1/3EVのピッチでは操作が煩雑になりすぎるためピッチを間引く必要があったし、その範囲についても制限があった。


クラシック操作の代表機であるペンタックス MZ-3を例に挙げると、MZ-3のシャッタースピードダイヤルは1/4000から1秒まで1EVピッチ・13ポジションでそれ以下のスローシャッターは潔く諦められている。もちろん機能としては存在しており、シャッタースピードがオートの時はスローが30秒までの範囲で設定されるのだが、一方でマニュアル露出時にスローシャッターを切りたければその時は代わりにバルブを使う必要がある。電子ダイヤル式であれば容易にスローシャッターを設定可能なのに、である。


また絞りダイヤルのピッチも多くの場合は1EVや1/2EVピッチなどだったため、そもそも緻密な露出設定が困難になってしまう問題もあるなど、実はクラシック操作には問題が山積みだったのだ。もっとも緻密な露出設定はリバーサルフィルムを使用しない限りは不要のものであったのだが、幸か不幸かクラシック操作の一眼レフは「写真好きのためのカメラ」であったため、リバーサルフィルムの使用率もそれなりに高かったものと考えられる。


とはいえ、これらの問題はある程度までは顕在化せずに済んでいた。例えばクラシック操作の祖であるMZ-5は既存のZ-1やZ-5から大きく機能を絞り込んだカメラであるし、同様にα-507siもシリーズ中トップのカメラではなかった。これらは中級機の中でも安めの価格帯のモデルであり、ある意味で多機能化をする必要もなく、だからこそクラシック操作を突き詰めることが出来たとも言える。


ただ、そこから発展性を求めると先のような問題がついて回ることになる。特にクラシック操作で好評を得たミノルタとペンタックスの次の一手はいずれも難しい判断を迫られることとなった。

 

 

α-9、α-7の登場


まずはミノルタから解説していこう。ミノルタではα-707siとα-507siを発売した後に最上位版であるα-807si(1997年)が追加されたが、これは操作系の面ではα-707siの発展モデルとなり、好評だったα-507siの操作系が組み入れられることはなかった。α-807siは当時の最上位機としては珍しくGN20の巨大な内蔵ストロボを搭載しており、シーンモードも取り込んでいるなど、全部入りを標榜した見た目も機能も個性的なボディとなっていた。なお、各種メモリーの容量アップに伴い従来カードで提供されていた機能をカメラ内部に取り込んだため、インテリジェントカード対応は廃止されている。このα-807siについては、α-707siの順当なアップデート版という印象が強く、これは過去の8ナンバーであるα-8700iにも共通するものであった。


そして続く1998年、久々の9ナンバーを背負ったα-9が登場する。α-9xi以来の9ナンバーはプロカメラマンの使用をも見据えた最上位機種であり、またsiシリーズではない新シリーズの始まりとなった。実はαシリーズはsi世代まですべて7ナンバーがその世代の先陣を切っており、8や9ナンバーは概ね7ナンバーのアップデート版として後から登場するのが通例であった。それだけに、この9ナンバーからの登場はミノルタとしては異例の出来事だった。

 

ミノルタ α-9 最上位機でもダイヤル&レバーの操作系を採用した


α-9の操作系は、前世代の最上位機であるα-807siとは異なり、クラシック操作であるα-507siの操作系が大幅に組み入れられている。具体的にはα-507si同様モードダイヤルと露出補正ダイヤルの軍艦部ツインダイヤルとなり、またそれらの付け根にストロボ調光補正とドライブモードレバーが備えられた。つまり、ダイヤル&レバーの思想を引き継いだカメラということになる。とはいえ、9ナンバーということもあり機能・性能面ではα-507siから大幅に引き上げられてもいた。


性能の面ではα-9xiから引き継いだ1/12000秒シャッターが大きな特徴だったが、一方でファインダーは見えを最優先してα-9xiやα-807siのような液晶挟み込み式を廃止している。またこのファインダーは当時のプロ機の証であった視野率100%をミノルタとして初めて実現していた。そしてα-807si同様最上位機でありながら内蔵ストロボを搭載しており、これはワイヤレスストロボのコマンダーとしても使用出来た。これらの機能をαとしては珍しい金属外装のボディにまとめており、総じてそれまでのαシリーズの集大成といったボディになっていた。


また、α-9は先に述べた通りプロカメラマンの使用にも耐えるクラスのボディであったが、同時期の他社のいわゆるプロ機のように縦位置グリップ一体型ではなく分離型を採用していた。この縦位置グリップは前世代のsiシリーズから可能な限り本体と同じボタンを配置して操作性を向上させていたが、この世代からは形状にもメスが入った。


それはグリップ位置をオフセットさせたことである。他社も含めたプロ機やこれまでの縦位置のグリップでは通常縦位置に構えるとレンズとの位置関係が横位置とは異なってしまうが、これを補正したものとなる。


このグリップ配置はαのこれ以降のアイデンティティとなりデジタル時代まで継続した他、後程言及するペンタックス MZ-Sなど一部他社でも採用されている。ただし、このオフセット配置は三脚座付の大型レンズなどでは縦位置の際にグリップが窮屈になりやすいこともあり、現在のデジタルカメラでは従来の配置を採用するメーカーがほとんどである。


こうして9ナンバーらしい気合いの入った一台であるα-9はαシリーズの頂点として存在感を発揮し、1998年のカメラグランプリを受賞することとなった。ミノルタの最上位である9ナンバーのカメラがカメラグランプリを受賞したのは実はこれが最初で最後の出来事である。


そして2000年、満を持して(?)ミノルタのエースナンバーである7ナンバーを冠したα-7が発売された。このカメラは、フィルムカメラの操作系に対して一つの答えを出した機種であると筆者は考えている。

 

ミノルタ α-7 こちらもツインダイヤルとレバーが基本のカメラである


軍艦部ツインダイヤルはα-9と同様であるが、このカメラの白眉はその背面にある。α-7の背面には、ナビゲーションディスプレイと呼ばれる日本語表記すら可能な大型のモノクロドットマトリクス液晶と、項目を選択可能な十字キーが装備されていたのである。これにより「背面の大型ドットマトリクス液晶に日本語でメニューが表示され、それを十字キーで選択すること」が可能となった。つまり、ソフトウェア主体の呼び出し式操作がクラシック操作に回帰する原因となった、一覧性の低さや分かりづらさを解決する目処が立ったわけである。

 

α-7の背面部 現在の露出パラメーターをはじめとした各数値が一覧出来る


無論、背面に操作部を持ってきたカメラはキヤノン EOSシリーズの背面電子ダイヤルやニコン PRONEA 600iの背面液晶&ボタン等α-7以前にも存在していた。同様にドットマトリクス液晶自体はニコン F50Dに採用例がある。そして十字キーの採用自体はニコン F5(1997年)が先駆けている(ただし、F5の十字キーはAFポイント選択に特化されていた)。


しかし、これらを組み合わせて一眼レフにおいて「大画面+十字キー」の操作を構築したのはミノルタ α-7が初めてである。こうした意味で、筆者はα-7はAF一眼レフの操作系史に名を残すべきエポックな一台であると考えている。


……ただ、この操作系については同時期に存在したデジタルカメラの影響も無視できないだろう。デジタルカメラはこの時期ほとんどライブビュー式に移行しており、液晶の搭載は必須であった。また小型化を優先し操作部は切り詰められていたことから、こちらも必然的に十字キーを利用した呼び出し式の操作系が採用されていた。α-7の操作系はある意味これらの逆輸入的な面があったのかもしれない。


このナビゲーションディスプレイにより現在のカメラのステータスを一覧で表示することも可能となり、また多彩な表示内容を活かした新機能も搭載されている。一例を挙げると測光インジケーターとしてAEセンサーがどのように輝度情報を捉えているかを表示したり、レンズの距離情報と連動して被写界深度表示を画面上に表示することなんかも可能だった。


一方で、物理的な露出補正ダイヤルを持ちつつもこれまでのαシリーズのように後ダイヤルで露出補正をセットすることも可能となっているなど、前世代のα-707siとα-507siで二つに分かれた操作を可能な限り両方搭載するといった配慮も行われていた。


これによりミノルタはフィルムカメラにおいても「直感的な操作が可能なクラシック操作」と「多機能を実現可能な呼び出し式操作」を高度に融合させることに成功した。ストイックに作り込まれたα-9とは異なり、α-7は久々の7ナンバーらしく飛び道具的な機能も満載しており、内蔵された各種の機能はここに書ききれないほどである。α-7はこうした点からも評価を受けて2001年のカメラグランプリを受賞し、またこれがカメラグランプリにおけるフィルムカメラの最後の大賞受賞機となった。


さて、ミノルタにおいてはクラシック操作と高機能化をうまく融合させることが出来たが、これはαにおけるクラシック操作が、物理的な操作部材を用意しつつそれでも基本操作はボディ側電子ダイヤルでパラメーターをセットする……というAF一眼レフの文法に則ったものだったため、まだ変化に対応しやすかったという面もある。この点においては既存機の電子ダイヤルメインの操作系を元にダイヤル&レバーを追加したキヤノン EOSも同様であった。なお同時期のEOSについては次回改めて解説したいと思う。

 

 

一方でペンタックスは……

 

……しかし、そうはいかないのが物理シャッタースピードダイヤルを復活させ、絞りリングも再活用することになったペンタックスであった。最もクラシック操作に傾倒した結果、最も制約を受ける立場になってしまったのだ。


実際、クラシック操作を提唱したMZ-5に続き上位版となるMZ-3が追加されたが、その機能アップ幅は非常に小さなものに限られていた。このため、この時期のペンタックスは機能面で言えば未だにZ-1がフラッグシップだったのである。


さらにペンタックスには特有の問題が存在した。絞りリングを使うことなく縦横無尽に電子ダイヤルを駆使して各優先モードを自在に切り替えたり、マニュアル露出時にも各種の便利なアシストを呼び出せるZ-1等のハイパー操作系と、絞りリングとシャッタースピードダイヤルを基本とし、何もかもがダイヤルとレバーに立ち返ったMZ-3等のクラシック操作……このどちらにも固定ファンが生まれてしまったのだ。これはミノルタにおけるα-707siとα-507siの分裂よりも更に深い溝である。ペンタックスはこの水と油のような操作系をまとめ上げてどちらのファンも満足させるか、さもなくばこれらとは異なる全く新しい操作系を生み出すことが必要になってしまった。

  

ペンタックス Z-1とMZ-3 両者は見た目も操作系も水と油のカメラである

 

かくして、その努力の成果はMZ-S(2001年)という形で現れるのだが、実のところこのMZ-Sの操作系はハイパー操作系やクラシック操作系ともまた異なるものであった。

 

ペンタックス MZ-S ペンタプリズムの低い独特のシルエットが特徴


ペンタックス自身はMZ-Sの操作系をハイパーオペレーティングシステムと呼んだが、これはかつてのZ-1におけるハイパー操作系とイコールというわけではない。むしろ、Z-1のハイパー操作系とMZ-3のクラシック操作の融合がハイパーオペレーティングシステムである。


この三者の違いを説明するのはなかなか骨が折れるのだが、MZ-3からの変更点としてはシャッタースピードダイヤルが廃止されて電子ダイヤルになったことと、グリーンボタンの新設が大きな違いである。このグリーンボタンは名称こそ変わっているが、機能面ではZ-1時代のIFボタンに相当する。


一方でZ-1から見た時は、絞り値の設定に絞りリングを使用するという点が異なる。また、ハイパー操作系では(ハイパー)マニュアルと(ハイパー)プログラムは排他選択式であったが、MZ-Sのハイパーオペレーティングシステムにおいてはこれらは随時切り替えることが出来る。


つまりどういうことかというと、MZ-3のように絞りとシャッタースピードをAポジションにすればプログラム、片方をマニュアルで指定すれば各優先AE、どちらもマニュアルにすればマニュアル露出のMZ-5的操作でありながら、シャッタースピードダイヤルを仮想化することでグリーンボタンによるワンプッシュAEで絞り優先AEに復帰する……といったハイパーマニュアル的な利点も継承したのである。ハイパー操作系のキモが「モードダイヤルやモード切替ボタンなしに随時露出モードを変更出来ること」だとすれば、このハイパーオペレーティングシステムもまたハイパーの考えの元にある、というわけだ。


とはいえ、MZ-Sが語られる時に真っ先に取り上げられるのはこうした操作系面での特徴よりも、ペンタプリズムを埋め込んだかのような、あまり見られない怒り肩のデザインであろう。両肩にはダイヤルが埋め込まれており、右手グリップ側は電子ダイヤルと液晶表示、左手側は露出補正&機能ダイヤルとなっている。他にはあまりない特徴的なシルエットからか、このカメラのことをジャミラと呼ぶ人も多いようである。


このMZ-S、ポジション的にもZ-1ではなくMZ-3の後継ということなのか、スペック的には一部Z-1に譲るところもあったため、ユーザーの評価も賛否両論といったところだったようだ。個人的にはMZという名前である以上 Z-1の後継(ペンタックスにおけるフラッグシップ)ではなく、MZ-3の高機能発展版と考えるのがしっくり来るように感じる。スリムな金属製のボディはMZ-3にはなかった高級感があるし、小型軽量のペンタックスというイメージにも合致している。


なお、このような凝った操作系を用いていたのはMZシリーズの中でもMZ-Sだけで、直下のモデルとなるMZ-7(1999年)においてはもう少しシンプルな操作系となっていた。各優先AEやマニュアルへのモード切替は左肩のモードダイヤルにまとめられていたし、パラメーター設定は電子ダイヤルの代わりにシャッター同軸のセレクトレバーでセットするようになっていた。


MZ-7といえば、光っておまかせのキャッチコピーに代表される光るモードダイヤルが最大の特徴である。これはモードダイヤルをAUTO PICTに合わせておくと、カメラが撮影状況を判断してシーンモードのどれかを自動的に選んでくれるのだが、その時に光るモードダイヤルとファインダー内のアイコンにより「どのシーンモードが選ばれたか」を表示してくれるのだ。


さて、このMZ-7のおまかせシーンモードの考え方は非常に興味深い。というのも、シーンモード自体はAF一眼レフ登場以前に既に一般化しており、プログラムモード主体のカメラに多く搭載されていた。この時のシーンモードはいずれも手動選択式であった。


そして初期のAF一眼レフにおいては事実上シーンモード同等の機能としてマルチプログラムが実装されていたが、当時これらが積極的に表に出てくることはなかった。これらのシーンモードというのは初心者向けなので、ユーザーが選ばずとも使えるよう、カメラが自動選択するように進化したのである。


しかし、それではカメラがどう判断しているのかはブラックボックスと化してしまうし、第一ありがたみがないということなのか、シーンモードは再び表に出され、モードダイヤル等に配置され再度ユーザーが手動で選択するようになった。そしてMZ-7の頃になるとまた自動選択が再提案されるのだが、今度はどれが選ばれたのかユーザーに明示するようになった……というわけである。


シーンモードはこのように時代に応じて表に出たり引っ込んだりしており、その時々に応じて位置付けが変化している機能の一つである。ユーザーにしてみればどれが選ばれようと、最終的に良い写真が撮れるのであれば良いのかもしれないのだが、一方でカメラ自動化の揺り戻しから、行き過ぎたブラックボックス化もまた避けられたというわけである。


このようにペンタックスでも過去の分裂した操作をなんとかMZ-Sで合流させ、その一方でMZ-7は比較的スタンダードな操作系にまとめ上げることで、MZ世代の操作系にうまく道筋を付けることとなった。そして、MZ-3/5がクラシック操作全振り、MZ-Sがトリッキーなハイパーオペレーティングシステム採用と上位モデルはそれぞれにクセは強いものの、下位機も含めたMZ世代の特徴はZ世代で一度は否定された絞りリングの活用に再度回帰したことにあった。


ただ、これはAF一眼レフカメラ全体のトレンドからは外れていた。詳しくは次回以降解説するが、同様に90年代半ばまで絞りリングの使用を前提としていたニコンはF5以降急速に絞りリング不使用の操作系へと移行していき、それに合わせてレンズからも次第に絞りリングが消えていった。また、コストにうるさい廉価レンズでは絞りリングの廃止はマストであった。


故にペンタックスも後継シリーズでは絞りリング不使用の操作系を模索することになるのだが、MZシリーズはマニュアル露出や絞り優先AE時に絞りリングが必須であり、これらをボディ側から設定することが出来なかった(前世代に当たるZ世代は電子ダイヤルでコントロールが可能)。よって、これ以降に発売された絞りリングなしのレンズをMZシリーズに取り付けるとフル機能が使えなかったりする。操作系の行き戻りと絞りリングの存在に翻弄されたという点で可哀想な世代と呼べるかもしれない。ただ、幸か不幸か、切り替えの遅れたペンタックスにはそのようなレンズが揃う前にフィルムカメラ自体の終焉を迎えてしまうのだが。


さて、ミノルタとペンタックスはこのように個性的な操作系をなんとかまとめ上げて21世紀を迎えたが、他の二メーカーもまた21世紀を前にして操作系を磨き上げていた。特にニコンは少し触れた通り、これまでの絞りリング前提の操作系をガラッと変えて、電子ダイヤル主体の操作系へと生まれ変わろうとしていたのである。次回はそんなニコンの変化と、すっかりAF一眼レフの盟主となったキヤノン EOSシリーズの動きについて解説していく。

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