ミノルタによる乾坤一擲の大勝負であったα-7000は、その実用的AF性能が話題を呼んで発売と同時に大ヒット商品となった。このヒットを支えたのはカメラ好きだけではなく、これまで一眼レフを敬遠していた一般のユーザー達であった。
α-7000が一般層にも支持されて社会的なブームとなったことは、例えば1985年の日経ヒット商品番付に東の横綱として選出されていることなどからも窺い知れる。ちなみに同番付が開始された1971年から現在までにカメラ関係で選出されているのは他に2002年のカメラ付き携帯電話と2006年のデジタル一眼レフがあるくらいで、特定機種での選出となるとこの一度きりである。特定の一機種が社会に与えたインパクトとしては、日本のカメラ界でも一二を争うレベルであると言えるだろう。
カメラ好きだけではなく、それまで一眼レフは難しいと感じ、コンパクトカメラ(レンズシャッターカメラ)に目を向けていた一般ユーザーを再度一眼レフの方へ振り返らせたことは、α-7000の成し遂げた偉業の一つである。
さて、この大ヒットの結果としてミノルタ以外の一眼レフ各社もAF一眼レフ戦線へと参戦することとなった。この歴史的ヒットによってAF一眼レフカメラの歴史はα-7000以前と以降で明確に区切られることとなった。ここでは1985年以降に発売された主なAF一眼レフカメラを挙げてみよう。
- 1985年 2月 ミノルタ α-7000
- 1985年 4月 キヤノン T80
- 1985年 9月 ミノルタ α-9000
- 1986年 4月 ニコン F-501
- 1986年10月 オリンパス OM707
- 1986年10月 ミノルタ α-5000
- 1986年12月 京セラ 230AF
- 1987年 3月 ペンタックス SFX
- 1987年 3月 キヤノン EOS650
α-9000
F-501
EOS 650
簡単にまとめてしまえばスタートダッシュを活かして地固めに邁進するミノルタとそれを必死で追う各社といった図式になるのだが、いくつか取り上げておきたいトピックがある。
まず一つ目は、α-7000と真っ向からかち合うことになったキヤノン T80である。現在はEOS以前の実験機といった位置付けで語られることの多いこのカメラだが、そのEOSについてはα-7000の発表後に改めて開発が開始されたことが知られている。例えば当時のキヤノンの動きについては下記のような記述がある。
「(筆者注:ミノルタαの発表を受け対抗機が必要となる中で)α発売の翌月末の三月三十一日には、東京・新宿のホテルで賀来龍三郎社長(当時)をはじめ担当役員、日米欧の販売会社社長らが開発者二人を迎えて一堂に会し、「御前会議」が開かれた。そこでの議論は、ミノルタに即座に追随するのではなく、社内で研究中の技術を急ピッチで完成させ、独自のシステムを開発しようと言う意見に集約された」
[出典 産経新聞特集部,新ライバル物語第一巻, p30,柏書房,2004]
つまり、EOSはαを見てから急ピッチで開発が進んだカメラというわけで、これが発売に1987年までかかった理由である。逆説的に言えばT80はαを見ることなく開発されており、(仮にαが無ければ)キヤノンはAF一眼レフをどうするつもりだったのかがT80に現れているのではないか……というわけである。
ところで、筆者は前回「α-7000の操作系面での革新とは絞りリングがなくなったことである」と述べた。これによってシャッタースピードと絞りのパラメーターの両方が仮想化され、現代のカメラの操作系の礎が出来たからである。
しかし、よくよく考えてみればこの時期に絞りリングがなくなったのはα-7000だけでない。T80用のACレンズ(AFレンズ)もまた、その根元からは絞りリングが消えていたのである。こちらはFDマウントがベースなので、ミノルタのようにマウントが変更されたから絞りリングがなくなったというわけではない。マウントとしての互換性を残したまま、ただ絞りリングが撤廃されているのである。別にあっても良さそうなだけにこれは興味深い一致である。
もっとも、T80はプログラムモード主体なので撮影時に絞りリングを使用することはないし、結果的にこれが唯一の対応機になったため誰も困ってはおらず、そもそも話題にもなっていない。だが、もしT80以降もFDマウントベースのままキヤノンのAF機が展開されていたとしたら、そのとき操作系は一体どのようなものになっていたのだろうか。絞り値をボディ側から変えなければならない上に、Tシリーズの操作系を発展させたものになっていたのだから……きっとそれはα-7000に近いものになっていたのではないだろうかと考える次第である。
ただ、キヤノンTシリーズはボタン操作と液晶、そして平面的なデザインをα-7000よりも先に取り入れており、操作の面では当時の最先端のカメラであった。そういう意味ではむしろα-7000がT50(1983年)やT70(1984年)などTシリーズの影響を受けたという印象もある。ただTシリーズは基本的にオート志向であり、特にT80以下自動化志向の強い機種はマニアには余り顧みられない。マニアの間で話題になるのはT90(1986年)──それもEOS-1の露払いとして──ばかりである。なおT90についてはEOSの操作系について語る際に一緒に説明する予定なので、ここでは一旦置いておく。
キヤノンT80
次に取り上げるのは、マウント変更に対する各社の考え方である。
ミノルタはα-7000において新規マウントを採用することによって実用的なAF一眼レフを造り上げた。……少なくともミノルタにはそのような事情があったし、実際に売り文句の上でもそういうことになっていた。しかし、以降のライバル機からも分かる通り、実際はマウントの変更はAF一眼レフの必須条件ではなかった。この結果、AF一眼レフにおいて新マウントを採用する陣営と既存マウントへの小変更で対応する陣営が分かれたのである。
新マウント組がミノルタ、京セラ、キヤノン。既存マウント組がニコン、オリンパス、ペンタックス、チノンである(それぞれ登場順)。ただしキヤノンは先に述べた通り、一度はFDマウントのままでのAF化を模索している。またニコン、オリンパス、ペンタックスはいずれもα-7000登場以前にAF一眼レフを発売しており、マウントの維持にはそうした点も影響しているのかもしれない。
さて、T80は先の事情から現在ではα-7000対抗機としてはカウントされておらず、一般的にα-7000の対抗機とされているカメラのトップバッターは、1986年4月発売のニコン F-501、次いで10月のオリンパス OM707である。
これらのカメラは、いずれも既存のマウントを堅持した上で電子接点とAFカプラを追加し、ボディ内モーター方式でのAF一眼レフを実現していた。そしてもう一つ共通していたのは、AFセンサーに当時のハネウェルのセンサーを使用していたことである。
ハネウェルのAFセンサー自体はコンパクトカメラでも実績があり、これを一眼レフ用に改良したTCLモジュールは各社のフォーカスエイド機でも使われていた。しかし、低照度や低コントラストでのAF性能に難があり、当時の雑誌テストでもこれらの機種のAF性能はいずれもα-7000には及ばないとされている。
だが、TCLモジュール以外を使ったペンタックス SFXやキヤノン EOS 650、それにニコン F-401が出たのは1987年春の話であり、その間にもAF一眼レフへの移行(≒ミノルタの独走)は待ったなしで進んでいた。このため、とにかくその時点で使えるセンサーを使って手を打つというのも一つの経営判断だったのだろう。それでもα-7000の発売からは一年以上経過している。
なお、この点では京セラAF機は不思議な立ち位置にある。AFセンサーは当時のミノルタに類似しており、その性能も当時のレビューを見る限りでは決して悪くはなかったようだ。しかもミノルタ同様に新マウントを引っ提げての登場である。しかしあくまでもメーカーとしての主力はヤシカ・コンタックスマウントの方に置かれていたようであり、併存していた。ミノルタやこの後のキヤノンが不退転の決意で新マウントに注力したことを考えると、その姿勢の違いは明らかだった。
また、当連載で主なトピックとして取り上げる操作系という面で言えば、オリンパス OM707、京セラ AF230、そしてペンタックス SFXに関しては概ねα-7000に近い操作系に落ち着いたと言える。いずれもボタン操作と液晶を操作系の中心に据えており、デザイン面でも直線的・平面的なシルエットとなっている。これらの後に続くキヤノン EOS 650についても基本的な部分は概ね同様である。プログラムモードのみのOM707は若干事情が異なるが、先に挙げた機種はいずれもPASMのフル露出モードを持ち、それらをボタンと液晶で切り替え、撮影時もボタン入力で各パラメーターを設定している。基本的にはα-7000と同系統の操作系と言って良いだろう。
とはいえ、パラメーターを設定するためのスイッチについては各社さまざまなスタイルを模索している。α-7000はボタンだったが、α-9000ではモードダイヤル同軸で原点復帰式のスライドスイッチ(レンズマウント近傍にも同様のスライドスイッチ付)となった。OM707もスライドスイッチだがこれは背面側にあり、パワーフォーカスのスイッチも兼用していた(OM AFレンズにはピントリングがなく、MFは電動パワーフォーカスで代用となっていた)。そしてSFXはシャッターボタン手前のセレクトレバーとなっている。もっとも、これらのスイッチはしばらくするとEOS 650が採用した電子ダイヤルに収束していくことになる。これについても今後詳しくお伝えする予定だ。
いずれにせよ、ダイヤルの仮想化によって撮影時のパラメーター操作はこのスイッチに集約されることになり、突然最重要操作部材のひとつとなった。こうした中でどのような配置やスイッチ形式が使いやすいのか、この時期はメーカー側も試行錯誤の過程にあったと言えるだろう。
こうしたAF一眼レフへの転換に伴う操作系変更の流れに対し、唯一背を向けたのがニコンである。というのも、F-501はその前年に発売されたワインダー内蔵のMF一眼レフであるF-301との共通点が多く、伝統と継続性を大切にするニコンらしさからなのか、操作系もまた従来の一眼レフ(MF一眼レフ)的だったからである。
F-501の操作系はα-7000やそのフォロワーとは異なり、シャッタースピードダイヤルでシャッタースピードを決め、絞りリングで絞りを決めるという従来からの操作系を守っていた。軍艦部も巻き上げレバーこそ消えたもののシャッタースピードダイヤルや巻き戻しクランクが鎮座しており、他メーカーの一眼レフでは必須のはずの液晶もなく、明らかに別の流れの中にいるカメラであった。
F-501の軍艦部
本連載において取り上げているAF一眼レフの操作系には時代ごとの流行が存在している。こうした中で各社が互いに影響を与えつつも、各社なりの方法でその時代ごとの命題をクリアしていくというのがこれ以降のAF一眼レフ操作系史の見所となっているのだが、そんな中でニコンはマイペースというか、少なくともカメラボディの操作系においては他のメーカーとは明らかに異なる考えで製品を作っているように思える。
ちなみに1987年のF-401ではシャッタースピードダイヤルに加えて絞り操作ダイヤルをボディ側に搭載して実質2ダイヤル化するなどさらに独自の操作系を推し進めており、他メーカーのように軍艦部に液晶を採用するのはさらに下って1988年のF-801の登場まで待たなければならない。ことAF一眼レフの操作系においては、ニコンはこれ以降も独自の道を突っ走るのだが、その第一歩目がF-501であった。
なお、こうして各社が追撃に動く中で、ミノルタは地固めを行い、α-9000、α-7000、α-5000という三段階のラインナップを揃えてきた。操作系の面からα-7000以外の二機種について解説すると、上位機に思われがちなα-9000は実はα-7000と同時期に開発されており、革新のα-7000に対する保守のα-9000といった役目も与えられていた。故に軍艦上にはα-7000で廃された旧来のカメラ的な「軸」が並んでおり、操作系はより旧来の一眼レフに近い。これが手巻きのAF一眼レフという世にも珍しいスペックにも繋がっているのである。また、この結果として露出モードもボタンでの選択ではなくモードダイヤル式となっている。
α-7000(左)とα-9000(右)
α-5000はα-7000に対しプログラムとマニュアルに機能を絞り込んだ廉価機なのだが、一方で基本骨格を共用するからなのか、当時定価でも飛ぶように売れていたα-7000への配慮なのか実のところ機能が省かれた割に価格はそれほど変わらない。
(注・当時の定価はα-7000が88,000円、α-5000が85,000円。後者はデート付きでデートなしでは75,000円とはいえ、思ったよりも価格差は小さい)
さて、α-5000の操作系におけるトピックは左肩の機能ボタンをフタで隠したことにある。α-7000の左肩にあった機能ボタンをフタで覆うことで初級ユーザーは触らなくても済むようにしたのである。もし発展的な操作が必要であればそのとき初めてフタを開ければ良いというわけだ。フタの中にはマニュアル露出への切替、感度の手動セット、そしてセルフタイマーのボタンが収められている。
カメラを始めとした機械全般に言えることだが、詳しくないユーザーはボタンが多いというただそれだけで萎縮してしまうことがあるが、現代の目ではそれほど複雑に見えないα-7000でさえもそれは同じだったといえる。特に初級ユーザーの多い廉価カメラにおいては、機能の取捨選択と同時に、それらの機能をどのように操作させるかもまた操作系史では重要なテーマとなっていくのだが、その一つの答えと言えるだろう。
このように、80年代後半はミノルタが盤石のラインナップを固めていくのと並行して各社のα対抗機も順次戦線に投入されていった。T80で真っ先に苦杯を舐めることとなったキヤノンもまた、1987年3月にEOS 650を投入しαシリーズ追撃の狼煙を上げることとなる。こうして1987年頃までには主要一眼レフメーカーのAF一眼レフが一通り出揃うこととなり、いよいよ一眼レフの主戦場は完全にAF一眼レフへと移っていくのである。
PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。