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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第12回 ニコンの試行錯誤とAPS一眼レフという別潮流

2023/11/01
佐藤成夫

90年代後半、AF一眼レフをフルラインで揃えるメーカーはほぼ四社(キヤノン・ニコン・ペンタックス・ミノルタ)に絞られた中で、前回キヤノン・ペンタックス・ミノルタの中級機では中級機自体の位置付けの変化から、いずれもクラシック操作に回帰していったことを述べてきた。しかし、こうした流行に背を向けてクラシック操作には向かわなかったところや、それとは異なる流れも存在している。今回はそちらの説明である。

 

さて、先に挙げたAF一眼レフ四大メーカーの中で、ニコンだけはクラシック操作には向かわなかった。というか、この時点ではそもそもクラシック操作に回帰する必要すらなかったと言える。

 

何故なら、90年代半ばまでのニコンといえばアナログ操作の塊であるF4を筆頭として、未だに絞り優先時には絞りリングを使う操作系が生き残っていたし、そもそも各モデルの操作系もあまり変わっていなかったからである。


例えば1994年発売のF90ではF-801(1988年)以来の操作系をそのまま磨き上げた結果、基本的な操作はF-801系と同様になっており、この時期においても絞り優先AE時には絞りリングを操作するようになっている。同様にレンズ側に絞りリングを残していたペンタックスがSF世代で絞りリング使用→Z世代でハイパー化により基本的には廃止→MZ世代でまた絞りリング使用に戻るといった行き戻りを見せている中で、ニコンの中上級機はここまで一貫して絞りリング操作を残していたわけである。


似たようなことは下位機種でも起きていた。ニコンのラインナップのうち比較的安価な価格帯を支えたのは1987年発売のF-401であったことは過去の回でも触れているが、このカメラは基本的な操作系を変えることなく以降複数のマイナーチェンジを受けて延命されている。1989年には測距能力を向上させたF-401Sとなり、さらに91年には動体予測AFに対応したF-401Xと更新されているのだ。とはいえ、基本的な骨格は三世代通して同じであり、軍艦上に並んだ絞りとシャッタースピードのツインダイヤルもまた同じである。

 

そしてこれらの価格帯に新モデルが投入されたのはさらに下って1994年発売のF50Dであった。……つまり、1987年から1994年まではずっとF-401シリーズで頑張っていたわけである。参考までに言うと1987年はまだαで言えば4桁シリーズの時代(1988年iシリーズ登場)だったのに、1994年といえば第四世代となるsiシリーズが出ていた頃である。もちろん他の各社も矢継ぎ早にAF一眼レフの更新を急いでいた時期だけに、この90年代半ばまでのニコンの動きは改めて見ると衝撃である。

 


ニコン F50D。エントリーモデルの操作系が刷新された

 

正直言ってF-401系の操作系がここまで長期間引っ張るほど優れたものであったという評は聞いたことがない(ネット上に無理矢理前後電子ダイヤルのはしりであると考える評がある程度)のだが、結果として非常に長寿の操作系となった。なお、筆者個人としては、電子ダイヤルというのは液晶と無段階の電子ダイヤルの組み合わせこそが電子ダイヤル操作系のキモであると考えており、F-401のような物理的に数値の入った前後ダイヤルによる操作系は現代で一般的な前後電子ダイヤル操作系とは別物であると考えている。


閑話休題。F50Dの話に戻ると、このモデルは他のニコン機同様エントリーモデルと言っても価格帯としては他よりも若干高めのポジションに位置している。発売時の定価は68,000円と、いわゆる高機能廉価機であるEOS Kissなどが5万円台(59,000円)をキープしたことから考えると実際には半クラス上の価格帯と言えた。


ちなみにF-401は64,000円、F-401Sは61,000円、F-401Xは64,000円(いずれもデートなしの場合)だったので、ニコンのエントリーモデルという観点で見れば価格帯はそう大きくは変わっていないのだが、F-401の登場時は京セラ210AFと並んで価格破壊的ポジションだったのに気がつけば各社のエントリーモデルの中ではニコン機が最も高価になってしまったというのがこの間の時代の移り変わりを感じさせるところである。

 

さて、このF50D、良くも悪くも非常に興味深い操作系の機種である。先進的な面はあるしその考え方はよくわかるのだが、実際の使い勝手はその理想に追い付かなかったのではないかと感じられる面もある。操作系史においては特筆すべき機種の一つである。

 

このカメラの操作系面での特徴を挙げるとすれば

・シンプル/アドバンスのモード切替が存在する

・ドットマトリクス液晶を採用している

・電子ダイヤルが存在しない

といったところだろうか。それぞれ同時期の他社機にはあまり見られない特徴である。


まず、シンプル/アドバンスのモード切替とは何かと言えば、要するに初級ユーザー向けモードと発展的モードの切り替えである。これまでも初級ユーザー向けの操作と中上級ユーザーの操作を分ける試みは各種存在していた。プログラムリセットボタンの設置やモードダイヤル上でのゾーン分けなどである。F50Dではさらにそれを推し進めて、モード選択によって挙動の違うカメラを実現していた。


シンプルモードの場合は初級ユーザーに分からない表示があってはかえって混乱するということなのか、右手側で選択出来るメニュー項目はオートを中心としたものに絞られ、ファインダー内の露出パラメーターや露出バーグラフも消灯する徹底ぶりである。フルオートモード自体はそれ以前の各社にも存在したが、ただ単にオートになるだけでなくカメラのインターフェース自体が大きく変化するのはF50Dが初めてと言って良く、これは現代のデジタルカメラなどにも一部受け継がれている。


ここには、カメラをよく知らないユーザー層であっても簡単に使えるようにはしたいが、一方で簡単にしすぎたり、発展性をなくしてしまうと一眼レフは不要で、コンパクトカメラで十分だと思われてしまうというジレンマが現れていると言える。


そしてこのインターフェースの変更の要となったのが右手側のドットマトリクス液晶である。ドットマトリクス液晶について説明すると、文字通り「ドット(画素)」が「マトリクス(格子状)」に配置された液晶である。これに対して、それまでカメラで使われてきた液晶はセグメント液晶と呼ばれ、予め画素の配置や表示内容は決まっていた。カメラ以外の製品で言えば、昔流行ったゲーム&ウォッチやミニテトリスなどはセグメント液晶で、初代ゲームボーイはドットマトリクス液晶である。決められた数字やアイコンなどの点灯/消灯だけではなく、ドット絵が再現出来るようになることで応用性も広がったということである。実際にF50Dでは各モードのアイコンや数値をドット絵で表現するようになっている。


これだけ聞くと非常に意欲的なカメラに感じるのだが、しかし操作系がその理想に追い付いたかというとやや疑問が残る面もある。


実際の操作について触れると、ドットマトリクス液晶はアイコンが表示できる部分が4箇所用意されていてその4箇所にそれぞれ対応するセレクトボタンが配置されている。このセレクトボタンは、アイコンの選択や数値の上下など、その時々によって振る舞いが変化するようになっている。つまり、同時に表示・選択出来るのは4つまでとなるため、必然的にメニューの階層はある程度深くなるわけである。ちなみにイメージプログラム(シーンモード)は8種類ある。


そしてこのカメラ、なぜか電子ダイヤルがない。これによってページ送りや数値の設定もすべてセレクトボタンで行うことになるのだが、これらの合わせ技によって、イメージプログラム8種類のうち、ページによっては候補として同時に画面に出せるのは2種類だけであとの二つはページの送り戻しアイコンに使われてしまったり、露出補正をしようとするとセレクトボタンを何度も押すことになってしまうのである。もし電子ダイヤルがあればページ送りはそちらに任せたり、露出補正の数値自体のセットはダイヤルを回せば済んでいたと思うのだが、このカメラではいずれもボタンでしか設定は出来ない。このため、アドバンスモードで凝ったことをしようとすると途端に操作ステップ数の多さを感じることになる。


参考までに、よくある逆光で露出補正を+1.5EVするケースでは撮影スタンバイ状態から7回ボタンを押す必要がある。わざわざ数えた筆者も筆者だが、まぁ、そういうカメラなのである。ちなみに途中でボタンを押し間違えるとセットされないので最初からやり直しになることもある。

 

ニコン F70D。こちらも操作系が刷新された


同時期に発売されたF70D(1994年)もまた、これまでのニコンの中級機とは異なる考え方の操作系を持つカメラであった。これ以前のニコンの中級機はF-801Sだったが、操作系の面から言えば先に挙げたF90が直接の後継機と考えられる。ただF90は価格もアップ(F-801Sの98,000円に対し128,000円)していたため、価格面で同クラスを引き継いだのは定価95,000円のF70Dというわけである。


このF70DもF50Dとは違った形ではあるが液晶が特徴と言って良いだろう。グリップ側の液晶は当時の一般的な液晶とは異なり、背景部分が4色のカラーで塗り分けられている。これは各機能ゾーンの塗り分けでもあり、ボディ上の各機能ボタンの色とも合わせられている。つまり機能と色が対応しているわけだが、これを機能的とみるかゴチャゴチャしていると見るかは人によるだろう。


中でも最も重要なのは緑色のゾーンとボタンであり、これがこのカメラの機能のほとんどを司っている。右手側液晶で言えば扇状のゾーン、左手側のボタンではFUNCTIONとSETボタンがそれに当たる。このカメラの操作方法を言葉で表すのはなかなか骨が折れるのだが、FUNCTIONボタンを押しながら電子ダイヤルを回すと扇形の下にカーソルが現れるのでそれで大項目を選択し、続いてSETボタンを押すとその大項目内でパラメーターが変化するようになるので電子ダイヤルで選択してセット、という流れである。


要はニコンでも階層化された操作を取り入れたわけだが、さらに色分けとボタン形状の工夫(FUNCTIONボタンは液晶の緑エリア同様、扇形を模している)がされているというあたりが新しさであろうか。ちなみにFUNCTIONボタンを押さずにSETボタンを単独で押すとセルフタイマーとなり、パラメーターをセットしようとして意図せずセルフタイマーにセットしてしまうこともある。この点については現役当時から不評だったようだ。


F70Dのこの方式の利点としては、カメラがどのような状態にあるのか、どのような機能がセットされているのかセグメント分けされて液晶にすべて表示されているという点にある。おそらくメーカーとしての狙いもこの一覧性の高さにあったのではないかと思われる。


しかしその代わり、ほとんどの機能に対して必ずFUNCTIONボタンを押してからでないとアクセスできない、操作ステップ数の増加という問題が生まれてしまった……そう、この問題自体、古くはα-iシリーズで発生したのと同じ問題である。表示方法こそ違うものの、大項目の選択→詳細のセットという手順自体はα-7700i等と共通であり、階層化による操作ステップ数の増加はその当時から認識されていた。


F70Dは感度設定のようなほとんど弄らない項目と露出補正や露出モード変更といった多用しそうな項目がいずれも同じ操作にまとめられており、ダイレクトなボタンも少ないため、F50Dとは違った意味で操作ステップの多いカメラという印象を受ける。

 

F50DやF70Dの発売された1994年頃といえば、他のメーカーは階層化や多機能化を一通り果たした結果、やはり操作の重み付けによってダイレクトなボタンやレバーが必要であると認識し、それがダイヤルとレバーのクラシック操作に結実し始めた時期である。そう考えるとニコンのこうした試行錯誤はやや周回遅れの面が否めない。また、この時期においてもニコンは絞り優先モードでは絞りリングを用いており、結果としてクラシック操作とも合致しているが、これは各社のような経緯を辿った末に回帰したというわけではないのは先に述べた通りである。


ただ、こうしたF50DやF70Dといった機種が目指したもの自体は現代にも通じているのではないかと筆者は考えている。F50Dのドットマトリクスによる高度な表示やユーザー層別の機能切り替え、F70Dの各機能を一覧にまとめカメラの動作状況を一画面にまとめるというアイディア自体は、非常に真面目に考えられているし現代のカメラと通じるものもあるのではないかと感じる。


これらの機種の不評もそれを支えるボタンやダイヤルが必要以上に削減されたからだったり、そもそも液晶のサイズや解像度が期待する機能に対して不十分だったからだという面も否めないからである。なお、ニコンのバラバラだった操作系はこの世代を最後に大改革を受けて統一されることになるのだが、それはもう少し後のお話である。


さて、90年代半ばから後半のAF一眼レフといえばもう一つ大きな潮流が存在する。それが新規格たるAPSに対応したAPS一眼レフである。結果としてAPSが本流になることはなかったのだが、それでも当時の一眼レフ各社は来たるべきAPS時代を睨んで(?)35mm判だけではなく、APSにも一眼レフシステムを投入していた。ただし力の入れ具合は各社によって異なっている。


APSの目的というものはフィルムとカメラはもちろんDPEシステムも含めたカメラ産業全体の刷新にもあったわけで、そういう意味では順調に発展していけば35mm判は過去のものとなり、いずれ上級者向けのカメラも含めてAPS化される可能性は十分にあった。


とはいえ、当初喧伝された小型軽量やフィルム装填が簡単といったAPSのメリットは初級ユーザーに響く内容が多く、実際にAPSカメラもそうしたユーザー向けのコンパクトカメラが先行していた。一方でフィルムサイズの縮小や新規格故のフィルム種類の少なさなどは中上級ユーザーにとってはマイナスであり、こうした点から比較的上級者向けのカメラと言えるレンズ交換式の一眼レフまでAPSで置き換えられていくのかまでは不透明であり、将来が読みづらかったと言える。


こうした中で、APSレンズ交換式一眼レフという市場に最も前のめりだったのがミノルタであったのは間違いないだろう。APS一眼レフ専用に新マウント(ミノルタVマウント)を導入したのはミノルタただ一社だけである。キヤノン・ニコンはそれよりも穏当で、基本的には既存のマウントを共用するAPS版という形で各機種が発売された。ペンタックスは内部的に検討はされていたらしいが、結局APS一眼レフを発売することはなかった。つまり、APSの一眼レフというのは上記の三メーカーだけしか取り組まなかったことになる。余談だが、この三メーカーというのはAPS規格を立ち上げた五社連合のうちのカメラメーカー側三社でもある。


先に結果から言えば、APSは一眼レフどころか既存のコンパクトカメラを完全に置き換えることも出来なかったのだが、一方でまったくの鳴かず飛ばずということもなくそれなりには普及した。ただ、全体としてフィルムの主流は最後まで35mm判であり続けたというのは間違いないところである。


さて、そんなわけで個別に紹介する前からAPS一眼レフの命運については既に明かしてしまったが、一方で新規格に対応し新時代のカメラとして世に出た為、既存の一眼レフとは異なるチャレンジをした機種も多い。ここからはそうしたAPS一眼レフについて簡単に紹介していく。


[各機種発売時期] 

96年6月 ミノルタ VECTIS S-1

96年10月 キヤノン EOS IX E

96年12月 ニコン PRONEA 600i

97年6月 ミノルタ VECTIS S-100

98年3月 キヤノン EOS IX50

98年8月 ニコン PRONEA S


APS一眼レフの特徴は既存の一眼レフとは異なるデザインを指向した機種が多いことにある。PRONEA 600iのみ既存の一眼レフに近いデザインを残しているが、それ以外の各機種についてはファインダー形式やデザイン上の工夫などで、ペンタプリズム部を象徴とするいわゆる一眼レフらしいデザインを回避している。フィルムサイズの縮小によるシステム全体としての小型化と併せて、既存の一眼レフとは別のユーザー層を掘り起こそうとしていた表れであろう。


また、各社の新機軸としてミノルタはシステム全体での生活防水対応(当時防塵防滴対応はプロ機や最上位機で謳われる程度だった)や、キヤノンでは同時期のヒット作であるIXYにも通じる金属ボディが採用され、あまり小型軽量イメージのなかったニコンもPRONEA Sで当時の世界最小最軽量を実現していた。これらもまた各社の主力一眼レフシリーズとは違った特徴を持たせることになった。


そして操作系の面での大きな違いとして、フィルム装填がカートリッジ式になり裏蓋が大きく開く必要がなくなった上に、小型化がAPSのアピールポイントだったことから、各社共にボタンや液晶を背面に配置することになった。これまではカメラ背面(裏蓋)にはキヤノンが電子ダイヤルを配置していた程度だったが、これ以降カメラ背面は操作系の面でも重要な部材になっていく。


左:ミノルタ VECTIS S-100、右:ミノルタ VECTIS S-1

 

各シリーズについて簡単に紹介していくと、APS一眼レフのトップバッターはミノルタのVECTIS S-1である。VECTISシリーズはミノルタのAPSカメラ共通のブランドであり、その中でSシリーズが一眼レフのシリーズ名ということになる。このVECTIS Sシリーズは新マウントであるVマウントと特殊なファインダー光学系によるフラットな天面を引っ提げて登場した。操作部材は同時期のα-303siを思わせるPリセットボタン付きモードセレクトレバーを中心に組み立てられており、操作系と液晶はすべてボディ背面側にあってボディ天面は完全にフラットに仕上げられていた。こうした特徴は廉価版のS-100でも同様となっている。Vマウントに合わせて専用レンズも新規に発売されており、その中にはAF反射望遠レンズなども含まれていた。


なお、Vマウントはいわゆる完全電子マウントであり、Aマウントに残っていたマウント内の絞りレバーやAFカプラ等の機械的な連動は廃されている。またこうした点からサービスセンター等でごく限られたユーザー向けにマウントアダプターが販売されたものの基本的にレンズの互換性は無いと言って良い。ミノルタが96年時点の知見で新たに一眼レフのマウントを策定するとこうなるという意味で、Aマウントとの相違点は興味深いところである。

 

左:キヤノン EOS IX50、右:キヤノン EOS IX E

 

キヤノンのEOS IX Eは先の通りSUSによる金属ボディが印象的な一台で、こちらはVECTIS Sとは異なりファインダー形式自体は通常のペンタミラー式なのだが、デザインの妙もありこれまでのペンタプリズム式一眼レフとは異なる印象を持たせることに成功している。マウントは35mm判と共通のEFマウントであり、交換レンズがそのまま使えることもアピールしていた。実際、発売当初は既存のEF24-85mm F3.5-4.5USMがキットレンズとして指定されており、また1998年のIX50の登場時に用意されたEF22- 55mm F4.5-5.6USMも広角側が広げられているが通常のEOSシリーズ(フルサイズ)でも使用可能なレンズとなっていた為、厳密に言えばキヤノンはAPS専用レンズを発売していないということになる。そのIX50はKissシリーズのAPS版といったポジションのボディであった。


左:ニコン PRONEA S、右:ニコン PRONEA 600i


これらとはやや異なる──といってもニコンが独自路線なのはこの連載においてはいつものことなのだが──動きを見せたのがニコンで、初のAPS一眼レフであるPRONEA 600iは各社のライバル機からすれば非常にコンサバというか、伝統的な一眼レフの形を色濃く残していた。とはいえ、実はこの600iも操作系面では見所が多い。背面に液晶をまとめたのは他社同様だが、この時期としては非常に大きなサイズの液晶を採用しており、またAPS専用レンズであるIXニッコールから絞りリングが廃されたことに伴い、露出制御は前後2電子ダイヤル方式となった(前後2ダイヤルの搭載自体は同年10月のF5が先行)。実はF50DやF70Dの影響も色濃く感じさせており、それらに対して露出補正ボタンが独立するなど実は細かなリファインを受けている。そして続くPRONEA Sではスタイリングをガラッと変えて女性ユーザーを重視しており、ある意味ではニコンらしくないカメラとなった。


というわけで、各社のラインナップに共通するのは先行する中級機(高機能廉価機寄り)とそれを追った廉価機との組み合わせであり、その展開も96~98年頃の概ね二年間に収まっている。そしてこのラインナップは結局それ以上広がることはなく、また新たにAPS一眼レフに参戦するメーカーも増えなかった。もちろん高級機やプロ向けの一眼レフが出ることもなかったのである。


しかも皮肉なことに、APSで生まれた技術は35mm判にも一部フィードバックされることになり、APS独自のアドバンテージたり得なくなってしまった。この例としてよく知られているのが、当初APS独自の新機能であったインデックスプリントが、その後35mm判の現像時にも付属するようになったことだろう。それ以外にもフィルムサイズの縮小を補おうとした各フィルムメーカーの高画質化技術がより面積の大きい35mmにも転用された結果、どちらも同様に改善されてしまったという話を聞いたことがある。そして本稿で主に扱う操作系でのAPSの影響は、カメラ背面の活用と液晶の大型化というトレンドの道筋を付けたことだろうか。これらも別にAPSでなければ実現不可能というわけではなかったので、そのまま35mm判AF一眼レフのトレンドとして継続することとなった。


また、本稿ではこれまで触れてこなかったものの、この時期になるともはやデジタルカメラの存在を無視することは出来なくなっていた。歴史に名を残す現代的デジタルカメラの祖であるカシオ QV-10の発売は1995年だが、この時わずか25万画素だった画素数は1998年頃には既にメガピクセル(100万画素以上)に到達しており、画質面でもコンパクトカメラの置き換えになると認識されはじめていた。APSにしてみれば35mm判は並行して進化し続けているし、かと思えば背後からはデジタルカメラが猛烈な勢いで追ってくる……というわけである。


このように足下では急速なデジタル化が進行中であったが、レンズ交換式一眼レフについてはその特性上高画質と大型センサーの搭載を求められるという事情もあり、デジタル化は限られたプロ向けの機種が散発的に発売されるに留まっていた。この時代のデジタル一眼レフといえばコダックのDCSシリーズなどに代表される業務用機ばかりで、縁遠いどころか、少なくとも一般ユーザーには無関係なシロモノだったのだ。


こうして20世紀末にはフィルムカメラは円熟期を迎えることになる。写真用フィルムそのものの生産量のピークも2000年頃であり、まさに絶頂期であった。次回はそんな時代に生まれたカメラたちへと話を進めていく。


もっとも、結果としてそれらはAF一眼レフ最後の輝きとなってしまうのだけれど。

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