キヤノンEOS 650
T80以降AF一眼レフについては沈黙を守っていたキヤノンから、1987年ついに完全新規のAF一眼レフシステムが発表された。その名もEOS 650。そしてこれが、現代まで続くEOSシリーズが始まった瞬間であった。EOSの名は電子技術と光学技術の融合を示すElectro Optical Systemの頭文字とギリシャ神話に登場する曙の女神に掛けられており、まさしくキヤノン一眼レフにおける新時代を予感させるネーミングであった。
EOS 650デビュー当時の広告でアピールされているのはなんといってもAF性能であり、それらは「新開発のAFセンサー」「レンズ内モーター」「完全電子マウント」の組み合わせにより実現した……とされている。また、この時点ではまだαシリーズには搭載されていなかった多分割測光が搭載されているのも大きな差別化要素と言って良いだろう。ただ、一番のトピックはやはりFDマウントを捨て、新たにEFマウントを採用したことにあったと言える。もちろん完全新規のマウントなので、既存のFDマウントとの互換性はない。先行するミノルタ、京セラに続いて、キヤノンもまたマウントの変更を選んだことになる。
さて、話は少々先走るようだが、このEOSシリーズはこの後各社のAF一眼レフと激しい販売合戦を繰り広げ、ついにはAF一眼レフの覇権を握ることになるシリーズでもある。ではそれを実現したEOSの優位性、先進性とは何だったのだろうか? この問いに対する答えは、現在ではボディとの機械的連動部を持たず、絞りやAFモーターといった各種のアクチュエーターをレンズ内に内蔵し、ボディと電子接点のみでやりとりする──いわゆる完全電子マウントをいち早く実現したことにあると言われている。
実際、2023年現在まで残っている他のAF一眼レフやミラーレスシステムは皆完全電子マウントを採用しているし、驚いたことにかつてAF一眼レフで既存マウントを堅持したニコンFやペンタックスKでさえ、最新仕様では絞りリングなし・電磁絞り・レンズ内AFモーターの完全電子マウントと言って良い仕様になっている。これらを考えると、こうした仕様を1987年に実現してのけたEFマウントの先進性は誰もが認めざるを得ないだろう。また、現在では各社で一般的な超音波モーターに関してもEOSシステムで初めて実用化に成功しており、ある時期まではEOSの専売特許と言える強力な売りの一つであった。
そして、本稿のメインテーマである操作系やそれに付随するデザインといったテーマでも見所は多い。1987年はこのようにEOSシステムが投入され、翌1988年には先行するミノルタがいち早くα第二世代機となるiシリーズを投入したが、これらのカメラはAF一眼レフの競争が新しいフェーズに入ったことを感じさせるものであった。
筆者の考える新世代機のポイントはいくつかあるが、まずはEOSの特徴から見てみよう。真っ先にわかるEOS 650の外見上の特徴は、それまでのAF一眼レフよりも角が取れて丸っこくなった外観である。キヤノンのAF機という意味で前世代機にあたるT80や、ライバル機であったα-7000と比べると、角が取れて全体的に柔らかい曲面的なデザインになっている。
なお、当時のキヤノンのデザインポリシーは「人に優しい」だったそうだ。過去の回で取り上げたミノルタのそれは「多機能にしてシンプル」であったが、こうしたポリシーや方向性の違いが、実際のカメラにどのように反映されたか考えてみるのもまた面白い。
ただし曲面的なデザインについては同じキヤノンでもEOS 650以前の先行例がある。それは先に挙げたT80の上位機として生まれたT90(1986年)である。見方によってはこちらの方がEOS 650よりも曲面的で有機的なデザインとなっているが、このデザインの原案がルイジ・コラーニの手によることは有名であり、またこのカメラが後述するEOS-1の原型と見る向きも多い。
T90からEOSに受け継がれたもう一つの要素は電子ダイヤルである。この電子ダイヤル、現代のカメラではほぼ標準装備となっている操作部材であるが、その特徴は「操作量の多少に関わらず送りやすく止めやすい」ということにある。
EOS650の電子ダイヤル
どういうことかというと、カメラのパラメーター操作は少量(露出補正等)で済む場合もあれば、絞りやシャッタースピードの調整などで時に多量に送る場合もある。このような時に既存のシャッタースピードダイヤルや絞りリングであれば目標値に目掛けての操作がしやすいのだが、仮想化されたパラメーターでは順繰りに送ってピタリと止める操作が必要となる。
この時、ボタン操作だと少量の変更には良いが、多量の操作では連打することになる。また仮想化されたパラメーターでは「目標値を目掛ける」ことが困難なので、目標値前後での行き戻りも発生する。何よりあまり直感的ではない。
こうした問題を解決する方法がエンドレスに回転し、早く回せばその通りに追従する電子ダイヤルだったのだ。多くの場合で露出表示のバーグラフと回す方向が連動することになるため、直感的でもある。実際にキヤノンの技術者も次のように述べている。
- (筆者注・T70等でのボタン操作方式について)このボタンは重要なだけに押し圧、ストローク、感触など十分に吟味させたものであるのだが、ディジタル表示との組み合わせでもどうしても不満の残る場合がある。設定値からの変化量が少ないときは実に心地良いのだが急いで大きな変化をさせたい時にとてもまだるっこしくて、また機械式ダイアルのように変化させるべき量をアナログ的に事前に把握することが出来ない。この点を少しでも改善しようとしたのがT90 以来EOS にも採用している電子ダイアル方式である。(中略)速く変えたいとき速く、逆方向への切換えは単に逆に回せばいいし、パラメータの増加は右まわしに減少は左まわしにというように素直に人間の感覚にあった操作感が得られる。
- [福島忠栄, 一眼レフカメラのデザイン 感性を切り取る道具に込める感性,『日本機械学会誌 第91 巻 第838号』,P34, 日本機械学会,1988]
かくして、この電子ダイヤルは他メーカーも認める部材となり、AF一眼レフはもちろん現代のレンズ交換式カメラにも継承された重要部材となっている。
また、T90や EOSでは操作ボタンの一部をフタの中に隠したり、一部ボタンの同時押しによって割り付け出来る機能を増やしている。第一世代のαやそのフォロワーが基本的には一機能一ボタンを守っていたことを考えると、これは操作系における大きな違いと言えるだろう。一機能一ボタンを厳密に守るとすれば、多機能化するほどに操作部材は増えていくことになる。これをどのように解決するかは以降の操作系のテーマでもあるからだ。
EOSシリーズは1987年にEOS 650が発売されたのを皮切りにαに追いつけ追い越せとばかりに猛烈な勢いでそのラインナップを増やしていった。先行するαが発売から3年間で3機種(9000,7000,5000)だったところ、EOSは87年から89年までのおよそ3年間でなんと8機種である。まさに怒濤の攻勢と言ってよいだろう。
※ここではクオーツデート付きは独立機としてはカウントしない
- 1987年3月 EOS 650
- 1987年5月 EOS 620
- 1988年10月 EOS 750
- 1988年10月 EOS 850
- 1989年4月 EOS 630
- 1989年9月 EOS-1(EOS-1HS)
- 1989年10月 EOS RT
キヤノンEOS-1
キヤノンEOS RT
大まかに言ってプロ向けのEOS-1がパワードライブブースター(いわゆる電池グリップ)の有無で2機種、中級機の6××シリーズが機能別に4機種(ここにはペリクル機のRTも含む)、そして廉価機の850/750が2機種と言ったところだが、捲土重来に向けてなりふり構わずラインナップを拡大した事が見て取れる。
そして、ここでEOS-1が生まれていることからも分かる通り、いわゆるプロ向けとされる一眼レフも90年代を待たずしてAF化されている。キヤノンは先の通り1989年にEOS-1を、プロ向けもう一方の雄であるニコンはひと足先となる1988年にF4を登場させている。
ニコンF4
この2機種についてはここで解説しなくとも有名であるし、詳細な解説は他に譲るが、揃って指摘されるのがその明確な思想の違いである。曰くEOS-1はデザイン面ではT90からの影響を強く感じさせながらも、新システムらしくAFの存在を前提としたAFカメラらしいAFカメラ、一方のF4は F一桁という伝統を背負い、MFカメラにAF機能が付いてきたようなカメラだと称される。特にF4はAFカメラとしては珍しくボディ側に液晶を持たず(ファインダー内のみ)、それまでのMFカメラに似て多数のダイヤルとレバーを駆使する操作系であった。もちろん、当時のニコンの他のAF一眼レフとの操作上の共通点は皆無に近い。
また、一方のEOS-1の操作系上のトピックは、なんといっても裏蓋への機能配置である。それまでシングルダイヤルだったEOS 6xxに対して、EOS-1ではプロ機らしくダブル電子ダイヤルを装備しているが、追加された背面側ダイヤルの配置場所はこれまで操作部材の置き場となり得なかった裏蓋であった。そういった意味でもEOS-1は電子化の申し子であり、AFカメラらしいAFカメラだったと言える。
一つ言えることは、たとえどちらの方向性であっても、これまでプロ向けに強いとされていた二社がいずれもそのプロ向けラインをAF機に切り替えた以上、一般ユーザーだけではなく、プロユーザー向けもAF機が本流になったということである。
そしてこれらと並行し、キヤノンEOSとほぼ同時(1988年3月)にペンタックスからもSFXが発売されており、これで当時のMF一眼レフ6大メーカー(オリンパス・キヤノン・京セラ・ニコン・ペンタックス・ミノルタ)の全てから一眼レフシステムが発売されたことになる。AFモーターの配置は当時の主流であるボディ内方式を採用しているが、一方マウントはKマウントとの互換性を堅持したKAFマウントを採用している。またこの時点のペンタックス機は絞りリングの使用を前提とした操作系となっており、こうした意味でもMF一眼レフとの連続性を保っている。ただし、レンズ側にAポジションが存在することからプログラムモードへの切り替えは比較的分かりやすい。
ちなみにペンタックス SFXもまた当時のAF一眼レフとしては十分な性能を持っていたし、本格的なAFシステムカメラとしてペンタックスの記念すべき第一号機ということになるのだが、いかんせんこのSFXや以降のSFシリーズはペンタックスのAF一眼レフラインナップ全体から見ても影が薄い。この後のZシリーズに繋がるペンタプリズム部への液晶搭載など見るべきところはいくつもあるのだが、広告などを見る限りでは当時の一番のウリはストロボ内蔵だったようだ。
AF一眼レフへのストロボ内蔵は当時のαに無い要素として各社で手っ取り早くウリになると考えられたのか、これ以前にもペンタプリズム部に脱着式の京セラ AF-230(1986年)やストロボ内蔵グリップを用意したオリンパス OM707(1986年)が先行していたが、これらはTTL連動ではなかった為、SFXのそれはTTL連動でAF一眼レフ初……ということであった。そしてSFXで提案されたペンタプリズムへのリトラクタブル式格納ストロボは格納時のスマートさもあり、以降のカメラで標準的な仕様となり現代に至っている。つまり、これもまたAF一眼レフの時代に生まれ、現代まで引き継がれている要素の一つである。そういう意味ではSFXもまたしっかり後世に影響力を残したカメラであると言えるだろう。
なお、EOSとSFXにはその後の(他社含めた)AF一眼レフのスタンダードとなる仕様が存在する。それはリチウム一次電池の採用である(以下単にリチウム電池とする)。EOS 650は2CR5を、SFXは2CR5の他に形状違いのCR-P2にも対応していた。
※ただし、実は最初にAF一眼レフにリチウム電池を採用したのは1986年の京セラ 230AFである。本体から電源を供給する脱着式ストロボが付属するということもありリチウム電池が採用されたのだと思われる。このためかストロボの付属しない兄弟機である200AFは乾電池仕様となっている。
リチウム電池は小型軽量で大容量大出力が得られ、電圧も安定しているなど、入手性と価格の高さを除けばカメラの電源としては最適であった。EOS以前にも一部のコンパクトカメラでは半ば内蔵電池的に使用されていた例があったが、これらの利点からAF一眼レフカメラにも採用されるようになったのである。
当時の先行するAF一眼レフは単三ないし単四乾電池を4本使用するものがほとんどで、カメラの中でそれなりに場所を取っており、各メーカーその配置には頭を悩ませていた。なお、ワインダーを内蔵しないα-9000は単三乾電池2本となっていたので、4本もの電池はAFというよりはワインダーのためにあったことが伺える。
しかし、リチウム電池であればそれらよりもコンパクトでデザインや機能への影響も少なくなるため、以降のAF一眼レフカメラにおいてはリチウム電池使用モデルがスタンダードとなった。当初は乾電池仕様であったα-7000にも追加でリチウム電池に対応したグリップが登場してるくらいである。
ただし、そうは言ってもリチウム電池は当時比較的新しい電池であり、日本はともかく海外での入手性の問題もあり、これ以降も乾電池の採用を続けたメーカーもあった。この辺りは各メーカーで何を優先するかという話でもある。
なお、ここで一つ余談を述べると、リチウム電池のもう一つの利点は乾電池につきものの液漏れが起きないことである。また、弱点としては先に述べた通り価格が高いことがある。この二つの要素が組み合わさった結果、ある時期以降のAF一眼レフは「液漏れによる直接的な故障が無くても新品電池が高いのでコスパが悪く、古くなると壊れてなくてもジャンク扱いで店頭に並ぶ」という状況に陥ってしまった。逆に、α-7000など乾電池仕様のカメラでは液漏れによってジャンク化してしまったものも多い。
現在、AF一眼レフには一部の高級機以外ほとんど市場性がないが、それでも動くジャンクが豊富にあり格安で入手しやすいのは、実はこうした理由もあったりする。
さて、こうして一通り役者が揃ったところで、先行したミノルタは1988年にα第二世代機と言えるiシリーズを投入することになる。次回はこのiシリーズにスポットライトを当て、新たなAF一眼レフの潮流について解説していくこととする。
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