前回は高機能廉価機の登場によりそれまでの各社の主力であった10万円前後の中級機はターゲットユーザーが狭まることとなり、製品としても方向転換を迫られたというところまで述べてきた。
初級ユーザーの多くがコストパフォーマンスの高さから高機能廉価機に移行した以上、それらよりも高価な価格帯の中級機は、カメラにより多くの金額を支払う用意のある中上級のユーザーをターゲットにせざるを得なくなった──つまり、カメラ好きのためのカメラを目指す羽目になった──のである。そしてこのターゲット層の転換は、操作系にも大きな影響を及ぼすことになった。今回はそのあたりの変化について述べていきたい。
さて、これまでの中級AF一眼レフの操作系は基本的にはα-7000以降の液晶+機能ボタンというものであり、カメラの高機能化に伴い段々とメニューの階層化がなされていった。当初一ボタンに対して一機能だったものが、その時々に応じて各ボタンの振る舞いが変わるようになったり、複数回ボタンを押すことで機能を選択するようになったのである。
この階層化は限られたボタンで多機能を実装するためには都合がよかったが、その分操作のステップ数も増すことになった。ボタンが少ないため見た目はシンプルなのだが、ダイレクトな操作ではなくいちいちメニューを呼び出しての操作になるため、考えようによってはより複雑になったとも言えるのだ。
この考え方によってカメラ本体の目に見えるボタンを減らし、操作の階層化を進めたカメラの代表例がミノルタα-xiシリーズである。中でもα-7xiでは露出モード切替等の主要な機能であってもまずFUNCボタンを押してメニューを呼び出してそこから各機能を選択する仕組みとなっていた。もちろん当時のミノルタにしてみれば各種オート機能が強化されているので基本的にはそちらに任せれば良いという考えだったのかもしれないが、このα-xiシリーズはオートズーム等と併せて当時のユーザーからNOを突きつけられたというのは以前述べた通りである。
さて、以下は筆者の私見であるが、カメラの操作とそのためのインターフェースには
1.いつでも反応が必要な操作
2.1ほどではないがカメラを構えている時速やかに必要な操作
3.ファインダーから目を離している時に出来る操作
……のような、撮影時の重要度による重み付けが存在するのではないかと思っている。
いつでも反応が必要なものはシャッターや電源といった撮影の根幹に関わる操作だし、カメラを構えている時に必要なのは露出パラメーターの変更や露出モード・測光モードの変更といった「どう写すか」の設定である、そしてファインダーから目を離している時に可能なのは機能カスタマイズなどの込み入った設定である。これらのうち2番目と3番目は時代やカメラによってどちらに位置付けられるか変わることもあるが、要はカメラには「可及的速やかに行いたい操作」というものが存在し、それらが階層の深い場所に収まっていたり、すぐに変更出来ないような設計になっているとストレスを感じるという話である。
また、AF一眼レフにおいてこうした操作と対になるのが表示装置であり、これらを司るインターフェースとしての液晶も現代のように多彩な表示が出来る代物ではなかった。当時の液晶はあらかじめ表示内容が決められたセグメント液晶であり、数値についてもいわゆる電卓のような表示だったためその表示内容にも制約が多かった。複雑な操作にも関わらず貧弱な表示は、これもまた使いにくさを感じさせるポイントであった。
いずれにせよ機能が増えるほどにカメラの操作は複雑化してしまい、操作も直感的とは言い難くなってきた。しかし、中級機が中級機たる所以はその高機能さにもあり、そうした機能も使ってもらえなければ意味がない。よって、各社は今まで以上に高機能と操作性の両立を求められるようになったのだ。
このような経緯があり、ミノルタはα-xiシリーズに続くα-siシリーズで、まさしくα-xiシリーズからの反省とも取れるような改良を加えてきた。そのトップバッターとなったのが、α-707si(1993年)である。siはSimple Intelligenceを表しており、その名の通りシンプルさを意識した操作系へと改められた。また全体的なデザインも曲線を多用し特異な横長スタイルだったα-xiから適度に角張ったカメラらしいスタイルへと戻されている。
ミノルタ α-707si 再度コンサバな方向へ振り直された
α-707siの操作系面からの特徴を一言で言えば、階層化され複雑化してしまったxiシリーズの呼び出し式操作を改め、ダイレクトな物理ボタン中心の操作系へ回帰したことである。当時の広告には「スムーズで、しかも素早い操作のための操作ボタンの独立と的確な配置」とあり、実際に各種の操作キーはxiシリーズに比べると大幅に増やされている。
例えば、α-7xiではFUNCボタンからの呼び出しで「露出モード」「露出補正」「AFポイント切替」「測光モード切替」を行っており、それぞれ単独の機能キーはなかったが、α-707siにおいてはそれぞれMODEボタン、露出補正ボタン、AFボタンがカメラ表面のすぐ触れられる位置に独立して配置され、測光モード切替もインテリジェントカードのドア内に設けられた。各機能はこれらボタンと電子ダイヤルの組み合わせでダイレクトかつ即座に切り替えるように改められたのである。
また、左手側には大きな登録レバーが設けられ、各種パラメーターのユーザー登録機能が大々的にアピールされることになった。よく使う設定をワンタッチで登録しておくことで、各々の使いやすいカメラにカスタマイズ出来るわけで、これはある程度カメラを使いこなす中上級ユーザーへ向けた機能の一つだった。
ユーザー登録機能自体は先行例としてペンタックスZ-1等にも存在していたし、ミノルタ自身も過去のモデルでインテリジェントカードによって一部の機能でユーザーカスタムを実現していたが、登録レバーという専用のインターフェースを設けて操作系の中に取り込んだのは珍しい。ただ、専用レバーは多くのユーザーにとっては大げさだったのか、これ以降の世代では消滅している。
……このように、操作系の面では大改革となったα-siシリーズであったが、その操作系面を除くと、実は不評であったα-7xiとα-707siのスペックは意外に変わらなかったりする。多分割測光、多点(4点)AF、最速シャッター速度1/8000秒など基本的なスペック自体は同等だったし、連写コマ速は若干スペックダウンしてすらいる(4→3コマ/秒)。また、以前ほど大々的に謳われることはなくなったが、電動ズームやインテリジェントカードについても引き続き対応している。
以前であれば大々的に広告に踊っていたであろう目玉になる新機能もそれほどなく、実際に広告では実直な操作系の改善をアピールしていた。つまり、カメラとしての基本機能は実はα-7xiの時点で十分に成熟しており、α-707siはその見せ方を変えただけとも言えるのだ。
そしてこの改良は一定の評価を受け、α-707siは当時のカメラグランプリを始めとした各種のカメラ賞を受賞している。こうしてみると、α-7xiは見せ方がまずかっただけで実は十分な性能を持つカメラだったのではとも言いたくなるし、あるいはわかりやすいカメラの性能向上は、この頃既に頭打ちになっていたと言って良いのかもしれない。
そして、ミノルタは中級ユーザーに向けてさらに異なる操作系を提案する。1995年2月にはダイヤル&レバーによるクラシックオペレーションを掲げたα-507siを発売したのである。こちらはこれまでのαシステムの操作系とはまったく異なる考え方で作られており、軍艦部にはα-9000以来となるモードダイヤルと露出補正ダイヤルのツインダイヤルが備えられていて、主要な機能選択はすべてカメラの表面にダイヤルかレバーという形で露出していた。すなわち、かつてのMF一眼レフのような操作系をリバイバルしたのである。
ミノルタ α-507si 軍艦部のツインダイヤルが特徴的
もちろんαシステムは絞りリングがないことも特徴だったため、撮影時のパラメーター設定までMF一眼レフ風に戻すことは出来ず、電子ダイヤルと液晶でセットするものでここは従来のαシステムを踏襲していた。しかしカメラ本体の機能はいずれもダイヤルもしくはレバーで設定するようになっており、これまでのように液晶に集中表示される方法ではなくなっている。この仕組み上、αシステム伝統のP(プログラム)リセット機能はなくなったが、代わりに各ダイヤルやレバーを水平位置に揃えればフルオートになるという配置が取られた。
天面のダイヤル&レバーを一直線に揃えると最も標準的な設定になる
α-505siではなくα-507siというちょっと変わったネーミングも、価格としては5番台(α-707siの定価95,000円に対し定価75,000円)だがスペックは7番台に近いというやや上位ポジションにあることを示しており、仕向け先によってはもっとストレートに7番台直下のモデルとして600siを名乗る例も見られた。ちなみに、7番台との差別化のためかインテリジェントカード非対応であったりファインダー挟み込みの液晶表示は省かれていたが、ファインダーに関してはかえってこちらの方が見えが良いという意見もあったようだ。
ただ、このα-si世代でこうして二つの異なる方向性の操作系が生まれたものの、この時期の主流はあくまでもボタン+液晶+電子ダイヤルのα-707si方式であった。これは下位機種であるα-303si(1994年)や久々の8番台となったsi世代の最上位機種であるα-807si(1997年)がこちらの操作系を採用したことからも明らかである。α-507siはこの世代において主流になることはなかった。しかし、こうして操作系を練り直したα-siシリーズのカメラ好き層からの評判は、どちらにしてもα-xiシリーズよりはずっと良かったようだ。
こうして、αシリーズの操作系は操作ステップの多い呼び出し式・階層型からダイレクトなボタン式への回帰を見せ、さらにダイヤル&レバーという新たな方向性をも模索し始めた。中上級ユーザー……つまり古くよりカメラに慣れ親しんだユーザー向けに、中級機でかつてのMF一眼レフの操作系を範とするクラシックかつダイレクトな操作系を提供するという流れが始まったのである。
こうした中で、さらにダイヤル&レバーの操作系を推し進めたのがペンタックスから1995年11月に発売されたMZ-5である。このカメラは前シリーズたるZ系……それもZ系のハイエンドたるZ-1やボディを共有するZ-5とは明らかに異なる設計思想で作られたカメラであった。かつてのMXやMEを思わせるようなコンパクトなボディの軍艦部にはシャッタースピードダイヤルと露出補正のツインダイヤルが鎮座しており、代わりにZシリーズでペンタプリズム上に陣取っていた液晶は大幅に小型化されて右手側に配置されている。この液晶はほぼ現在の撮影モードとフィルムカウンターを示すだけの慎ましいものである。
ペンタックス MZ-3。MZ-5のヒットを受けて作られた上位版
Zシリーズの操作系面での象徴であったハイパー操作系をはじめとした多機能は綺麗さっぱり廃されており、このカメラがZ-1の直接の後継ではないことは明らかである。実際、シャッター速度一つとってみても1/8000秒を誇ったZ-1に対してMZ-5は1/2000秒止まりであり、そのほかにも突出したスペックはない。もっともその分価格は定価73,000円と低く抑えられていた。
さて、このMZ-5はその見た目もさることながら、操作系も先祖返りを果たしていた。どういうことかと言えば、一度は否定されて消えゆく運命だった絞りリングが再度レンズ側操作の主役に躍り出たのである。先代の最上位機たるZ-1及びZ-1Pにおいては最大の売りであったハイパー操作系を実現するため、シャッタースピードと共に絞りリングもボディ側電子ダイヤルでの操作が基本となっていた。絞りリングは基本的にはA位置でロックして使わないものになっていたのである。しかしMZ-5においてはこの考えは放棄され、シャッタースピードダイヤルと絞りリングでの操作に回帰した。これはかつてのMF一眼レフの操作そのものであり、操作系の完全な先祖返りであった。
α-507siで先行してダイヤル&レバーを掲げたミノルタはレンズから絞りリングをなくしていたが故に露出パラメーターのセット自体は電子ダイヤルを使うことになっていたが、ペンタックスは絞りリングを残していたので絞りリングとシャッタースピードダイヤルという旧来の動作にそのまま戻すことが出来たのである。
そしてこのMZ-5も、そのクラシックな操作系と従来ペンタックスが持っていた小型軽量というイメージの合わせ技でヒットモデルとなった。後にボディはそのままに1/4000秒シャッターの搭載やAEロック追加などの機能アップを果たしたMZ-3(1997年)やAFを外したMZ-M(1997年)といったバリエーションが生まれている。
また、本稿は主に35mm判AF一眼レフの変遷を追っているため少し脱線するが、この時期にペンタックスの中判一眼レフである645シリーズもペンタックス645N(1997年)としてAF化を果たしている。初代のペンタックス645(1984年)がその発売時期から当時のスーパーA的な操作系だったのに対し、AF中判一眼レフとして登場したペンタックス645NはまさしくMZ-5的な操作系となっており、このモデルの操作系が当時のペンタックスにおけるスタンダードとして扱われたことが分かる。
さらにもう一つ、こうした小型軽量クラシック操作のモデルに合わせる形でペンタックスを代表するレンズシリーズの一つであるLimitedシリーズが生まれたのもこの頃(FA 43mm F1.9 Limited:1997年)である。そういう意味でも、このMZ-5に始まるMZシリーズはペンタックスに非常に大きな影響を与えたといえる。
……とはいえ、この操作系はあくまでもカメラをよく知る中上級ユーザーに向けたものであり、MZ-10(1996年)やMZ-50(1997年)といったMZシリーズの中でも下位モデルについてはコンパクトさを引き継ぎつつも、液晶をメインとしたAF一眼レフとしては比較的オーソドックスな操作系を採用していた。また、Z系のハイパー操作系は取っ付きづらさがあったものの理解できれば合理的ということもありこちらを推すファンももちろん存在したのだが、こちらのファンにとっては辛い方向転換となった。
この時期、モードダイヤル+電子ダイヤルという形で既に操作系のスタンダードを統一しつつあったキヤノンにおいては上記ミノルタやペンタックスに比べると大きな変化はなかったが、それでもこの時期に発売された中級機であるEOS55(1995年)は軍艦部ツインダイヤル・ツインレバーを備えており、これまでのEOSよりはダイレクトかつクラシックな操作系に寄せたものとなっていた。
キヤノン EOS55 こちらもツインダイヤルである
(なお、これは筆者の都合で大変申し訳ないのだが本機については掲載日までに綺麗な本体を探すことが出来なかったため手元のジャンクを撮影して掲載している)
つまり1995年には主要一眼レフメーカー中三社の中級機が揃って軍艦部ツインダイヤル&レバー仕様になったわけで、これは非常に面白い現象であった。
また、このEOS55で特筆すべきはその外装である。AF一眼レフはα-7000以来この時期まで、基本的にプラスチックボディ──いわゆるプラカメ──であったのだが、ここにきてEOS55はトップカバーにアルミ材を使用し、MZ-5ともまた違った意味でクラシックへの回帰を果たしていた。当時のカメラ好きにとっての一眼レフカメラといえば、MF時代のカメラ……つまり金属ボディのカメラであり、EOS55のアルミトップカバーは、基本的にはプラカメでありながらも、趣味性の高い金属ボディへと回帰する動きの第一歩であった。
性能面での高機能廉価機の躍進は目覚ましく、スペック上の差はこれ以降も縮まることとなったのだが、その際に両者の新たな差別化要素になったのが趣味性と質感であった。実際、コストダウンを重ねたモデルでは質感までは手が回らないことも多く、中級機との価格差を納得させる要素として質感の向上は有効な手段であった。逆に言えば、もはやそのくらいしか差がなくなってしまったとも言える。
なお、現代のミラーレスやデジタル一眼レフでは金属ボディも当たり前になっており、その材質としてマグネシウムが広く使われているが、当時はまだマグネシウムの採用例はない。マグネシウムボディのフィルムAF一眼レフカメラが現れるのはさらに先の話(EOS-1V:2000年)である。
そしてEOS55の機能面でのウリはパワーアップした視線入力AF(視線入力の初搭載は1992年のEOS5 QD)であった。この視線入力はキヤノン独自の機能としてフィルム時代は比較的力が入れられていたが、デジタルにおいては廃止されてしまいしばらく忘れ去られていた。最近になってミラーレス機であるEOS R3(2021年)で復活したことに驚いた人も多いだろう。
話をフィルム時代の視線入力に戻すと、この機能は当時多点化しつつあったAFポイントをどのように選択すれば良いかという問いに対する答えであった。初代の視線入力機であるEOS5 QDでは5点、EOS55では3点のAFポイントが選択出来るようになっていた。もちろんオート設定は存在するが、手動選択させる場合はユーザーはどのポイントを使用するかを撮影時に瞬時に選択しなくてはならない。
AFポイントの多点化競争はこれ以降もさらに進み、エリアが広く、ポイントが多いほど偉いという空気さえ出てくるが、ポイントが多ければ多いほど、その素早い選択も難しくなってくる。特にキヤノンはAFの多点化に最も積極的なメーカーであり、多点化と選択方法の進化は車の両輪であった。もっとも、視線入力はキヤノンのみの技術であったことから、一般的にはこの問題は別の方法で解決されることになった。これについては次回以降改めて解説する。
ちなみに、この時期のキヤノンの他のモデルはといえば前回も紹介したKissシリーズがあり、またプロ向けモデルとしてEOS-1を全面改良したEOS-1N(1994年)が登場している。EOS-1Nには超高速連写モデルとしてペリクルミラー式で秒10コマを実現したEOS-1N RS(1995年)といった変わり種モデルも存在したが、操作系面においてはプロ向けということもありEOS-1の基本操作を堅持しており、見た目の面でも一目でEOS-1シリーズと分かるデザインを踏襲していた。
なお、これらの動きと前後してAF一眼レフ市場には新たなプレーヤーが参入している。シグマである。MF一眼レフ時代にはM42やKマウントの一眼レフを製造・販売していたシグマだったが、1993年には独自のAFマウントであるSAマウントを立ち上げ、その第一号機としてSA-300を発売している。SA-300はレンズメーカーらしくコストパフォーマンスの高さがウリであり、そのスペックは多分割測光・PASMのフルモードAE、ダブル電子ダイヤル、ファインダー内のバーグラフ表示や1/4000秒シャッターなど、機能面から言えば定価50,000円ながら他社の中級機に匹敵するものだった。
とはいえ、既にAF一眼レフ市場が成熟してからの新規参入ということもあり、ユーザーには進んでシグマ機を選ぶ理由もなかったのか、フィルム時代のシグマ機は個々の機種は高コスパながらも既存カメラメーカーに比べるとマイナーなポジションに甘んじることとなった。シグマの一眼レフが広く認められるようになったのは、やはりデジタル時代にfoveonという独自性を手に入れて以降の話になるだろう。
こうしてみると、SAマウントはフィルムAF一眼レフの歴史の中でかなり特異なポジションにある。というのも、35mm判AF一眼レフ用マウントは1985年のミノルタAマウントから1988年のキヤノンEFマウントまで概ねこの数年の間に誕生しているからだ。つまり各社のAF一眼レフへの参入が一段落したあとに生まれた規格というわけで、このようなマウントは1993年のシグマSAマウントと2000年のコンタックスNマウントくらいである。
余談としては、この時期のシグマSAマウントには後にオミットされることになる外爪が付いていたのも他のマウントにはない特徴の一つである。発売当時はこの外爪を利用すればF1.0級のレンズも設計可能……といった話もあったようだが、結局そのようなレンズを作っても他のマウントでは展開できず潰しがきかないからなのか、SAマウント外爪専用のレンズは発売されることはなく、その後デジタル時代になってからひっそりと削除されてしまった。
……というわけで、この時代の操作系面でのトレンドとしてはダイヤル&レバーに代表されるクラシック回帰ということになるわけだが、このクラシック回帰に関しては別の見方も出来る。それはスペックの向上がそのままセールスポイントにはつながらなくなったということである。
各機種の説明でも述べてきたが、α-707siやα-507si、そしてMZ-5などは、カタログスペックだけを取り上げてみれば過去のモデルよりもダウンしている面もある。しかし実際にはユーザーの評価はそれぞれの先代モデルよりも高かったわけで、これは使いこなせない高機能は評価されないという意味もあるし、AF一眼レフ誕生以来の性能競争がここに来て一段落し、中上級ユーザーにとってすら十分なものになったということをも表しているわけである。
そしてAF一眼レフを取り巻く新しい動きという意味では、さらにもう一つ大きな動きが起こっていた。それはAPS(アドバンスフォトシステム)という新写真システムの誕生である。富士フイルム、イーストマンコダック、キヤノン、ミノルタ、ニコンの大手五社主導で作り上げられたその新規格は、35mm判フィルムに存在した弱点を取り除き新たな世界標準の写真システムとしてゆくゆくは35mm判フィルムを置き換える……少なくとも登場当初はそういう話であった。こうした状況から、AF一眼レフ市場はこれまでのAF一眼レフ対コンパクトカメラという戦い以外にも、35mm判対APSという新たな戦いの構図へ否応なしに巻き込まれていくことになったのだ。
また、今回のトレンドとして各社におけるクラシック回帰の動きを取り上げたが、文中に名前が挙がらなかったことからも分かる通りこの動きの中にニコンは含まれていない。以前の回でも述べた通りだが、ニコンについては少なくとも操作系においては市場のトレンドなどどこ吹く風で独自路線を突っ走っていたからである。この独自路線ぶりは90年代半ばに最高潮に達するのだが、そのあたりは次回以降改めて述べていきたい。
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