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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第3回 電子化はなぜ求められたのか αショック前夜の状況

2023/02/01
佐藤成夫

ミノルタX-600:AF一眼レフの前段階として本体にAFセンサのみを搭載したフォーカスエイド機

 

カメラの電子化の流れを追う

 

現代のレンズ交換式カメラやそれに倣ったハイエンドカメラの操作系の基礎は1980〜2000年代に生まれ、それらが生まれた理由は一眼レフの電子化である…… ということを前回までに述べてきた。そして、今後操作系史を軸にこの時代を語っていくにあたり、筆者としては1985年のミノルタ α-7000こそが電子化の寵児であり、一眼レフの操作系における最初の革命であったと考えている。

 

ただ、そもそも何故電子化が求められたのかという点については触れてこなかった。

 

この理由に関して様々な意見はあるだろうが、筆者としては電子化が求められたのはカメラの大衆化とそれに伴う自動化のためであると考えている。というわけで、今回は80年代半ば、α-7000の発売直前(~1984年)までに起きた主なカメラの自動化について触れていきたい。なかなか具体的な各カメラの紹介に進まなくて申し訳ないが、前提として必要になるため、いましばらくお付き合い願いたい。

 

さて、カメラを含めた様々な製品について、大衆に広く普及するためにはまず廉価であること、そしてその製品が一般大衆レベルでも使用できることが必要である。戦前にはよくライカ一台家一軒などと言われていたように、かつてのカメラはとても高価なものであった。流石にこの例えは古すぎるとしても、単純に安くすればそれだけユーザー層が拡大し、更なる需要が見込めたわけである。そしてもちろん、一般大衆への普及においては簡便であることも求められた。カメラを扱うことが特殊技能であり続ける限り、その特殊技能を身に付けた人にしか売れず市場は広がらないということになる。そうではない人─つまりカメラに詳しいわけではない一般大衆─にも使えるカメラを作ってこそ市場は拡大するというわけである。

 

本稿においてはこれ以降、主に1980〜2000年代のレンズ交換式カメラ(≒一眼レフ)について述べていくつもりだが、市場にはより大衆向けのカテゴリーとして廉価かつ簡便なレンズシャッターカメラ(いわゆるコンパクトカメラ)も存在した。この二大カテゴリーは多少形を変えつつも現在も存続しており、この二つのカテゴリーの関係性もカメラの進歩を追う上では重要である。

 

極めて単純化した言い方をすれば、戦後の日本では時代が進むにつれてカメラは低価格化し、一世帯に一台から一人に一台の時代を迎えるようになった。そして、その中でより多くの顧客を掴むために、上級者向けであった一眼レフカメラはより簡単に、一方で初級者向けであったレンズシャッターカメラはより高機能を目指し始めた。つまり、お互いの領土を侵食し始めたのである。例えば一眼レフの低価格化の先駆けとして知られるリコーXR500の発売は1978年である。

 

そして、レンズシャッターカメラはもともとが初級者向けという性格から自動化(またそれに連動した高機能化)の動きも早かった。自動露出は言うに及ばず、デート機構、ストロボの内蔵、自動巻き上げ・巻戻し、オートフォーカスといった各種自動化のトピックは、一眼レフと対比した際にいずれもその時代のレンズシャッターカメラが先行している。

 

この時期のトピック的機種としては、ストロボを内蔵した1975年のピッカリコニカことコニカ C35EF、更にAFを搭載した1977年のジャスピンコニカことコニカ C35AF、そしてストロボ・AFに自動巻き上げ・巻き戻しまで載せたフルオートとなる1979年のキヤノン オートボーイといったカメラが挙げられるだろう。この通り、80年代を待つこと無くほぼフルオートを実現しているのだ。

 

コニカ C35EF(ピッカリコニカ)1975年

 

キヤノンAF35M  初代オートボーイ  1979年

 

一方で一眼レフカメラはそれらレンズシャッターカメラに比べると各種自動化の動きは遅かった。無論、相対的に上級者向けである一眼レフカメラにそうした自動化は不要であるいう既存ユーザーの意識もあったとは思われるが、もう一つの理由はその高度なシステム性である。

 

一眼レフはシステムカメラであり、多種多様な交換レンズやアクセサリーと連携することで撮影領域を広げられることが最大の魅力であった。このために各社ともレンズや各種アクセサリーの拡充にしのぎを削っており、中にはこんなもの作って一体何処に需要があるのだろう……と見ている方が心配になるようなものまで存在した。とはいえ、そうしたニッチなところまでカバーできるというラインナップこそが、一眼レフがシステムカメラとして威厳を発揮する部分だったのである。

 

そしてこれらの高度な連携はシステムとしての互換性があってのことである。互換性を持たせるということは、すなわち旧来の仕様をも抱えながら発展させていく必要があるということでもある。レンズとカメラが一体であり、またアクセサリーによる発展性も少ないため、ほとんどカメラ単体で完結するレンズシャッターカメラと比べると、一眼レフの強みであったはずのこの発展性と互換性は、新機能を追加する際に時に足枷にもなってしまう。

 

この結果、一眼レフの主だった自動化はいずれもレンズシャッターカメラの後塵を拝することになった。とはいえ、70年代末から80年代には一眼レフでも各種の自動化が進むこととなった。たとえば1977年には一眼レフ初の両優先AE機であるミノルタ XDや、1978年にはプログラムモードを実現したキヤノン A-1が登場しており、1979年には一眼レフ初のオートローディング機であるコニカ FS-1が登場している。そして1981年には初のオートフォーカス(AF)一眼レフであるペンタックス ME-Fが発売された。

 

ミノルタXD  1977年

 

キヤノンA-1   1978年

 

ペンタックスME-F   1981年

 

余談だが、AF一眼レフの元祖は何なのかという話になると実は結構ややこしい。ME-F以前にも一眼レフに装着可能な(単体で測距部を持つ)AFレンズが存在していたため、人によってはそれらを先行したAF一眼レフと考える向きもあるからである。なので、ここでは測距部を備えたボディと対応したレンズがセットで「AF一眼レフシステム」として動作するという点においてME-Fを初としている。

 

しかし、これらの発展には先に述べた通り、互換性という足枷が付いて回ったのもまた確かである。特にレンズマウントは、その一眼レフシステムの根幹を成す要素として不可侵の領域であった。レンズマウントの変更は旧来ユーザーの切り捨てを意味し、実際に変更に踏み切ったメーカーはいずれも売上を落とす結果になった(※当時)とされてタブー視されていたからである。

 

かくして一眼レフのレンズマウントは基本的な形状を変えることが許されず、機能が追加される度に新たなピンやレバーの追加でしのぐことが常態化していった。そもそも電子化が始まる以前にも自動絞りの実装などでマウントの改変は度々発生していたが、この機械的連動の複雑さが頂点を迎えたのが80年代であったとも言える。この時期には古いものでは50年代に策定したレンズマウント規格だというのに、仕様を建て増しすることで当時最先端のプログラムモードへの対応までやってのけた例が散見される。

 

今日では当たり前のプログラムモードだが、一眼レフで実装する場合は「レンズの絞り値」「シャッタースピード」をいずれもボディ側からコントロールする必要がある。このため制御は複雑になり、ボディはもちろんレンズ側にもアップデートが必要だった。こうした経緯から70年代後半から80年代にかけてレンズマウントの規格を改めているメーカーは多い(ニコンFにおけるAi-s、ペンタックスKにおけるAシリーズ、コンタックスにおけるMMレンズなど)。

 

それまでの一眼レフには各優先AEはあるものの、絞りもしくはシャッタースピード、どちらか片側だけの自動化に過ぎなかったため、ユーザーは最低限露出制御の概念を覚えなければ使いこなすことができなかった。この両方をカメラが制御するプログラムモードはつまるところ露出設定の完全な自動化である。一眼レフにおけるプログラムモードの実現は初心者を救済するものでありユーザー層を広げる原動力でもあったのだ。

 

こうして一眼レフは互換性という足枷を嵌められ、レンズシャッターカメラから数年遅れながらも、それでも地道に自動化を推し進めていた。初心者向けという観点から言えば、1983年のキヤノン T50などで既にピント合わせ以外はほぼ全自動というレベルに達している。すなわち、一眼レフであっても極めて簡便に使用することができるようになったのである。

 

しかし、こうして70年代後半以降、一眼レフがレンズシャッターカメラの、あるいはレンズシャッターカメラが一眼レフの領域に踏み込んでぶつかり合った結果がどうなったのかというと、どうやら、一般大衆がより強く支持したのはレンズシャッターカメラの方だったようだ。

 

これは国内のカメラ出荷台数や金額の統計にも表れている。参考までにCIPA(カメラ映像機器工業会)の統計を引くと、現在の形で統計が始まった1977年から1984年までの国内カメラ出荷台数は、1980年までは一眼レフ、レンズシャッターカメラ共に台数も金額も伸びていた。そしてこれ以降も順調に右肩上がりの成長を続けるレンズシャッターカメラに対して、一眼レフは1980年をピークに落ち込んでしまう。[図1]

 

 

図1 国内カメラ出荷台数(1977−1984)

 

 

出荷金額においても1980年までは単価の高い一眼レフの方がレンズシャッターカメラよりも大きかったのだが、これも1981年には追い抜かれ、以降はレンズシャッターカメラの市場規模の方が大きくなっている。つまり、日本国内におけるカメラの主流は1980年頃に一眼レフからレンズシャッターカメラに切り替わったと言って良いだろう。[図2]

 

図2 国内カメラ出荷金額(1977−1984)

 

 

逆に言えば、それまではいくらレンズシャッターカメラが束になっても、(金額ベースでは)一眼レフの方がより大きな市場だったということでもある。これは例えば1977年時点では一眼レフの平均単価はレンズシャッターカメラの約2.4倍だったからである。しかし、一眼レフはユーザー層を下方向に拡大した結果、平均単価は下落していくことになる。1977年時点で47,700円であった平均単価は1980年には39,700円と大幅に下がってしまう。一方、この間にレンズシャッターカメラは20,000円から21,500円へとむしろ上昇している。下へ向かった一眼レフと、上へ向かったレンズシャッターカメラという構図が平均単価にも現れているのである。[図3]

 

図3 国内カメラ平均単価(1977−1984)

 

※以上出典はCIPA統計「銀塩カメラの総出荷」内、銀塩カメラの日本向け出荷(機種別)より。なお出典にはこれ以外の分類として「中大判」「その他」があるが表中からは省いた。

※図1〜3は出典を元に筆者作成

 

 

なお、なぜ1980年をピークとして大きく一眼レフが落ち込んでしまったかだが、これはカメラの機能だけが影響したものではなく、この時期に第二次オイルショックが発生し国内の消費者がより廉価なカメラに目を向けたためと考えられる。

 

さて、先に述べた通り一眼レフの自動化は歩みは遅いながらも着実に進んでいたのだが、それでも1984年の時点では「フィルムを入れてシャッターを押すだけ」というレベルの自動化には到達していなかった。プログラムモードによる露出の自動化、オートローディング・自動巻き上げ・巻戻しによるフィルム給装の自動化といった要素は実現できたものの、最後のピースであるピント合わせの自動化が残っていたのだ。

 

レンズシャッターカメラではコニカC35AFの大ヒット以降、オートフォーカスカメラがスタンダードになったことから、当然一眼レフにもオートフォーカスを求める声は挙がっていたし、実際に数機種が散発的に発売された。またオートフォーカスの前段階的な機種としてフォーカスエイド機(ボディ側に測距機構を搭載しピント合わせをアシストする。ピント合わせ自体は人が行うのでマウント等の改変は不要)もいくつか発売された。だが、大ヒットと呼べるほどのものは未だに登場していなかった。

 

オートローディングや自動巻き上げ&巻き戻しといったボディ単体で実現できる自動化とは異なり、オートフォーカスはレンズ側にも多くの機能を持たせる必要がある。既存のシステムとの互換性を維持しつつ、電池、モーター、測距部といった各部品を取り込むと、どうしてもそれらが突出した異形のカメラができ上がってしまい、またコストも上がってしまう。この時点でのオートフォーカス機は、そうした意味では未だに一眼レフにおける特殊仕様の一つであり、大衆に広く普及するものではなかったのである。

 

これらの状況を変えることになったのが、後にαショックと名付けられた1985年のミノルタ α-7000の発売(αシステムの投入)である。そして筆者が提唱するAF一眼レフの操作系史もまた、α-7000から本格的にスタートしていくことになる。

 

……ただし、身も蓋もない話をすると、実は国内一眼レフ市場(出荷台数)のピークは1980年である。実はαショックによって日本中にAF一眼レフブームが巻き起こった時ですら1980年の出荷台数を超えることはなかったし、それ以降も同様であった。筆者がこれから述べるAF一眼レフの時代というのは、そういう時代でもある。

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