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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第14回 ニコンの新たな操作系とコンタックスの再チャレンジ

2024/01/08
佐藤成夫

以前の回でも触れた通り、90年代中盤までのニコンの操作系は各機種、各世代ごとにてんでバラバラであり、実に奔放なものだった。よく言えば各ユーザー層ごとに最適化されていたとも言えるし、悪く言えばメーカーとして最適な操作系を見つけられていないようにも見えた。

 

もちろん、AF一眼レフ自体(旧世代たるMF一眼レフに比べて)その操作系設定の自由度が上がったことにより各メーカーとも手探りだったことは間違いなく、だからこそ本連載で指摘するような各種の試行錯誤が現れていた。だが、それでもニコン以外のメーカーにおいては同世代内ではある程度の統一感を持たせているのが普通だったので、同世代内ですらバラバラというニコンの特異性は尚更目立っていた。

 

とはいえ、この操作系問題はニコンの中でも中上位機では比較的早期に決着しており、F-801シリーズから始まったシャッタースピードは電子ダイヤル、絞りは絞りリング、その他の操作は左肩のクローバーボタンにまとめるという操作系が確立されて以降はF90シリーズまで細かな改良を加えられて継承されることになった。

 

 

ターニングポイントはF一桁機


こうしたニコン機の操作系のターニングポイントとなったのは、1996年10月発売のF5である。そう、いわゆるF一桁と呼ばれるプロ仕様のモデルであり、ニコンのフラッグシップモデルである。これだけでも重要なモデルであることには変わりないのだが、操作系という意味でも重要なモデルとなった。個人的にはニコンAF機の歴史というのはF5以前とF5以降で分けてもいいのではないかというくらい、これ以降のモデルに強い影響を与えたモデルであると考えている。

 

 

ニコン F5:ここからニコンの新しいスタンダードが始まった

 

では、そんなニコン F5というのはこれまでと何が違ったのか。前モデルたるF4や、同時期に販売されていたニコンAF機と比較してみよう。


まず外観で分かる通り、ニコン F5はこれまでのF4とは異なり最初からバッテリーグリップ一体型のボディとして生まれた。いわゆるプロ仕様カメラの最大のマーケットといえばスポーツと報道であり、当然F5もこのような市場に向けて開発されている。開発時のキーワードは「スピード」だったそうで、高速連写(秒8コマ)と高速AFの搭載は必須であった。このことから、単三電池8本を飲み込む一体型ボディが採用されたようだ。また、F一桁の伝統として交換可能な各種ファインダーも用意されていた。


なお、ニコンのプロ仕様カメラというとバッテリーグリップ一体型のイメージを持つ方も多いと思うが、フィルム世代においては取り外し不可の完全一体型はF5のみであり実は少数派である。逆にデジタル世代(D一桁シリーズ)ではすべて完全一体型ボディとなったのでこちらの印象が強い人が多いかもしれない。


前世代であるF4がボディ側には液晶を持たず完全にダイヤルとレバーの操作系だったのに対し、F5ではF90シリーズなどと同様に肩液晶を装備することとなり、これらの液晶と電子ダイヤルを中心とした操作に転換することになった。F4は上下のモデルから隔絶された操作系と言って良かったが、F5ではF90シリーズをベースにしたわけである。これは他のメーカーが概ね液晶と電子ダイヤルをベースにした操作系を採用していたという当時の状況を考えれば妥当な選択と考えられる。


とはいえ、ではF5の操作系というのはF90シリーズそのままなのかというとそうではない。確かにF5の操作系の元になったのはF90シリーズの操作系なのだが、F5の操作系にはF90シリーズとは決定的に異なるポイントがあった。


それは、それまでシングルだった電子ダイヤルがダブル化され、これまで絞り優先AEやマニュアル露出時に使用していたレンズ側の絞りリングが事実上無用とされたことである(ただし「不変のFマウント」故に装着可能なCPU非搭載の古いレンズを使用する際は依然として絞りリングを操作することになる)。ミノルタ、キヤノン、そして一時期のペンタックスに続いて、ここに来てようやくニコンも絞りリングからの決別を宣言したわけである。

※しかしペンタックスの絞りリング廃止はZ世代で試みられたもののMZ世代で頓挫している。詳しくは本連載の過去回参照。

 

 

ニッコールレンズの変革


ただし、だからといって即座にニコンのレンズから絞りリングが消えたわけではない。ニコンから絞りリングのないレンズ(Gタイプレンズ)が登場したのはさらに下って2001年のことであり、言い換えればF5発売以降も数年間は絞りリング付きのレンズのみが発売されていたのである。また、このGタイプレンズも当初は廉価機であるニコンU(後述)のキットレンズとしての登場であり、F5への装着はあまり考えられないポジションのレンズであった。


実のところ、F5の発売と同時に起こったレンズ側の変革というのは絞りリングの撤廃ではなく超音波モーター(SWM)の搭載によるAF-S化の方である。既にニコンはごく一部の超望遠レンズについてはボディ内モーターからレンズ内モーターへの転換を行っていたが、これをさらに推し進めて、超音波モーターを搭載したAF-Sレンズが登場したのがこの時期であった。これはAF-Sレンズに対応した比較的上級グレードのボディでなければAFが効かないといった制限もあったが、そもそも当初用意されたレンズが300mm F2.8をはじめとするプロ仕様の高価なレンズばかりであったことから、そうしたユーザー向けの仕様として比較的受け入れられやすかったようである。そしてこれ以降も高級仕様のレンズを中心にAF-S化が進められていくこととなった。

 

ちなみにレンズ内への超音波モーター搭載といえばキヤノンが元祖なのはもちろん言うまでも無く、だいぶ間隔を空けてニコンが続いた形だが、これにわずかに遅れて三番手となったのは他のカメラメーカーではなく、(主に)レンズメーカーであるシグマであった(1997年 APO TELE MACRO 400mm F5.6 HSM発売)。ミノルタはこれらに続いてα-7(2000年)の時代に対応し、フィルム時代に超音波モーターへの対応を果たしたのはここまでであった。ペンタックスはデジタル時代に入った後に超音波モーターの搭載とレンズ内モーター化を果たしている。


そう、AF一眼レフへの参入時にボディ内モーターを選んだ陣営も、遅くともデジタルまでには実質的にボディ内モーターだけではなく、超音波モーターをはじめとしたレンズ内モーターに対応するようになったのだ。かつてAF一眼レフ初期の重大な議題の一つであったボディ内モーターかレンズ内モーターかという問いは、これで結論が出たと言っても良いだろう。


ただし、だからといってボディ内モーターが仕組みとしてダメだったという話ではない。少なくともAFフィルム一眼レフが現役だったおよそ20年の間、レンズ内モーターとボディ内モーターは傍目には互角の戦いを繰り広げていた。実際に各社は工夫を凝らし、ボディ内モーター陣営では不可能とされたフルタイムマニュアルに近づける機構を搭載したものなどもあった(ミノルタのDMF、ペンタックスのQSFなど)わけだし、もちろん当初はコストやサイズ的な問題からそちらを選べなかったという面もあるだろう。それでも最終的にレンズ内モーターへ向かっていったのもこの間の技術の進歩がレンズ内モーターに味方したということだろうし。あるいはこれは筆者の推測に過ぎないが、特許網などのように時間が解決するしかなかった要素もあるのかもしれない。

 

閑話休題。

 

ニコンでは電子ダイヤルのことをコマンドダイヤルと呼ぶが、このような歴史的経緯を辿っているためF-801世代から存在した背面側のダイヤルがメインコマンドダイヤルであり、F5で新設された前面側のダイヤルがサブコマンドダイヤルということになっている。F5以降に生まれた廉価モデルでダブル電子ダイヤルが実装出来ない場合、後ろダイヤルのみ実装されているのはニコンにとっては後ろダイヤルが主だからというわけである。


また、F90シリーズの特徴であった左手側のクローバーボタンはF5では採用されていない。何故なら、F一桁シリーズというのは極限の信頼性を求められるカメラということでここには引き続き巻き戻しクランクが置かれていたからである。ほとんどお守りのような存在であったが、これで救われたというプロもきっといたのだろう。もちろん、この時代になるとAF機で巻き戻しクランクを装備していたのはニコン一桁くらいのものである。

 

 

十字キー状操作部材の搭載とAFポイント配置の関係性


さて、F5の操作系でもう一つのトピックとして上げられるのが、裏蓋側に設けられた十字キー状の操作部材である。ニコンではこれをフォーカスエリアセレクターと呼んでおり、文字通りフォーカスエリアを選択するための部材となっている。前回、十字キー状の操作部材の搭載についてはF5が先行したとあったが、これがそのボタンである。


この新部材であるフォーカスエリアセレクターが必要となった理由は、ニコン初の多点測距となったF5のAFポイント配置が十字状だったことと深く関係している。余談だが、同時期の他社が多点測距に走る中で、何故かニコンだけはAFエリアのワイド化にこだわっていたが、これが見直されたのもF5からである。これまでの多点AFは横一線配置(EOS-1Nの横5点等)や凸状配置(α-7xiの上1点+横3点等)が多く、こうした配置であれば電子ダイヤルを回転させての選択もさほど苦ではなかったのだが、これが二次元的に縦横に配置されるF5のような配置となると、電子ダイヤルでは直感的ではなく狙ったポイントを指定するのは難しい。このため上下左右を直接指定出来る十字キー的な部材が求められたのはある意味当然のことだろう。


F5においてはこのAFポイント指定という機能だけのために使われていたが、その後、背面ドットマトリクス液晶と組み合わせることで新たな操作系が生まれたというのは前回α-7の操作系で解説した通りである。なお、F5にもバッテリーグリップ一体化で生まれたスペースに追加される形で小型の背面液晶が生まれており、ここにはISO感度を始めとした設定が表示されるようになっていた。このサブ液晶はフィルム時代はこのF5のみの装備となったものの、デジタル時代になってからのD一桁シリーズで復活し、メインのカラー液晶とサブの小型モノクロ液晶が並んで搭載されたスタイルはD一桁シリーズの隠れたアイデンティティとなった。

 

 

受け継がれていく、F5の操作系


このF5、さすがにニコンの最高峰であるF一桁だけあって非常に力を入れて作られており、様々な機能や仕様を書き出すだけでも紙幅が足りなくなってしまうほどである。このため本稿では操作系中心に述べてきたが、F5という新世代の、それもフラッグシップモデルがこれら液晶+電子ダイヤルの操作系を採用したことでニコンも当時の他メーカーの操作系に急速に近づくこととなったし、これ以降のニコン機にも反映されたことでこれまでのニコンにおける操作系の特異さは急速に薄れていくことになった。

 

1998年8月にはF50Dの後継となるF60Dが発売された。F50Dで特徴的だったドットマトリクス液晶は通常のセグメント液晶となり、左手側にあったシンプル/アドバンスのモード切替があった位置にはモードダイヤルが配置されている。F5同様既に絞りリングは使用せずに電子ダイヤルでセットする前提だが、ユーザー層に合わせてか電子ダイヤルは後ろダイヤル(シャッタースピード変更)のみが残されており、マニュアル露出時にはシャッターボタン周辺の絞りボタンとの同時押しで絞りの変更となる。こうしたシングルダイヤル+同時押しは他メーカーでも既に導入されており、ここも至ってスタンダードなやり方である。

 

ニコン F60:モードダイヤル+シングルダイヤルのスタンダード機

 

なお、フルモード搭載であり高機能廉価機のカテゴリに属すると言ってもいいF60Dの価格は62,000円と概ね同時代の高機能廉価機と同等のものであったが、ミラーではなくペンタプリズムが奢られていたりマウントやフィルムレールも金属製となっていて、ニコンらしい真面目な作りの機種であった。参考までに翌1999年発売のキヤノン EOS Kiss IIIは64,000円であったがこちらはペンタミラーにプラマウントにプラフィルムレールである。ただしスペック上では7点もの多点AFや35分割の多分割測光を搭載と圧倒しており、要はメーカーごとに何処にコストを振り分けるかという考え方の違いが出ているとも言える。

 

カメラ好きの一部にはこうしたプラスチック化をやたらと嫌う人たちもいるが、これらはコストや性能といった要求に対してバランスを何処で取ったかの表れでしかない。故に必要十分な性能が出ていればプラスチックは何ら悪者ではないはずなのだが、やはり目立つ場所にプラスチックが使われていることへの抵抗感というのは根強く存在したようだ。とはいえ、プラスチック化はコストのみならず小型軽量化にも有利だったことから、ニコンであっても一部モデルではそういった仕様を採用することとなる(この他にはプロネアSでプラマウントの採用例があった)。

 

さて、同じ1998年12月には「F5ジュニア」を名乗るF5直下のモデル(かつF90シリーズの後継機)としてF100が発売された。これは当時のF5がAF&連写性能というスピードを追い求めるあまり完全一体型ボディとなったことで取り回しが悪くなり、かつ非常に高価なモデルとなったことに対してのニコンからのアンサーと言えた。


このモデルはF5のバッテリーグリップを切り落としたようなボディとなっており、F5からAF関係の性能はそのまま引き継ぎつつも、明確に弟分としてのキャラクターが打ち出されていた。もちろん、バッテリーグリップを装着すればF5ライクに使用することも可能で、その場合は標準の4.5コマからパワーアップし5コマ/秒で巻き上げることが出来るようになる。こうした面からもF5を使うプロのサブ機としてはもちろん、F5には手が届かない中上級者をフォローするという意図も込められていたと思われる。


こうした性格付け故F5に対して小型軽量のボディとなっており、F5ではアルミダイキャスト+チタントップカバーという構成だったボディはより軽量なマグネシウムボディとなった。また操作系の面でもプロ仕様のモデルに存在した「手動巻き戻しの為にクランクを残す」という制約はなかった為、F90シリーズからそのままクローバーボタンが受け継がれている。そしてこの配置はそのままデジタル一眼レフ世代にも引き継がれている。つまり、これ以降のニコンの中上級向け操作系について、祖を作ったのがF5であり、確立したのがF100と言ってもいいだろう。

 

 

採用材質で分けることも可能


さて、こうした中で統一前の操作系のまま唯一残されていたF70のポジションはF80(2000年4月)によって置き換えられることになり、これをもってニコンのラインナップはすべてF5タイプ(?)の操作系となった。F5、F100、F80の上位モデルはダブル電子ダイヤル、F60、Uの下位モデルはモードダイヤル+シングル電子ダイヤルという違いはあったものの、前世代がそれぞれF4、F90、F70、F50だったことを考えると見事なまでに揃えられており、これまでバラバラだったニコンの操作系はこの世代で概ね統一されたのである。


また、この世代のニコン機はボディ材質で分けることも出来る。プロやハイアマを想定したF5やF100は金属ボディで、それ以下はプラスチックというわけである。これは筆者がこれまで述べてきた、90年代後半以降は中上級ユーザー向けのカメラが趣味者向けのカメラになってしまったということの表れではないかと思われる。堅牢性はもちろんだが、高価なカメラには相応の質感が求められるようにもなり、端的に言えばその象徴が金属ボディの採用だったと言える。とはいえプラスチックボディは小型軽量廉価でもあるため、引き続きそちらも存在し続けた。AF一眼レフはプラカメと呼ばれがちだが、金属ボディへの回帰は実際にAF一眼レフの歴史上圧倒的に大多数はプラスチック外装のカメラであったのである。

 

ちなみに、このF80についてはボディを流用した兄弟機(?)が存在することはマニアの間では有名である。一つが当時富士フイルムから発売されたデジタル一眼レフであるFinePix S1 Pro(2000年7月発売)であり、これは後継機のFinePix S2 Proでも同様だった。もう一つはKodak DCS Pro 14n(2003年5月国内発売)で、こちらもF80のボディが使用されているということだったのだが、実はこちらはボディシェルが金属製になっていたりとかなりのカスタマイズが施されている。FinePix S1 Pro及びS2Proがカメラボディ側とデジタル部分で二系統(CR123A/単三×4本)の電源が必要だったのに対してこちらはリチウムイオン充電池一系統にまとめられているなど、後発なりの改良も加えられている。

 

これらの兄弟機(?)がいずれもデジタル機であることからも分かる通り、既に世の中にはデジタル一眼レフの足音が着実に聞こえてきており、実際にニコン自身F80よりも先にD1(1999年9月)を発売していた。とはいえ、この時点ではまだデジタル一眼レフは相応に高価であり、プロの使うものという認識が一般的だったように思える。少なくとも00年前後のアマチュアにとっては、未だ一眼レフ≒フィルム一眼レフであった。


こうした点から、この時期にはニコンがこれまで追従してこなかった愛称付きの高機能廉価機(いわゆるママさん一眼レフ)の市場にも挑戦している。キヤノン EOS Kissやミノルタ α-Sweetに対抗すべくニコン U(2001年3月)と名付けられたそれは、これまでのニコンAF一眼レフであれば積極的に狙うことのなかった最小・最軽量路線のカメラとなった。なお、このモデルから軽量化のためかペンタプリズムではなくペンタミラーとなり、廉価版のUs(2002年3月)ではレンズマウントもプラスチックとなった。このプラマウントは35mm判ニコンAF一眼レフでは唯一の採用例である。このUシリーズは2003年3月のU2まで続いたが、それが最後となった。

 

ニコン Us:Uシリーズ中では下位モデルにあたる。コンパクトさが魅力

 

Uシリーズの最終機種となったU2では上位機譲りの5点測距のAFやそれを選択するフォーカスエリアセレクターも継承されており、それどころかフォーカスエリアセレクター同軸にAFエリア選択機能も追加されていて、ニコンフィルムAF一眼レフにおけるこのボタンの完成形となっていた。またモードダイヤル同軸にドライブモードレバーも増設されており、パワーアップした3D-25分割測光など一部機能はF80をも凌ぐものとなっていた。


ちなみに見た目からは非常に分かりづらいが、製品ポジションはUとU2がやや上位のモデルと位置付けられており、Usは明確に下位モデルとされている。それはマウントのプラスチック化もそうだが、この時期にはラインナップも揃い始めていたAF-SレンズがAFで使えないといった制限にも現れている。こうした諸々の制限はFマウントが抱える宿痾のようなものだが、一方でレンズキットとして用意されているレンズを使う分にはさほど意識されることはない。こうした初級機はレンズキットのレンズのみで使われることも多く、マニアが心配するほどの問題にはならなかったのではないかと思われる。


そしてこの後ニコンはフィルム時代の集大成となる機種を発売するわけだが、それは稿を改めて解説する。

 

 

コンタックスの野心的チャレンジ


さて、ニコンはこのようにして大変革と共に21世紀を迎えたわけだが、同様に──どころかニコンを遙かに超える──変革を果たしたのが京セラでありコンタックスであった。どういうことかというと、コンタックスはなんとこの時期にAF化及び新マウントへの移行を明らかにしたのである。これはかつての京セラAF機とも、もちろんヤシカ・コンタックスマウントを採用したAXとも異なる完全新規のAFシステムであった。その名もコンタックスNシステム。京セラによるAF一眼レフへの再チャレンジである。


このNシステム構想は最後発らしく野心的なものであった。まず、核となるNマウントには当時の35mm判一眼レフ用としては最大口径となる口径55mmの完全電子マウントを採用。当然レンズ内モーターかつ電磁絞りながらレンズ側には絞りリングも搭載しており、これまでのコンタックス機の操作系を極力活かすような工夫がされていた。また、当時先行して展開されていたコンタックス645(1999年1月)のレンズをアダプターを使用することでAE/AF連動で使用可能となっていた。これは初期のレンズラインナップをフォローする意図もあったと思われるが、中判のラインナップを持たないキヤノン・ニコン・ミノルタや、中判のラインナップは持つもののAF/AE連動はせずMFかつ絞り込み測光になるペンタックスに対するアドバンテージでもあった。

 

そしてもちろん、この時期なのでデジタル一眼レフへの展開をも見据えていた。コンタックスNシリーズの第一弾となったコンタックス N1の発表会(2000年7月・発売は9月)の時点でN1をベースとしたデジタル機であるコンタックス Nデジタルの登場が予告されており、驚くべきことにこれは35mm判と同等サイズの撮像素子を持つ、いわゆるフルサイズのデジタルカメラであった。当時フルサイズの撮像素子は非常に高価であり、先行する各社もAPS-Cサイズを採用していた為これはNデジタルの大きな特徴となった。


このようにコンタックスNシステムはデジタルとフィルムを一つのシステムで賄おうとしており、その姿勢は当時のNシステムのキャッチコピーである「フィルムの夢・デジタルの力」という言葉にも現れていた。フィルムとデジタルは、少なくともキャッチコピー上では対等であった。


……本稿はあくまでもフィルムAF一眼レフについての話なので、N1及びその後追加されたNX(2001年12月)について紹介していこう。当時の価格はN1が18万円、NXが94,000円であった。他社に比べればやや高価だが、元々コンタックスというブランドはヤシカ・コンタックス時代から高価だったためそこから比べると多少はおとなしい値付けである。とはいえ、完全新規のシステムかつヤシカ・コンタックスマウントのレンズは一切使用出来ないということを考えると実際にはレンズ一式も含めて買い直しということになるわけだし、もちろんレンズはカールツァイスで値段も張った為、Nシステムを揃える為には相応の出費を強いられることとなった。


さて、コンタックスN1の操作系上の特徴は、当時のトレンドであったクラシック操作と現代的な液晶+電子ダイヤルの融合を、他のメーカーともまた違った形で成し遂げたことにある。とはいえ、その基本はヤシカ・コンタックス時代の操作系を元にしている。


かつてのヤシカ・コンタックスの操作系の特徴といえば、左手側に鎮座するシャッタースピードダイヤルと、右手側に存在する露出補正ダイヤル、そしてシャッターボタン同軸のAELロックレバー、そしてリアルタイムシステムの由来でもあるフェザータッチのシャッターボタンである。これは初代RTS(1975年)から続く伝統となっており、主に絞り優先とAEL及び露出補正での撮影を優先した配置であると考えられる。当時の他のカメラはこれとは逆に、右手側にシャッタースピードダイヤル、左手側に露出補正ダイヤルという配置が一般的であった。


この伝統的配置はN1でも守られており、左手側にシャッタースピードダイヤルと露出モードレバー、右手側に露出補正ダイヤルとコンタックスが他社に先駆けて搭載したブラケット設定レバーが配置されていた。一方で、現代的な操作部材としていわゆる十字キーに相当するジョイスティックや電子ダイヤルも前後に配置されている。両方の部材を搭載するという意味では、同時代のα-7に近いが、電子ダイヤル主体のカメラをクラシック操作に寄せたα-7に対して、クラシック操作のカメラを電子ダイヤル操作に寄せたのがN1ではないかというのが筆者の受けた印象である。なお、さすがにフェザータッチのシャッターはAF一眼レフには向かなかったのか、一般的な半押し可能タイプに改められていた。


両方の部材が搭載されているため、絞りリングとシャッタースピードダイヤルと露出補正ダイヤルを使用した露出設定も可能かつ、シャッタースピードダイヤルと露出補正ダイヤルは電子ダイヤルに任せるといった使い方も出来るようになっていた。この方法のメリットは、シャッタースピードダイヤルのステップを変更出来る点である。左手側シャッタースピードダイヤルでは1EVステップだが、電子ダイヤルでは1/2EVステップで設定が出来るようになっていた。まさしく物理シャッタースピードダイヤルの制限を打破するための仕組みである。


このように、操作系の面はこれまでのヤシカ・コンタックス時代のものを最大限に取り入れながらも上手く液晶や電子ダイヤルを取り入れていた。しいて言えば絞りリングの採用は時代に逆行しているようでもあったが、完全電子マウントである以上これは単なるスイッチに過ぎず、これまでの操作系を守るための仕組みであると考えるのが妥当であろう。

 

 

コンタックスNXの登場と、コンタックスブランドのその後


さて、コンタックスNシステムの第二弾にしてフィルムとしては最終機となったコンタックスNXは、上記N1ともまた異なる操作系を採用している。こちらはシャッタースピードダイヤルや露出補正ダイヤルはおろか露出モードダイヤルも持たず、ダブル電子ダイヤルを主体としたヤシカ・コンタックスとは異なる操作系のカメラとなっていた。ちなみにこのカメラの後ろ側電子ダイヤルは上下に回す珍しい縦ジョグ形状をしていたのだが、これもこの一代限りとなった。

 

コンタックス NX:かつてのMFコンタックスとは異なる操作系をもつ


Nシステムのその後について先回りをしてしまうと、この後多少の延期を挟みつつNデジタルが発売されレンズも追加されたものの、コンタックスNシリーズは商業的には不発に終わった。そして京セラは2005年4月、カメラ事業からの撤退を発表する。直接的な撤退理由はデジタルカメラ事業における急激な価格の下落など、市場の急速な変化に対応しきれなくなったためだとされている。

※3月に出した当初のリリースではデジタルのみ撤退で銀塩については検討中とされていたが、その後銀塩カメラも含めて撤退へと変更になった。


デジタルを見据えたシステム全体が大型化したこと、そしてコンタックスブランドならではの高価な値付けがNシステムへの移行を躊躇させたのは確かだが、結局はそれ以上に大きな時代の流れに巻き込まれる形で終わってしまった。α-7000以前に開発されていたというコンタックスAFやコンタックスとは別枠で生まれた京セラAFシステム、さらにはヤシカ・コンタックスマウントのままでのAF化を果たしたAXの存在など、他メーカー以上の紆余曲折を経てついに生まれた「AFのコンタックス一眼レフ」は、こうして十分に発展することなく幕を閉じたのである。

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