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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第21回  AFカメラの時代にレンズに起きたこと (3)

2024/11/01
佐藤成夫

AF一眼レフ時代のレンズについて、第三回目の今回は90年代初頭から半ばまでの状況について振り返っていく。
 
さて、AF一眼レフ戦線へ参加するメーカーが一通り出揃い、各社共に世代を重ねた90年代初頭になるともはや一眼レフカメラもAFというだけではウリにならなくなってきたのはこれまでに本連載で述べてきた通りである。当初の課題であった動体への対応やAFエリアの狭さなどはボディの進化で克服されつつあったし、そうした進化と歩調を合わせてレンズ側もAFに最適化されていった。90年代初頭というのは、こうした状況下で新たなウリがなんなのかが模索されていた時代と言えるだろう。
 
そうした状況下でちょっとしたブームが起きたのがレンズの電動化……中でもズーミングの電動化であった。AFはすなわちフォーカスの電動化なのだから、次はズームの電動化だ……とばかりに各メーカーがズーミングの電動化に乗り出したのである。
 
 

 

ミノルタ α7xi + AF ズーム xi 35-200mm F4.5-5.6 この時期の純正としては高倍率。

 

 

ペンタックス Z-1 + FA ZOOM 28-70mm F2.8 AL 珍しい電動高級ズーム。

 

 

具体的にはキヤノン(EOS 700:1990年)とミノルタ(xiシリーズ:1991年)、ペンタックス(Zシリーズ:1991年)、そして少し遅れて京セラ(300AF:1993年)がなんらかの電動ズーム機を発表しており、またレンズメーカーでもシグマが一部機種に対応する電動ズームレンズを発売していた。というわけで、本稿で言うところの最後までAF一眼レフを作り続けた四大メーカーでこの電動ズームの流れに一切乗らなかったのはニコンだけであった。こういうところでもAF一眼レフにおけるニコンは独立独歩だったと言える。
 
ところで、この電動ズームというトレンドにこの時期複数のメーカーが同調したことにはいくつかの理由が考えられる。
 
一つはモーターの進歩により、レンズ鏡筒内に無理なくモーターを納めることが出来るようになったことである。80年代半ばまでは外形を変えることなくレンズ内モーターを実現するのは難しかったし、そのためミノルタをはじめとした各社はボディ内モーターによるAF化を選択したわけだが、90年代になるとそうした制限も和らいできた。ボディ内モーターの陣営でも(フォーカスについては引き続きボディ内モーターで行うにしろ)外形に大きな影響を与えることなくレンズ内に何らかのモーターを搭載することが可能になったのがこの時期だったと言って良いだろう。これをズーミングに使ったのが電動ズーム機というわけで、もちろん過去あったような醜いモーターの突出などは存在せず、円筒形の外観を保っていた。
 
さらに、80年代以降コンパクトカメラ(レンズシャッター機)と一眼レフが競合関係にあったことはボディ編でも述べてきたが、そうしたコンパクトカメラでは当初からズーミングは電動のものが一般的だった。ごく一部には手動ズームのモデルもあったが、大多数はズーミングは電動で行うものであり、こちらのユーザー層からしてみればむしろ一眼レフであっても電動でズームする方が自然だったのではないか……というわけである。なお色々言われるオートズームにおいても実はミノルタのオートズーム導入よりもチノンがコンパクトカメラ向けに導入したオートズームの方が早かったりする。ここでも実はコンパクトが一眼レフに先行していたのだ。
 
また、この時期に一眼レフとコンパクトカメラの間を埋めるブリッジカメラというカメラがいくつか生まれているのだが、こうしたブリッジカメラもズーミングは電動で行うものがほとんどだった。オリンパスは90年代初頭にはレンズ交換式AF一眼レフであるOM三桁シリーズに見切りを付けてレンズ一体型AF一眼レフとも言えるLシリーズに舵を切っているが、このカメラもまた電動ズームであったし、同様に機構的にはほぼ一眼レフと言えたリコーMIRAIも電動ズームであった。これはコンパクトカメラとAF一眼レフの中間にあるカメラとして、少なくともズーミングに関してはコンパクトカメラ寄りの仕様を採用したことになるわけだ。
 
 

オリンパス L-1 OM三桁に代わるオリンパスのAF主力機。

 

 

そして最後に(これは冒頭の話にも繋がるのだが)この時期AF一眼レフは機能面において一通りの進化を果たしており、次に何が出来るのかを各社とも模索している時期にあった。こうした中でミノルタやペンタックスにおいては単なるズーミングの電動化だけではなく、ボディ側とレンズ側を協調動作させることで新たな価値を生み出そうとしていたのだ。もっとも、それがユーザーのメリットになったかというと疑問もある。
 
ちなみに余談だが、一眼レフ用ズームレンズの電動化自体はAF一眼レフ以前にも先行例がある。筆者が把握している限り最も古いものではかつて存在した輸出専業レンズメーカーである大間製作所というメーカーが80年代初頭に電動ズーム付きの交換レンズを製造していたことが判明しているのだが、これは当然ピントはマニュアルであり、ズームがただ電動で動くだけのものだったようだ。ちなみに筆者も現物を保有しているのだがジャンクなので壊れており電池を入れても電動ズームは動かなかった。仮に動いたとしても75-200mmとズーム域も狭く、あまり電動で動かす意義も感じられない。よってさほどニーズもなかったのか短期間で消滅しているようである。

 

 


 

『カメラデザイン登録集(続)』,日本機械デザインセンター,1984,P45より

 


 さて、電動ズームといえば真っ先に槍玉に挙がるのがミノルタxiシリーズに搭載されたオートスタンバイズーム(いわゆるオートズーム)であることはもはや異論がないだろう。一部ではミノルタ αシリーズ凋落の要因と名指しされることも多いこの機能は、カメラ側が最適と思う画角に自動でズーミングを調整するという機能であり、これを余計なお節介と考えたユーザーも多かった。とはいえ、カメラ側のコントロールでズームさせることはこれまでの手動ズームでは不可能だったわけで、この機能自体は電動ズームでなければ実現出来なかったものの一つだと言える。
 
このオートスタンバイズームが最もわかりやすい例ではあるが、これ以外にも電動ズームで実現した機能は多々ある。当時存在した機能を書き出してみよう。
 
・ズーミングの電動化(各社)
ボタンやズームリングの操作によって電動でズーミングする。ただしレンズ側を操作する必要があり、操作自体は手動でのズーミングとさほど変わらないと言える。単純にボタン化したキヤノン(EF35-80mm F4-5.6PZ)の他、操作リングの回転角でズーミング速度を変える・操作リングのスライドでフォーカス操作や手動ズームへ切り替わるなど凝った機構を搭載したものも多かった。
 
・オートスタンバイズーム(ミノルタ)
いわゆるオートズーム。このオートズームは人物撮影を想定しており、人物が最適なサイズに写るように調整される。被写体が人物とは限らないのは言うまでもない。
 
・イメージサイズロック(ミノルタ)/イメージサイズ指定(ペンタックス)
像倍率を一定に保つ機能。特定の被写体が写るサイズを一定に保つようにズーミングで調整する機能。当たり前だがズーム域を超えて動くことは出来ないので、ズームの中間域でセットする必要がある。
 
・ズームクリップ(ペンタックス)
特定の焦点距離をプリセットしておき、ボタン一発でその焦点距離に戻せる機能。二カ所設定することも出来るので、ワイド端とテレ端を行き来することなども出来るようになっていた。
 
・露光間ズーム(ペンタックス)
露光中にズームすることで放射状に光跡が写り込み集中線的な効果を生む。必然的にスローシャッターになるため三脚は必須である。手動だと難しい技法の一つであるが、そもそもそれほど多用する技法かというと……。
 
・ワイドビューファインダー(ミノルタ)
一眼レフは構造上ファインダー外の領域を確認することが出来ないが、ボタン一つでズームアウトさせることで一時的に視野を広げる(視野率150%相当)機能。当然だがレンズがワイド端になっているとそれ以上広がらないので機能しない。
 
……いかがだろうか。正直必須というほどの機能はないというのが筆者の感想だが、おそらく当時のユーザーにとってもそうだったのだろう。そうなってくるとむしろレンズにモーターを搭載したことによるサイズやコストアップ、それに電池の消耗の方が気になってくるわけで、こうした機能に前のめりだったミノルタ・ペンタックス共にこれらの次世代に当たるモデルでは路線の見直しを迫られる結果となった。
 
結局、これらの機能はコンパクトカメラのユーザーとの橋渡しになることはなかったし、一方で中級以上のユーザーに受け入れられることもなかった。前者の役割はおそらく(電動ズームが当たり前だった)ブリッジカメラが果たすこととなり、そのブリッジカメラもコンパクトカメラのズーム化によってそのうち消えてしまった。一方で中級以上のユーザーはよりカメラらしいカメラを好んでおり、少なくともこの時期はこうした電動化とは相容れなかった。この選択が90年代半ば以降カメラ趣味者のためのAF一眼レフへという流れを形作ることになった遠因であるとも考えられる。
 
無論、時代とニーズが変われば復活の目はあるわけで、現代のミラーレス機においては電動ズームを搭載したレンズはさほど珍しいものではなくなっている。ただしこれには当時は存在しなかった動画ニーズなども関わっており、全く同じものが同じ理由で復活したわけでもない。
 
さて、機能面ではこうした電動ズームの登場があったわけだが、それ以外のトレンドもあった。一例としては更なるズーム域の拡張である。
 
この当時まで業界をリードしていたαシリーズで言うと、初代にあたるα-7000のキットレンズに相当するのはAF ズーム35-70mm F4(ズーム比2倍)。これがα-7700iになるとAF ズーム35-105mm F3.5-4.5(ズーム比3倍)となり、α-7xiになるとAF ズームxi 28-105mm F3.5-4.5(ズーム比3.75倍)と段々ズーム域が拡大してきた。もちろん本稿で取り上げたように、これ以前にも高倍率のズームレンズは存在したわけだが、最初の一本として多くの人が手に取るであろうキットレンズのズーム域も広がり続けていたというのは間違いのないところである。
 
90年代初頭の各社中上級ボディとキットレンズ相当例

・ミノルタ α-7xi + AF ズームxi 28-105mm F3.5-4.5
・ペンタックス Z-1 + FA ズーム 28-105mm F4.5-5.6
・キヤノン EOS 5 + EF 28-105mm F3.5-4.5
(概ね歩調が合うことが多い3社は28-105mm域を選択)
・ニコン F90 + Ai AF 28-70mm F3.5-4.5D
(我が道を行くニコンはこの時期28-70mmを選んでいた)
 
こうした標準ズームレンズとセットになることが多い望遠側のレンズも標準ズームの動きと連動しており、概ね90年代初頭にはこれまでの70-200mmクラスから100-300mmクラスへ移っていった。MF時代は200mmまでが一般ユーザーにも手が届きやすい望遠レンズで、300mmというのはそれらに比べれば一段上の望遠といった扱いだったようだが、これらが下に降りてきた格好である。ただし70-200mmクラスには安価軽量という特徴もあったため、これらを完全に置き換えるには至っておらず、この二つのズーム域は用途に応じて棲み分けが出来ていたと言えるだろう。
 
またこうした標準ズーム&望遠ズームのいわゆるWズームというのは廉価を武器にするレンズメーカーにとっても貴重な収益源であり、量販店ではカメラメーカー製ボディ+レンズメーカー製ダブルズームという売り方が定番であった。デジカメ時代になってからはこの売り方は陰を潜めたが、一昔前のカメラ店のチラシなどを見るとこうしたキットは特売でよく見かけたものである。
 
一方で、90年代半ばにかけては高機能廉価機と並ぶもう一つの潮流である「趣味者の為のカメラ化」についても布石が打たれ始めていた。各社共に90年代前半からこれまで以上に高級レンズシリーズに力を入れ始め、またそのシリーズとして大口径ズームレンズを取りそろえるようになったのだ。MF時代から層の厚かったキヤノンLレンズは別格としても、ペンタックスはわずか三本の望遠のみ(うち二本は一般ユーザーには縁遠い600mmクラスの超望遠)に終わったF☆シリーズからFA☆シリーズへ切替えてラインナップを拡充し始め、ミノルタもこれまで存在しなかった高級レンズシリーズをGレンズとして再定義することになった。ここでもニコンは他三メーカーとは異なる路線を取っていて特定のレンズシリーズ名を掲げることはしなかったが、もちろんそれらのメーカーの高級レンズシリーズに対抗しうるスペックのレンズを用意していた。
 
AF一眼レフカメラが当たり前の存在となり、その中で上級・プロ向けと呼べるクラスのボディが登場するにあたって各社ともにそのマウントの顔となる大口径ズームレンズが求められるようになった時代と言って良いだろう。
 
例としていわゆる「純正大口径標準ズーム」の登場年
・1987 ニコン Ai AF Zoom Nikkor 35-70mm F2.8S
・1989 キヤノン EF28-80mm F2.8-4L USM
・1993 キヤノン EF28-70mm F2.8L USM
・1993 ミノルタ AF ズーム 28-70mm F2.8G
・1994 ペンタックス FA☆ ZOOM 28-70mm F2.8 AL
 (ニコンを除き、94年までにはF2.8通しズームが揃っている)
 
ただし、大口径ズームレンズを一纏まりのシリーズとして展開したという意味ではこれら純正レンズよりも先行する(MF時代に発表された)トキナーAT-Xシリーズの影響も大きいのではないかと思われる。大口径ズームレンズの中でも特にステータスとなっているF2.8通しズームのルーツはレンズ単体としては1982年のニコンAi Zoom NIKKOR ED 80-200mm F2.8S、そしてシリーズとしてはトキナーAT-Xシリーズにあるのではないかと筆者は考えているが、改めて各カメラメーカーがブランディングを始めたことでこれ以降カメラメーカー製(純正)大口径ズームレンズが各社の顔となっていき、それに伴って大口径広角・標準・望遠ズームを揃えた、いわゆる「大三元」という呼ばれ方も一般的に広まっていくことになった。
 
こうしてカメラもレンズもある意味二極化していくわけである。
 

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