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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第17回 各社最後のAF一眼レフとデジタルへの橋渡し(2)

2024/04/01
佐藤成夫

先月に引き続いて、各社最後のAF一眼レフについて取り上げていく。前回は四メーカーのうちペンタックスとミノルタを取り上げたため、必然的に残ったのはキヤノンとニコンということになるわけだが、この二社の最終機は登場時期が一ヶ月違いと近接しつつも、全く違った性格の機種となっていた。

 

 

キヤノン最後のAFフィルム一眼レフ機「EOS Kiss7」

 

まずは2004年9月に発売となったキヤノン EOS Kiss7についてである。このカメラはその名前からも分かる通り、キヤノンの看板シリーズであったEOS Kissシリーズの一つであり、その最終機種となっている。ということはKissシリーズはフィルムだけでも7機種も出たということになるわけだが、その割にこのシリーズで数字の付いたモデルの印象が薄いのは、実は数字を冠したモデルは3,5,7だけで、しかも3を冠するモデルが二つもあるからだろう。

 

EOS Kiss7 シリーズの最終機種となった

 

EOS Kiss7のスタイリングは基本的にはEOS Kiss5を踏襲したものとなっており、操作系も同様である。ただし、EOS Kiss5には存在した軍艦部左手側のボタンは(前モデルであるEOS Kiss Liteの頃から)なくなっており、とうとう操作部材はモードダイヤルも含めて全て右手側にまとめられてしまった。

 

他の末期の高機能廉価機と同様、このカメラも機能面では行き着くところまで行っており、測距点は7点、シャッタースピード1/4000、35分割測光に3コマ/秒の連写といったところはもちろんのこと、金属製マウント・絞りプレビュー・ユーザーカスタム機能が存在する上に別売りでバッテリーグリップが用意されていたことなども含めて、もはやスペック面で中級機と切り分けることが難しいほどの高機能を誇るようになっていた。

 

ちなみに上記でEOS Kiss7は金属製マウントとしたが、実は純粋な金属製マウントではない。Kissシリーズには他に金属製マウント採用モデルとしてEOS Kiss5が存在するのだが、EOS Kiss5のマウントは爪まで金属であったのに対しEOS Kiss7ではマウントの正面から見える面だけが金属で、その奥にあるバヨネットの爪はプラスチックのハイブリッド構造である。これは質感と軽量化を両立する策なのか、以降他のメーカーでも採用例がある手法となっている。

 

また、外観面ではペンタプリズム部のメーカーロゴは彫り込み+墨入れ仕上げとなっており、多くの場合廉価機はコストダウン優先でプリント仕上げだったことを考えると、これもまた製品クラスの割には質感にこだわった証拠と言えるだろう(ちなみに、前回取り上げたα-70はアルミカバーということもあり浮き出しロゴをヘアライン仕上げとこちらも凝っていた)。やはりペンタプリズム部のメーカーロゴはカメラの顔なのだ。

 

そしてグリップには新品時は品位向上の為にゴム質塗装がされていたのだが、この手のゴム質塗装は、90年代カメラやレンズの宿痾のようなものである。各メーカーでのそれと同様に劣化した結果、現在筆者の手元にある個体も実用に差し支えない程度に剥がされている。

 

EOS Kiss5の時点でほぼ右手側にボタンが集約されるなど操作系は既に完成されていたが、背面大型液晶の搭載に加え、このモデルでは独立した連写モード切替ボタンやAFポイント選択の為の十字キーも装備しているなど、必要な機能はボタンとして外に出す等の変更が加えられている。いずれにせよこのカメラがキヤノンの高機能廉価機の最終形態であるし、つまりは高機能廉価機そのものの最終形態と言っても良いだろう。

 

そしてこのようなモードダイヤルを中心としつつ、よく使う機能は独立したボタンを設けており、また基本的には右手側のボタンでほとんどの撮影操作が完結するという操作系はそのまま初期の普及価格帯デジタル一眼レフの操作系にも引き継がれることになったのは以前にも触れた通りである。

 

また、このカメラならではのトピックとしては、フィルムの非装填時のセーフティロックが挙げられる。フィルム未装填やレンズ未装着時にはシャッターが切れないようになっているのである(設定で解除可能)。今の目で見れば「それは売りなのか?」という点かもしれないが、前回取り上げたα末期の裏蓋ロック同様、フィルム一眼レフカメラにおいては末期までそこがケアされることはなく、最末期になってようやくこうしたきめ細かな機能が搭載され始めたのである。

 

おそらくはこうしたカメラを扱う層はフィルム未装填でもシャッターが切れれば撮れた気になってしまい、帰ってきて愕然……という例があったのだろう。筆者もデジタルカメラにおいてメモリーカードの差し忘れは何度か経験しているだけに、そういうこともあり得るだろうなと納得は出来る。ただ、裏蓋ロック共々AF一眼レフにおいてフィルムに関する諸問題が解決されたのは、もはやフィルムカメラ自体が主流から転げ落ちる時期になってからであった……というのが皮肉なところである。

 

さてそんなEOS Kiss7だが、こうしたカメラの完成形というのであれば是非使ってみたい……と思う方ももしかしたら居るかもしれないが、筆者の肌感覚ではいざ探すとなると意外にレアなカメラだと感じる。数年前であれば結構見たという話もあるのだが、筆者がこの原稿を書くために改めて現物を入手しようとしたらなかなか見付けることが出来なかった。最終的にはツテを辿ってなんとかなったのだが、同じスタイルをもつEOS Kiss5やKiss Liteは見つけても、このEOS Kiss7だけは自分の手で入手することが出来なかった。

 

そしてこのカメラの数が少ない理由については思い当たる節がある。本機の発売から遡ること一年、2003年9月に「デジタルのKiss」である初代EOS Kiss Digitalが発売されているから──である。

 

おそらく同時代のユーザーであれば、デジタル一眼レフにも関わらず実売で12万円前後という当時としては衝撃的なプライスを掲げたEOS Kiss Digitalの方に目を奪われたであろうことは間違いないし、仮にEOS Kiss Digitalを買わなかったとしても、かつてのKissシリーズのユーザー層はコンデジを含むデジカメに流れつつあったのもまた間違いない。そんな逆風の中で生まれたモデルであったが故に、いかに大ヒットシリーズの最終機といえども比較的数が少ないモデルになってしまったのではないかと思われる。

 

実際、キヤノンはEOS Kiss Digitalの発売時点で既にEOS-1DやEOS 10Dといったプロ仕様やハイアマ向けモデルのデジタル化を済ませており、言わばKissは一眼レフデジタル化最後のピースであった。それ故に、EOS Kiss Digitalの登場は一眼レフであっても完全にデジタルへと軸足が移ったという証拠でもあった。前回の*istやα-70は発売時点では同メーカーかつ同クラスのデジタル機は存在しなかったわけだが、今回取り上げるEOS Kiss7やF6は同メーカーかつ同クラスのデジタル機が登場時点で既に存在したというわけで、これは大きな違いである。

 

なお、後述のニコン D2HとF6の関係性とは異なり、EOS Kiss DigitalとEOS Kiss7は掲げているシリーズ名こそ同じKissであるがボディや機構面での共通性はほとんどない。EOS kiss7がベースとなってEOS Kiss Digitalが生まれているというわけではなく、両者のデザインも完全に異なっている。これは高機能廉価機というポジション上、それぞれに最適化をした結果であろう。

 

そして、キヤノンにおけるAF一眼レフの最終モデルはというと、「最新」という意味では上記の通りEOS Kiss7なのだが、最後まで販売されていたモデルとなるとEOS-1Vとなる。過去の回でも触れたが、EOS-1Vは最終的に2018年5月まで販売が続けられていたのである。
https://canon.jp/support/support-info/sales-support-end/180530eos1v-end

 

 

AFフィルム一眼レフの最後のカメラとなった「ニコン F6」

 

さて、次がいよいよAFフィルム一眼レフの本当に最後の機種となるわけだが、トリを務めたのは意外にも(?)ニコンが誇るF一桁の最終機であるF6であった(2004年10月発売)。このF6こそが、登場時期こそEOS Kiss 7と一ヶ月違いでしかないながらも「一番最後に出てきたAF一眼レフ」であり「一番最後まで売っていたAF一眼レフ」にもなったカメラである。ニコン以外の各社の最終機が高機能廉価機であったのに対し、ニコンは堂々のフラッグシップがフィナーレを飾ったあたりも、AF一眼レフにおいて我が道を行き続けたニコンらしいと感じる点である。

 

F6。先代のF5から一転し、再び縦位置グリップは着脱式に

 

……なお、AF一眼レフの話からは少し脱線してしまうが、前回取り上げたクラシックカメラブーム等もあってか、この時期のニコンはデジタル化を推し進めつつもフィルムカメラに対してもずいぶん前のめりである。2000年にはかつてのレンジファインダーの名機S3を復刻販売、続く2001年には最新のMF機となるFM3Aを発売、この2004年のF6を経て、2005年にはなんとレンジファインダー時代の最上位モデルであるSPを復刻販売している。つまりニコンの最後のレンズ交換式フィルムカメラはSPだったという見方も出来るわけである(もちろん復刻のため、新開発という意味ではF6が最終モデルとなる)。

 

とはいえ、レンジファインダー機は高価な上に当初から限定の復刻生産であったし、FM3Aは部材調達の都合もあってかMFフィルムカメラとしては短命と言って良い5年程でその生涯を終えてしまった。そしてF6だけが比較的最近まで生き残っていたのである。

 

このF6、今でこそフィルムカメラの最期を看取った機種であるかのように見えるが、開発時点では必ずしもそのような意識ではなかったようだ。D2シリーズとの同時開発であることは公言されていたが、一方で製品開発のサイクルとしてはF4が1988年発売、F5が1996年発売、そしてF6が2004年発売というわけで、概ね8年サイクルでの代替わりとなり、これはAF時代のF一桁としてはほぼ従来通りである。要するに変わったのはカメラではなく市場の方なわけだ。当時の価格は30万円とD2Hの49万円とは差があるが、内容的にはこの二つは同クラスの兄弟機と言って良いだろう。

 

さて、F6は泣く子も黙るF一桁シリーズの最終機種となるわけだが、その方向性は前機種であるF5とはやや趣を変えていた。F5のコンセプトは一言で言えばスピードだったわけだが、F6においてはストイックにそこだけを突き詰めているようには見えない。無論手を抜いているわけではなく一線級のスペックを誇っているのだが、かといって以前のようになんとしてでも最速モデルとして君臨するという雰囲気でもないのだ。

 

語弊を恐れずに言ってしまえば、F6の方向性はF5とF100を足して二で割ったようであるとか、F100の上位版といった印象を抱かせるのである。これは、F6の発売時期が上記のようにデジタル一眼レフ普及期とも重なっており「それでもフィルムカメラを選ぶ層」に向けて作られたという面もあるのではないかと筆者は感じている。

 

また、これまでのF一桁シリーズのお約束になっていた部分についてもいくらかの変更が見られる。この世代でオミットされたのは初代からの伝統であったファインダー交換機能と、AF化以降のお約束だった単三電池駆動である。逆に手動での巻き戻しクランクは残されていた。

 

それぞれに解説していくと、まずファインダー交換機能は初代たるニコン F以来の伝統となっており、一眼レフにおけるシステム性の頂点のような機能であった。MF時代には他社上位機にも採用例があったが、AF時代にもこれを採用していたのはそれこそF一桁シリーズのみとなり、実質的にF一桁のアイデンティティともなっていたが、この世代においてついに固定式ファインダーへ変更となった。ただし、当時のプロ機のお約束である視野率100%と丸窓の接眼部は堅持している。

 

次に電池についてだが、AF一眼レフの電源は80年代末にはリチウム電池が一般的になっていたわけだが、F一桁シリーズに限らずニコンのAF上位モデルは単三電池の採用が通例となっていた。これは海外ではリチウム電池よりも単三電池の方が入手しやすいためで、海外に持ち出すプロも多かったことからこの仕様はお約束となっており、先代にあたるF5やその直下であるF100でも基本的には単三電池が電源で、それ以外はオプション扱いとなっていた。

 

完全に余談となるが、筆者はこの単三電池仕様のせいで電池室で液漏れが発生してジャンクカゴ行きとなったニコン上位機を多数目撃しており、そのたびに勿体ないと感じる次第である。逆に言うとリチウム電池が液漏れしないからこそAF一眼レフは現在でも比較的動く個体が多いとも言える。まぁ、現在のリチウム電池のコストはだいぶ痛いのだが……。

 

閑話休題。F6ではこの仕様が改められ、標準ではCR123Aリチウム電池×2が電源となり、単三電池の使用はマルチパワーバッテリーパック(縦位置グリップ)使用時に選択可能なオプション的存在となった。なお、デジタル機と同時期に開発されたことからデジタル機で使用される充電式バッテリーも選択出来るようになっており、スペック上の最速である8コマ/秒を出すためにはこれらの縦位置グリップと電源が必須となっている。またこの縦位置グリップにも新たに十字キーが追加されており、縦位置での操作性向上が図られていた。

 

マルチパワーバッテリーパック装着時のF6

 

先の通り、巻き戻しクランクだけは伝統的機能としてF6にも残されたが、これはかつてのように何があっても撮影済フィルムは守るという一種の堅牢性の表れというよりは、フィルムカメラとして、F一桁としてのシンボルとして残されたのではないかと感じる。なお、この位置に巻き戻しクランクがあるためニコン中上位機ではおなじみだったクローバーボタンはF6には採用されていないが、デジタルのためこのような配慮が不要であったD2シリーズは当然のごとくこの位置にクローバーボタンを採用している。

 

ボディはこの時期の高級モデルらしく金属ボディとなっており大部分がマグネシウム合金製となっているが、平滑性が必要なフィルムガイドレールを担当する後部ボディのみアルミニウム合金製となっている。事実上の兄弟機であるD2シリーズではこのような使い分けは無く総マグネシウム合金製ボディとされているところを考えると、この点はフィルムカメラならではの要素と言えるかもしれない。

 

F6は最後のフィルムAF一眼レフかつ最後のフラッグシップ機ということもあり、その操作系はこれまでのニコン中上位機の集大成的なものとなっている。クローバーボタンがないのは先に述べた通りだが、それ以外はF5以降に改めて規定された操作系を踏襲しつつ発展させたものとなっている。

 

高解像度のドットマトリクス背面液晶と十字キーはこの機能のはしりであるα-7同様であるが、こちらも撮影時のステータス表示やメニューの日本語漢字表示(多言語対応可能)と充実している。背面液晶にすべてを託してカメラ上面の液晶はフィルムカウンターのみとしたα-7に対して、F6は上面液晶もフルスペックであり、この辺りも前機種であるF5からの連続性を感じると共に、フラッグシップ機としての威厳も感じる点である。

 

個人的には、90年代から搭載され始めた各種のカスタム機能はこうした大画面かつ日本語表示が可能な液晶とセットで初めてフル活用出来ると感じているが、こうした機能もまたフィルムカメラとしては最終モデルでようやくフォローされたということになる。ただ、かゆいところに手が届き始めたと思ったらそれが最後だったわけだ。

 

またこれは本機に限らないが、最末期の中級機以上では本体のみで撮影パラメーターの写し込みや本体への保存が可能になっている(F5ではオプションのデータバックで対応)。こうした機能も一部のユーザーには熱望されつつ末期になってようやく実現されたものであるが、同時期のデジタルカメラはというと相当する機能が既にExifとして標準装備されていた。

 

当然このような機種であるのでメカ的にも奢られており、ミラーバランサー搭載のシャッター周りは品位を感じさせつつも、いざとなれば8コマ/秒のスペックを誇っている。とはいえ、先に述べた通りこのモデルはデジタル一眼レフであるD2シリーズと同時期に開発されており、そちらの高速モデルであるD2H(2003年)でも8コマ/秒かつフィルムの36コマを超える40コマの連続撮影を可能にしていたため、利便性や速報性を重視するユーザーではデジタル機への移行が進むこととなった。

 

……つまり、フィルムカメラとして単体で見ると機能や性能はいずれも完成形と呼べるものでもちろん凄いのだが、一方でデジタル一眼レフも手の届く存在となった状況を考えると、この二つを並べた途端にこれらの凄さが霞んでしまうというのもまた事実なのである。

 

そして発売時期を見ればF6よりも先にD2シリーズの一機種目が発売されている(2003年10月D2H発売)わけで、かつてのようにフィルム一眼レフカメラを元にしてデジタル一眼レフカメラを作るという手法ではなく、むしろデジタルを元にしてフィルム機が生まれたようですらあった。とはいえそのような作り方がされたのはこのF6ただ一機種だけであり、そのような意味でもこのカメラは特異なポジションを占めていると言える。

 

同クラスのライバル機であったキヤノン EOS-1V(2000年)の項でも触れた通り、このフラッグシップ二機種を並べてみるとやはりその方向性は明らかに異なる。デジタルがまだ一般ユーザーどころかプロにもそうそう手の届かない中で、その時代の最強のカメラを目指したEOS-1Vと、既にデジタルが追い付き、追い越した中でそれでもフィルムカメラを使う意義についても目を向けたF6といった印象である。EOS-1VとF6とは登場時期に四年の差があるわけだが、それはこの四年間に起きたデジタル一眼レフの進歩によるフィルムカメラ自体の位置付けの変化を表したものでもあるのだ。

 

いずれ劣らぬフラッグシップだが、登場時期の差からかその性格は異なっている

 

なお、ニコン F6は2005年のカメラグランプリにおいてカメラ記者クラブ特別賞を受賞しており、これがカメラグランプリにおいてAFフィルム一眼レフに与えられた最後の栄誉となっている。これが最後のモデルなので当たり前ではあるが。

 

そしてこのF6が、発売時期だけではなく、生産や販売の面でも最後のフィルム一眼レフとなった。生産終了は2020年11月頃とされており、実に登場から16年間販売され続けていたことになる。これは同時期にニコンが国内でのカメラボディの生産を取りやめ海外工場へ完全に移管したこととも関係している。

 

また生産終了直前の2020年7月には(その前年に改訂された)欧州RoHS規制への対応のために直近生産分と思われる152台のリコールが発表されている。仮にこれがRoHS規制発効後に生産されたため規制に引っかかるという理由でのリコールであれば、2020年時点においても細々とながら生産が続けられていたということになる。一般に電子機器等の調達の都合から電子化されたカメラの長期生産は難しいとされているが、よくもまぁここまで続けていたものである。
https://www.nikon-image.com/support/whatsnew/2020/0715.html

 

とはいえ、この生産終了に際してライバルであったキヤノン EOS-1Vのようにプレスリリースが出た形跡はなく、いつの間にかwebサイト上での扱いが旧製品へと移行しただけであったように記憶している。フィルムAF一眼レフカメラの本当の終わりというものは、このようにひっそりとしたものであった。

 

今回は二大メーカーであるニコンとキヤノンのAF一眼レフ最終モデルを取り上げたわけだが、これらのモデルはクラスこそ違えど、登場時期の関係で同マウントでのデジタル版と比較される運命をも背負っていた。それはEOS Kiss Digitalに対するEOS Kiss7であり、D2Hに対するF6といった具合である。それどころか、発売時期で言えばどちらもデジタル版が先行してすらいる。最大のボリュームゾーンであった高機能廉価機とメーカーの威信をかけたフラッグシップ機、そのどちらでもこのような構図になっていたというのは、すなわちデジタル機が主であり、フィルム機が従となったことの証拠だろう。それどころか、この主従の逆転というのもこのたった数年だけのものであり、フィルムAF一眼レフはこれらの機種を最後に消滅してしまった。二十一世紀を迎えてからのフィルムカメラはそれまでの数十年分の変化がたった数年で起きているようにも見えて、まさしく激動の時代であったといえる。

 

というわけで、フィルムAF一眼レフが「終わった」のはいつかと言えば、AF一眼レフは二度死ぬ……というわけでもないが、新製品の供給が止まったのは2004年で、製品としての供給が止まったのは2020年ということになる。とはいえ2000年代中頃以降は実質的にキヤノン EOS-1V(2000~2018年)とニコン F6(2004~2020年)がラインナップに申し訳程度に残り続けただけであって、これをもってAFフィルム一眼レフが2020年代まで現役バリバリであったとは誰も思わないだろう。すなわち、本稿としてのAFフィルム一眼レフの歴史は、概ね1985年1月のミノルタ α-7000以降、2004年10月のニコン F6までの約20年弱ということになる。もちろんその前後に興味深い出来事はあるものの、製品史としては概ねこの辺りをカバーしておけば十分だろう。

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