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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第18回  AFカメラの時代にレンズに起きたこと (1)

2024/05/02
佐藤成夫

本連載では前回までにAF一眼レフの歴史として各社のボディを中心に一通り紹介してきたわけだが、これまでレンズのことについてはあまり触れてこなかった。AF一眼レフはレンズ交換式カメラでもあるので、AF一眼レフの時代に何が起きたのかということを語るのならば、ボディだけではなくレンズ側についても触れる必要があるだろう。

 

というわけで、今回は時計の針を再びα-7000登場前後まで巻き戻して、AF一眼レフの時代にはレンズにどのような変化が起きたのかについて触れていきたい。特に、AF一眼レフの黎明期は各社共に手探り感が強かったこともあり、今では廃れてしまった仕様なんかもある。一部過去の連載で触れている部分もあるが、改めてレンズ側の変化について解説していく。

 

さて、AF一眼レフ化――同時にレンズのAF化――は電子化であり自動化でもあった。これによってレンズに加えられたもので目立つのは各種電気関係の部品やAFに関係するメカである。具体的には各種のデータを司るROMやエンコーダーといったセンサー類、そしてこれらに加えてボディ内モーター陣営であればレンズとボディを繋ぐAFカプラであったり、レンズ内モーターを選択した陣営であればフォーカス群や絞りを動かす為のアクチュエーター(モーター)……といったところだろうか。

 

α-7000以前の黎明期のAF一眼レフではこうした部品の他にレンズ側にAFセンサーや電池ボックスを装備した製品もあった。ただ、この時期にはモーターの小型化などにも限界があったためレンズが大きく重くなることは避けられず、形状自体も従来のレンズとは大きく異なってしまいあまり受け入れられることがなかった。結果としてこれらα-7000以前のAF機たちはAF一眼レフシステムとしての広がりを見せることができず、短期間で姿を消しているのは過去の回で触れた通りである。

 

こうして各種の部品や要素が増えた一方で、レンズからなくなったものもある。まず、ボディとレンズ間のデータ連動の多くは電子接点とその先にあるROMに取って代わられたため、かつてレンズマウントに存在した各種の連動レバーやノッチは不要となった。マウントを変更した陣営はこれを機にスッキリとしたマウントを実現し、また既存マウントを引き継いだ陣営も、徐々にメカニカルな連動部分を削減していった(特に互換性に五月蠅(うるさ)くない廉価価格帯では、こうしたメカ連動を省くことでボディ・レンズ共にコストダウン出来るため)。

 

なくなったものといえばもう一つ、α-7000がミノルタAマウントを策定した際に話題となったのは、レンズから絞りリングそのものが消えていることだった。絞りの値はボディ側から設定することが定められたため、レンズ側からは絞りリングが消えたのである。この絞りリングの消滅はカメラの電子化と自動化の象徴でもあった。

 

なおこの絞りリング、少なくともAF一眼レフ及びデジタル一眼レフの時代においてはほとんどすべてのメーカーが廃止の方向へ舵を切ったのだが、ミラーレス機の時代においては再評価が進み、復活を果たしている。ただし、この復活した絞りリングというのはかつてのようなメカニカルなそれではなく、一種の電気スイッチである。

 

そして、絞りリングと対照的な道を辿ったのが、同様にレンズの操作部として存在していたピントリングである。こちらはしっかりと残された。もっとも、仮にAFでしか使わないカメラであれば究極的にはピントリングは不要と言える。実際にAF化で先行したコンパクトカメラではピントリングはおろか、ピントを手動で調整する方法すらないものが多い。また、絞りリングについてはボディ側からの操作で代用としたのだから同じ理屈で言えばピントリングも同様に代替となる機能があればなくせるはずである。……というわけでオリンパスOM AFのように、ピントリング自体をレンズから廃してしまう例も少数ながら存在した。

 

しかし、そうは言ってもAF一眼レフはまだ発展途上のシステムでもあり、必ずしもAFが100%当たるというわけでもなかった。使用中、MFに切り替えて使うことも当然想定されており、普段は邪魔だが、かといってなくすわけにもいかない……といったあたりがピントリングに対する大多数のメーカーの認識だったのではないかと思われる。

 

こうした問題に対して、ほとんどのメーカーはピントリングのサイズと配置を変更して対応にあたった。何故こうなったかというと、当初のAFレンズではピントリングがモーターと連結されている以上、ピント合わせのたびにピントリングも合わせて回ってしまうという問題があったからである。このため邪魔にならないようなサイズと配置にする必要があったのだ。ただ、そうした配慮をしてまでピントリング自体はレンズに残されることになった。

 

実際に50mmレンズで比べてみると、AF化されたレンズではピントリングはレンズの先端に移動しており、幅もMF時代と比べて大幅に縮小されている。このピントリングは先の通り、AFでのピント合わせ中に供回りするわけだが、先頭にあるので、カメラを構えていても邪魔にならないというわけである。

 

(左)ミノルタ ROKKOR-PF 55mm F1.8 (右)ミノルタ AF50mm F1.4 

ピントリングは半分から1/3ほどに。

 

超望遠レンズのような極端に長いレンズについては流石に先端に配置することは困難だが、こうした大型のレンズであればピントリング以外にも保持する場所はたくさんあるし、またこうしたレンズはインナーフォーカスが多いため、この場合はレンズ鏡筒の中間にピントリングが配置された。それでも気になったのか、ミノルタではある時期まで格納式のピントリングカバーを装備していたものもある。

 


ミノルタAF APO TELE 200mm F2.8のピントリングカバー

 

また、これらのピントリングはモーターの比較的小さな力で動かさなければならないため、かつてのようなグリスの抵抗を感じるねっとりとしたヘリコイドは姿を消し、悪く言えばスカスカの操作感になってしまった。AF一眼レフの登場当初は、AFの確実な動作とその速度が最優先事項であり、ピントリングの位置も含めてMF時の質感といったものは、いったん脇に置かれていたのである。後にこうした点も含めて改善の動きは出てくるのだが、少なくとも黎明期においてはそれらは二の次であったと言える。

 

なお、こうした問題の解決のためにピントリング自体をスイッチ化してしまい、ピント合わせはモーターによって間接的に行う電子ピントリング(いわゆるバイワイヤ式)も試行されたが、これについてはもう少し先の話であり、パワーズーム等レンズの更なる電動化の際に合わせて触れるのが適当かと思っているのでここでは深追いしない。

 

また、AF化に影響を受けたものといえば、直進式ズームもその一つと言って良いかもしれない。ピントリングとズームリングが一体になった直進式ズームは、かつてはピントリングを大きく取れる上に持ち替えずに、ズーミングとピント合わせができるという使い勝手の良さから根強いファンも多く、レンズメーカー等も含めれば採用例は多かった。

 

しかしピントリングがズームリングを兼ねるという構造上、AFレンズではあまり好まれない方式となってしまった。初期のキヤノンEFレンズなどではズームは直進、ピントリングは独立回転式としたものも多かったが、かつての直進式ズームのような幅広なピントリングという利点もなかったため、これであれば回転式の方がよいと判断されたのか順次回転式に切り替わっている。これ以降一部の比較的高価なレンズでは直進式を採用するものもあったが、概ね90年代までにはズームといえば回転式となって今に至っている。

 

これらピントリングの問題とも密接に関係してくるのが、レンズのフォーカス方式の問題である。当時のレンズは単焦点であれば全群繰り出し方式を取るものが多かったが、この場合、重たいレンズを一括して(全群)動かすことになる。標準から中望遠くらいであればこれでも済むが、重たければ重たいだけAF速度が低下してしまう。ズームに関しては前群繰り出し方式が一般的であったが、これも大口径や高倍率を目指すと前玉径は大きくなっていき、つまるところ重たくなっていく。これをマウントの根元にあるカプラーからギアやシャフトを介して動かすことになるので、こちらもAF速度に直結することになる。

 

こうなると、レンズの中でも軽いレンズ群だけを動かしてピントを合わせたいという要求が生まれるのは自然なことであろう。軽いレンズ群だけを動かしてピント合わせする……すなわちインナーフォーカスの技術自体はすでに超望遠レンズなどで一般的であったが、これがさまざまな焦点距離のレンズまで降りてきたのは、やはりAF化の影響を無視することはできないと言える。例えばα-7000の時代で言うと、当時としては高倍率であったAFズーム 28-135mm F4-4.5にインナーフォーカスの一種であるリアフォーカスが採用されている。なおこのレンズに関してはリアフォーカスのため、ピントリングは先述したようなレンズ先端ではなくレンズのマウント側に配置されている。

 

 

 

ミノルタ AFズーム 28-135mm F4-4.5 

当時はこれでもかなり高倍率だった。

 

また、いわゆるキットレンズと呼ばれるレンズは、この時期完全にズームレンズへと切り替わっている。これはAF化以前からの潮流ではあったのだが、もはやAF化以降は50mm単焦点が標準レンズという認識も完全に消えてなくなってしまったように感じる。筆者が中古市場を見ていても、MF時代であれば山ほど出てくる50mm単焦点がAFになると途端に珍しいものとなり、代わってショートズームがそのポジションを占めているのである。

 

さて、α-7000のレンズ(αレンズ)でエポックメイキングとされているものの一つにAFズーム 35-70mm F4で採用された複合非球面レンズがある。非球面レンズ自体はこれ以前にも存在しており、例えばライカのノクチルックス 50mm F1.2(1966年)やニコン OPフィッシュアイニッコール 10mm F5.6(1968年)やキヤノン FD 55mm F1.2AL(1971年)などに採用例がある。非球面レンズは収差補正に強い効果を発揮するのだが、当時はこれを研削や研磨によって生産しており、量産性が著しく悪く当然高価でもあった。その結果として上記のような特殊なレンズにしか採用されていなかったのである。

 

※例えば、キヤノンFDレンズには当時同じ明るさで非球面レンズ採用のF1.2ALと非採用のF1.2が併売されていたが、当時の定価はF1.2ALが145,000円、F1.2が39,000円であった。この価格差がそのまま非球面レンズそのものの価格差というわけではないにしろ、非球面レンズの採用というのはそれだけコストのかかるものだったのは間違いないだろう。

 

一方で、ミノルタAFズーム 35-70mm F4で採用されたのはこれらとは異なる方式の非球面レンズであった。簡単に言えば普通の球面レンズの上に樹脂の薄い層を作り、その樹脂層に非球面形状を金型で転写することで全体として非球面レンズが完成する……という方式が取られたのである。この方式はガラスレンズと樹脂レンズの複合であることから複合型非球面レンズと呼ばれており、現在では低コストで非球面レンズを実現する手法の一つとして一般的である。

 

先にも述べた通り、α-7000の時代にはカメラのキットレンズは既に単焦点からズームへと軸足が移っており、中でも35-70mm F4はイメージリーダーであり最量販レンズと言って良い存在だった。こうした数の出るレンズへの非球面レンズの採用は画期的だったと言って良いだろう。またこの非球面レンズの使い方に関しても、かつての特殊レンズにおける究極的な性能を目指したというよりは、全長の短縮やレンズ枚数の削減といった部分に重きを置いている。ある意味で、非球面レンズ大衆化の第一歩となったのがこのレンズだったと言えるだろう。

(次回に続く)

 

(左)ミノルタ AFズーム 35-70mm F4 (右)ミノルタ AF50mm F1.4 

標準レンズと変わらないサイズ感。

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