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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第4回 α-7000の登場 そしてAF一眼レフ時代の新たな操作系の始まり

2023/03/01
佐藤成夫

ミノルタ α-7000 1985年

 

AF一眼レフは新たな時代へ

 

1985年1月、一台のカメラが発表された。そのカメラの名はミノルタ α-7000。

 

発売直後から大ヒットモデルになり、当時主要一眼レフメーカーの中で下位に沈んでいたミノルタの国内シェアを一時的とはいえトップに押し上げ、カメラ業界内だけに留まらない、社会現象的なヒット作として「αショック」なる言葉も生み出した、まさに一世を風靡したカメラであり、現在では世界初の本格的35mmAF一眼レフとして知られている。そして筆者としては、操作系の面でも時代を変えたカメラであると考えている。


……と、ここで「世界初の本格的35mmAF一眼レフ」という持って回った言い回しに引っかかる人もいるかもしれない。実のところ、AF一眼レフにおいては何が初なのかという点で様々な捉え方があり、例えば機構的な意味で言えば、前回述べたペンタックス ME-Fなどが(ボディとレンズの連動を前提としたシステムとして)初のAF一眼レフとされている。つまり、α-7000は必ずしも世界で最初のAF一眼レフ「ではない」のである。

 

しかし、現在では事実上このα-7000からAF一眼レフの歴史が始まったとする見方が多い。これは、このα-7000並びにαシステムが「AFの存在を前提として考案された初のカメラシステム」だったからであると筆者は考えている。……とはいえこれはカメラの機構面からの見方であり、一般ユーザーから見た意義としてはこれが初めて大衆に広く受け入れられたAF一眼レフだったからというところに落ち着きそうではあるが。

 

さて、ここで簡単にα-7000のスペックについて紹介してみよう。主眼はもちろんAF化なのだが、実のところAF以外の各スペックを書き出していくと、その当時実現されていた(前機種に相当するX-700にはなかったものも含む)最先端の機能をことごとく取り込んでいることにも気付く。


露出モードはプログラム/絞り優先/シャッタースピード優先/マニュアルを含むいわゆるマルチモードに全て対応しており、そのプログラム自体も複数のプログラムラインを自動切り替えするマルチプログラムである。もちろんストロボも自動制御であり、また細かな露出制御のためにAEロックと露出補正の両方を備えている。シャッタースピードは30秒から最速1/2000秒と、ミノルタとしてはX-1以来の1/2000秒搭載機であった。フィルム給装についてはワインダー内蔵となり、オートローディングかつ自動巻き上げに加えて自動巻き戻しも実装していた(※この時代、ワインダー内蔵であっても巻き上げのみが自動で巻き戻しは手動クランクというのもまだまだ存在していた)。更に当時まだ普及の途上にあったDXコードにも対応していたので、フィルム周りは完全自動化と言えるレベルである。もちろんデート印字にも裏蓋交換で対応している。


当時既に他メーカーも含めて実現されていた主要な機能で搭載されていないものといえば、1/4000秒シャッターと分割測光くらいだろうか。もっともこれはその後に出た上位モデルのα-9000において1/4000秒シャッターとマルチスポット測光を搭載することで部分的にカバーされ、最終的には後継機となるα-7700iで分割測光が搭載されている。

 

もちろん多くのユーザーにとってα-7000の一番の目玉がそのAFにあったことは間違いないのだが、AFという要素を抜きにしてもその当時出来る機能をほとんど全部載せにした、まさにミノルタ渾身のカメラだったことは間違いないのである。ただし、AFを始めとした各種機能の実現のために一眼レフシステムの根幹たるマウントは完全に新しいものへと変わった。これまでのミノルタSRマウントから、新たに口径を拡大し電子制御を導入したミノルタAマウントへと変更されたのである。そしてこの二つのマウントに互換性は存在しなかった。ミノルタAマウントを中心に据えた新システムへの移行は、すなわちこれまでの既存カメラ、ひいてはそれを使うユーザーとの断絶をも意味していたのである。

 

ミノルタAマウント部

 

実際、一眼レフのマウントの変更はこの当時まで長らく禁忌とされていた。かつて変更に踏み切ったメーカーでは、後方互換性に配慮してなお売上を落とした例が散見されたからである。まして後方互換性すらほとんどなくユーザーの手元にあるレンズやオプションが一切使えなくなるレベルでの刷新というのは、80年代の大手一眼レフメーカーとしては前代未聞の出来事であった。だからこそ、αの登場は業界内でも衝撃をもって迎えられたようだ。

(※正確には一部のレンズに使用可能なコンバーターが用意されたようだが、大々的に売り出されたものではなく、極めて少数出回っただけのようだ。)

 

「多機能にしてシンプル」を掲げるα-7000の操作系とは

 

さて、α-7000のスペックについてはこのくらいにして、本稿の主題である操作系の面から話を進めていこう。まず最初にα-7000の操作系における……というか当時のミノルタにおける操作系のキーワードについて紹介しておこう。当時のミノルタでは「多機能にしてシンプル」というスローガンが掲げられている。α-7000及びこれ以降のミノルタαシリーズを理解していく上では、この言葉を頭の片隅に入れておく必要がある。


α-7000はその大ヒットによって操作系の世代を塗り替えたカメラであり、ある意味で現代の操作系のスタンダードを造り上げたカメラとも言える。しかし、それ故に今になって何処が新しかったのかを説明しようとするとかえって難しい面がある。では、α-7000が操作系の面でどのように新しかったのか。これらを考えていくと、筆者は結局「レンズから絞りリングを無くしたこと」に尽きるのではないかと考えている。

 

そう、α-7000の──つまり新たに定められたミノルタAマウントの──レンズにはピントリングは残されたものの、絞りリングは存在していない。このため、露出パラメーターはこれまでのようにレンズの絞りリングを操作するのではなく、ボディ側に表示される液晶の数値を操作するようになったのだ。ミノルタでは当時これをボディ集中制御(の一つ)であるとしていた。

(※α-7000においてはボディ内にCPUやAFモーターを内蔵し、各種機能や操作をボディ側へ集中させるという思想の元に設計されていた)


とはいえ、ボディ側での絞り操作に先例がなかったわけではない。例えばキヤノンA-1(1976年)ではレンズ側に絞りリングを持ちつつ、ほぼレンズ側の絞りリングはオート位置で固定運用とし、実際のパラメーターはボディ側に設けられたダイヤルから操作するようになっていた。これはボディ側で露出パラメーターを操作する初期の試みといえるだろう。もっとも、相変わらず絞りはダイヤルで操作していたので、絞りリングが形を変えて軍艦上に移設されたとも言える。


対するα-7000は絞りリングやダイヤルの実物を操作するのではなく、液晶上に表示されるパラメーターをアップダウンキーで操作する。これはシャッタースピードについても同様で、ボタンを押すと仮想のダイヤルや絞りリングを操作したのと同じことになり、それによって露出パラメーターが変化するというわけである(以下、便宜上仮想化と呼ぶ)。


これらの露出パラメーターは、ボディ上面もしくはファインダー内に存在するデジタル表示の液晶に数値として表示され、ユーザーはそれを見ながら数値を増減させていくことになる。α-7000はシャッタースピードのみならず絞りも(ついでに言えば感度設定も)デジタル液晶に表示した点が新しかった。露出のパラメーターはすべて液晶に表示され、それをアップダウンボタンによって操作するという操作系は、それまでのダイレクトなダイヤル操作に比べれば、より抽象度が増しているといえる。露出パラメーターの片側だけを仮想化した例はペンタックス ME Super(1979年)に見られるし、ペンタックス スーパーA(1983年)ではシャッタースピードのデジタル液晶表示が実用化されていた。しかし、カメラにおける露出制御のキモである、絞りとシャッタースピードのシーソー関係の両方を液晶表示とし仮想化したのはこのα-7000が初めてである。


そしてこれは現在の主要なAFデジタル一眼レフやミラーレス機が採用している操作でもあるのだ。


さて、このパラメーターの仮想化は操作系の概念を大きく変える機能を生み出すことにもなった。一つはプログラムリセット、そしてもう一つがプログラムシフトである。

 

プログラムリセット機能は、その名の通りプログラムをリセットする……要はオートモードへの一発復帰機能である。後述するプログラムシフトやAEロック、それに露出補正などがかかっていても、電源スイッチそばにあるPマークのボタンを押すと全自動設定へといつでも復帰するようになっているのである。これは仮に絞りリングやシャッタースピードダイヤルが物理的に存在していたら実現できない機構である。

 

プログラムシフトはカメラで選ばれたプログラムライン上から露出はそのままで絞りとシャッタースピードの組み合わせをシフト(移動)する機能である。つまり、同じ露出(明るさ)で、更に絞りを開けてバックをぼかしたいだとか、あるいはシャッタースピードを速めて写し止めたいとかいった要望に、各優先AEモードに切り替えることなく事実上同等の操作(任意の絞りやシャッタースピードへの移行)が出来るのである。


これらの機能は、物理ダイヤルが消えて露出パラメーターが仮想化され、それらがカメラの内部で連動しているが故に実現した機能である。こうした機能は以降に発売されたライバル機でも採用されているものが多く、中には独自の進化を遂げたものもあった。これについては今後の連載で適宜触れていくことになるだろう。このように、絞りリングの撤廃、シャッタースピードダイヤルの消滅と操作の仮想化はAF一眼レフの操作系に新たな道筋を示すこととなった。


とはいえ、α-7000は新たな操作系のために絞りリングをなくすことありきで設計したというわけではなく、機能向上のためにこうなったと言うのが正しいようだ。α-7000の開発について記した書籍には、このような記述がある。

 

  • 「自動露出制御のメカニズムはボディの底面に集中しています。オートフォーカス化では、このボディー底面が非常に重要な位置を占めるのです。現在のカメラ(筆者注:Xシリーズ等のミノルタ既存機はボディ底面に露出制御メカが存在した)にオートフォーカスのメカニズムを入れるとなると、機構的に問題が生じます。そこで、自動露出機構を下から横に持ってくることになったわけです。(中略)露出制御をボディ集中方式にすることで、絞りにしろ、シャッターにしろ、何かを変えたい時にボディから指示できるようになります(中略)ボディから指令を出してレンズが制御できるようになれば絞りリングは必要ないんです。絞りリングが取れるなら、マウント(ボディーレンズの接合部)も変えようということになりました」
  • [出典 宮野澄,ミノルタ”α”経営の現場, p18-19,講談社,1989]

 

つまり、操作系の変更はおろか、マウントの変更でさえ元はと言えばこの引っ越しの影響ということになる。AFに必要な光を得る為には、ミラーからサブミラーで分光して底面に導く(α-7000を始めとしたAF一眼レフで主流の方式)か、あるいはファインダーに向かった光を分けてもらう(ニコン F3AFなどで採用)ほかにないからであり、ボディサイズや形状に影響を与えづらいのは前者だったからである。

 

このようなことから、α-7000の操作系はそれ以前のカメラと異なりダイヤルではなくボタン操作が主体となっている。80年代らしく直線的かつフラットなデザインが特徴だが、それにはボタンと液晶を主体にした操作も大きく貢献している。

 

そもそも、かつてカメラの軍艦部で大きな面積を占めていたのは各種の「軸」であった。すなわち、巻き上げ軸、シャッタースピードダイヤル軸、巻き戻しクランク軸といったものである。これらを隠すようにデザインされたカメラもあったが、一方で当時は完全に廃することも難しかった。しかしα-7000ではパラメーターの仮想化とそれに伴うボタン操作化、そして電動巻き上げ&巻き戻しにより、これらの軸は廃されて軍艦部はフラットにまとめられている。

 

α-7000軍艦部


α-7000開発当初のデザインスケッチにもこれらの軸を前提としたものはなく、軸のない軍艦部のフラットなデザインはα-7000の特徴と言って良いだろう。なお、ミノルタ社内ではα-7000があまりにも先進的すぎるが故に、開発初期によりトラディショナルなモデルも同時並行で検討された。これが後のα-9000であり、その結果かα-9000には巻き上げ軸、モードダイヤル軸、そして巻き戻しクランク軸が残されている。

 

α-7000プレデザインモデル

[出典:I'm MINOLTA TECHNO REPORT 1986特集号,ミノルタカメラ,1986]

 

さて、α-7000は現代的な操作の礎でもあるので、現在のユーザーがα-7000を触ったとしても操作自体は比較的分かりやすい。というのも、α-7000は基本的に一機能一ボタンという決まりが守られており、またそのボタンについてもすべてカメラ上に露出しているからである(以降のモデルでは組み合わせで振る舞いの変わるボタンや、フタに隠されたボタンが登場する)。基本的には左手側の機能ボタンを押して右手側のアップダウンボタンで設定すればよい。ボディ上面の液晶もしくはファインダー内の液晶を見ながら操作するという点では、現代の多くのカメラと変わらないのである。

 

というわけで、α-7000は操作系面では大きな変化であったにも関わらず、大ヒットしたことによって以降の多くのフォロワーを生み、各社のカメラに影響を及ぼした。この結果操作系においてはほぼα-7000と同等と見做せるカメラが登場することとなり、それらも相まってAF一眼レフの操作は(かつてのMF一眼レフとは異なる操作系であったにも関わらず)急速に受け入れられていった。α-7000の操作系は、一時期のスタンダードになったのである。

 

筆者がα-7000を操作系の面でも時代を変えたカメラであるとしているのは、このような理由からなのだ。

 

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