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エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第8回 AF一眼レフ二巡目のカメラ達。各社の動きとその操作系について

2023/07/01
佐藤成夫

前回はAF一眼レフで先行したミノルタの第二世代シリーズであるiシリーズの登場について触れた。今回はこれに対して追う立場であったミノルタ以外の各社の動きについて取り上げる。なお、ミノルタが先行していたということもあり、本稿で取り上げる各社の第二世代モデルが登場した時期はミノルタにおける第二世代機であるiシリーズ(1988年~1991年)の時期に加え、更に次の世代であるxiシリーズの発売時期とオーバーラップするモデルも含まれている。またミノルタのように明確に世代(シリーズ名)を分けないメーカーもある為、本稿における世代の分類はあくまで筆者独自のものとなることを予めお断りしておく。概ね、今回の対象となる年代はαであればiシリーズ以降であり、EOS参入以降の時期から90年代初頭までと考えて頂ければよいだろう。

 

さて、本連載において、α-7000登場後に各社から発売されたAF一眼レフは、そのほとんどがα-7000の操作系に影響を受けたと述べてきた。ではその次の世代はミノルタで言うiシリーズの影響を受けたかというと、実は意外にそうでもない。少なくとも操作性の面で影響を感じさせる機種はほとんど無かった。逆に言えば、一旦α-7000的な仕様でまとめられた各社の操作系が、そこから離れて各社なりの発展を見せたのがこの時期だと言える。

 

……とはいえ、この頃にはAF一眼レフに参入したものの、力を入れるメーカーとそうではないメーカーに分かれつつもあった。AF一眼レフを主戦場とするメーカーは次第に絞られてきたのである。

 

特に見切りが早かったのがオリンパスで、同社初のAF一眼レフであったOM707が、事実上最初でありながら最後のOM AFボディとなった。つまり、AF一眼レフからは一機種のみで撤退ということになってしまったのだ。

 

ただ、このカメラの為に用意されたOM AFレンズは仕様上ピントリングがなく、またMFのOMボディにはそもそも取り付けることが出来なかった。このような状態で残されたOM AFレンズ救済の為ということなのか、1988年にはOM AFレンズを装着し、ボディ側のダイヤルを介してモーターを回しピント調整する、パワーフォーカスを謳うOM101 POWER FOCUSなるボディが登場した。ポジションとしてはAFシステムの一員だが、仕組みとしてはMF側ということになる。


このパワーフォーカス、速度感応式でダイヤルの操作速度に応じてピント合わせが動作するなど、実際に触ってみるとその仕様から想像するほどのゲテモノ感はないのだが、一方で、そもそもレンズ側にピントリングがあればこんなことをする必要はなかったのは確かである。結局のところOM AFレンズを使えるということが最大の特徴であり存在意義でもあるという機種であった。もちろん、このモデルが後に続くこともなかった。

 

そしてこのOM101がOM AFマウントを使用するという意味では最後のOM AFカメラとなり、オリンパスはMFのOMボディへの回帰と、更にこの後発売される一体型AF機──いわゆるブリッジカメラ──であるL-1(1990年)に活路を見出すことになる。ただしOM101のボディシェル自体は同社の医療や顕微鏡用カメラに転用されたようで、現在でもたまに中古ショップなどで見かけることがある(SC-35シリーズ等)。

 

同様に、フルラインでのAF一眼レフ展開から距離を置いていたのが京セラであった。参入当初は機能・価格帯別に200/210/230AF(1986-1987年)の三機種を揃えていたが、一方で同社はMF高級機たるコンタックスのラインも堅持しており、この間にも167MT(1987年)といった新機種を発売していた。


京セラのAF機展開はここから少しブランクがあり、四年後となる1991年に270AFが発売され、更にその後に発売された300AF(1993年)が京セラAFシリーズの最終機となった。この四年のブランクのせいか、初期三兄弟ではα-7000に近かった操作系やデザインは270AFではどちらかといえばEOSを感じさせるスタイルとなっている。また300AFでは当時なりに電動ズームやパノラマへの対応を見せるなど、順当にスペックアップされている。


ただ、この270AFや300AFもどちらかといえばローエンド狙いのモデルとなり、特に300AFは定価で39,800円と思い切ったプライスタグが付けられていた。とはいえ、その頃になるとこの価格でもインパクトは小さかったようだ。


強いて言えばこの間(80年代末~90年代初頭)の京セラはAF一眼レフ以外も比較的充実しており、ブリッジカメラの先駆けとなり、その後シリーズ化もされたサムライが登場したのはこの頃(1987年)である。また1990年にはコンタックスMF一眼レフ側のフラッグシップであるRTS Ⅲを発売したり、同様に現在も高い評価を受ける高級コンパクトであるT2が発売されたりもしている。サムライやRTS Ⅲは当時のカメラグランプリを受賞しており、対外的にも高い評価を受けていた。そういった意味では、この時期の京セラにとってAF一眼レフは必ずしも注力対象ではなかったと言えるのかもしれない。余談として、無理矢理こじつければサムライも方式自体は「フォーカルプレーン式TTL位相差AF一眼レフ」ではあるのだが、もちろんいわゆるシステム一眼レフと真っ向から競合するものではなかった。

 

一方で、この世代からAF一眼レフに参入した珍しいメーカーもあった。チノンである。国内においてはOEM機や比較的廉価なMF機のメーカーとして知られていたチノンは、1988年になって同社初のAF一眼レフであるCP-9AFを発売した。


このカメラはモードダイヤルの代わりに特徴的な四角形のボタンの四隅に配されたスイッチで動作モードを設定する(そしてボタンの位置と液晶の表示位置も連動している)など、基本的な操作系を同社のCP-7mから受け継ぎつつも、Kマウントベースでありながら独自の拡張によりレンズ内モーター(!)でのAF化を実現していた。ただし、AFセンサーは既に周回遅れとなったハネウェルTCLモジュールである。


このような特異なスペックからマニア的には見所の多い機種なのだが、やはりこの時期にあっては今更感もあっただろうし、そもそもマイナーメーカーのモデル故か日本国内でCP-9AFの姿を見ることは少ない。というかほとんどない。当時のカメラ誌などでもあまり取り上げられなかったようで、結果として国内では黙殺に近い扱いを受けていた。案の定というかこのカメラも後継機はなく一代限りとなっている。


こうした事情から一旦はAF一眼レフに参入したメーカーにも脱落が見られるようになり、90年代初頭以降AF一眼レフで上から下までのフルラインを揃えるメーカーはキヤノン・ニコン・ペンタックス・ミノルタのいわゆる四大メーカーに絞られることとなった。

※後にシグマがSAマウントで新規参入することになるが、それはまだ先の話である。

 

さて、では残ったメーカーとその操作系についてである。

 

本稿の冒頭で述べた通り、操作系面でα-7000の影響が色濃かった第一世代とは異なり、各社の二周目というか、第二世代の機種においてはα-7000的な操作系から離れつつも、一方で当時のミノルタ機であるα-7700iに寄せられることもなかった。むしろ、各社が第一世代を発展させることにより、以降長く採用し続けるような操作部材や操作系の原型が登場したエポックな年代であると言える。


ここで、今後の前提となる中級一眼レフにおける基本操作の話をしておこう。フィルム時代の露出制御はシャッタースピードと絞りが撮影時の可変要素となっており、露出の選択はこのパラメーターを操作することで行われていた。MF時代は概ねボディ側のシャッタースピードダイヤルとレンズ側の絞りリングによって行われていたが、AF一眼レフ時代になって操作部材のボディ側への移行が進められてきたのはこれまでに述べてきた通りである。


さて、そうなるとこうしたパラメーターの操作を自在に行いたい中級以上のカメラでは、出来れば両方(シャッタースピード用と絞り値用)の操作部材が欲しいということになる。二つあれば両方を瞬時に動かせるし、片側のパラメーターが自動化される各AE時にはその振る舞いを変化させ、それぞれ各優先AEのパラメーター変更と露出補正という組み合わせで動かしても良いだろう(繰り返しになるが、このような振る舞いの変化はこれらの部材が電気的スイッチに過ぎず、ソフトウェアで制御されているが故の利点である)。


実際、α-7000も露出補正こそ別ボタンで呼び出す方式だが、シャッターボタン側のボタンとマウント脇のボタンで二つの操作部材が実装されていた。なお、パラメーター指定部材はこの時代はボタンやレバーの場合もあるが、以降電子ダイヤルが標準的になることから、本稿ではこの露出パラメーター変更用の部材をその実装方法に関わらず便宜上電子ダイヤルと呼ぶこととする。


……もちろんα-7700iのようにボタンとの同時押しを許容し、電子ダイヤルだけならシャッタースピード変更、機能ボタンと同時押しで絞り値変更といった仕組みにすれば電子ダイヤルは一つで済む。また、初級ユーザー向けではそもそもこれらを変更する使われ方が少なく、また操作部材が多いと混乱を招くということもあり電子ダイヤルは一つだけのシングルダイヤルが好まれた。一方で中級以上のユーザーを対象にするのであれば2ダイヤルあった方が便利であることからダブルダイヤルが好まれ、この使い分けが後に一般的になった。かくして、カメラに実装された電子ダイヤルの数はカメラのクラスと見据えるユーザー層を分かつ要素の一つとなったのである。


とはいえ、80年代末~90年代初頭はこれらの端境期でもあった。これまで述べた通りα-7700iは価格帯的には中級機(定価8~10万円前後)なのにシングルダイヤル相当であるし、同様にEOS10(1990年)でもシングルダイヤル相当(この時点では1989年の最上位機EOS-1のみ2ダイヤル)である。またペンタックスSFXN(1988年)やニコンF-601(1990年)といった既存マウント・絞りリング堅持派の二社はボディ側でシャッタースピード設定、レンズ側で絞り値設定という従来型の操作系を採用していたため、いずれもボディ側はシングルダイヤルであった。


ミノルタについては前回の本連載で実質ダブルダイヤル機だったα-7000がα-7700iでシングルダイヤル機になったことを説明済みのため、今回はこの時期の他メーカーの動きについて触れていく。


まず、キヤノンにおいては当初EOS-1のみサブ電子ダイヤルとして裏蓋にダイヤルが設けられた。このサブ電子ダイヤルは翌年登場のEOS10には受け継がれず、中級機であってもシングルダイヤルの操作系であった。しかしEOS10では現代のカメラにも受け継がれているアイコン式のモードダイヤルが初採用となっており、電源オフポジションを挟んでマニュアルを始めとした高機能ゾーンとシーンモード等の簡単ゾーンが分けられているという、その後のキヤノンフィルムAF機の基本となる操作系が早くもこの機種で確立している。


EOS10といえばこのほかバーコードシステムが有名でありこちらはアイデア倒れに終わった感も否めないが、高機能化に前のめりだったことも当時のAF一眼レフの競争が熾烈であったことの証拠であろう。


そして、続くEOS100(1991年)ではついに中級機でもサブ電子ダイヤルが採用され、これを持って左肩にモードダイヤル+右肩液晶+ダブルダイヤルという、以降のEOS中級機の基本操作が完成した。この操作系は驚くべき事にフィルムEOSはおろか、デジタル一眼レフ時代までも継続することとなり、この後各社が様々な操作系を試していることと比較すると、キヤノンはいち早く自社のスタンダードとなる操作系を見つけ出したということになる。


また、EOS100での機能面のトピックスとしてはAF一眼レフカメラに初めて静音の概念を取り入れ、サイレントEOSとして売り出したことも挙げられる。元々レンズ内モーターや超音波モーターを採用しておりAF駆動音の面でアドバンテージのあったEOSだが、ボディ側にも徹底して手を入れることで静音という新たな付加価値を提案することに成功したのである。


そして各所に衝撃を与えたのが、廉価モデルであるEOS1000(1990年)であった。前回の本稿では先行するミノルタの廉価機であるα-3700iのことを「廉価モデルとして機能を絞り込み、圧倒的低価格と小型軽量を実現した」と評したが、EOS1000はそれとは異なる道を採った。プログラムAE専用機であったα-3700iに対して、機能を絞り込むことなく、ストロボ内蔵かつPASMのフルモード機としたのである。それでいて価格はボディのみ47,000円と、コストパフォーマンスは抜群だったため当然の如く大ヒットモデルとなった。

 

機能満載ながら価格破壊モデルであったキヤノンEOS1000。

 

MF一眼レフの昔から、露出モードの多寡は初級ユーザー向けと中上級ユーザー向けのカメラを分かつ要素だったのだが、ここでフルモード搭載の廉価機が発売されることで、その垣根が取り払われることになったのだ。古くはキヤノネットの昔からキヤノンはその時々における価格破壊機を得意としており、このEOS1000はそのまま後のKissシリーズへ繋がっていくこととなる。


同時期のペンタックスはというと、こちらはミノルタ同様カメラボディのシリーズを明確に分ける戦略を採っており、SFXに始まる直線基調であったSFシリーズの後は、曲線基調にモダナイズされたZシリーズへとバトンタッチすることとなった。Zシリーズ初号機は1991年発売のZ-10、そして同年にフラッグシップのZ-1が続いた。

 

ペンタックスAF機のフラッグシップ Z-1。写真は限定カラーのモデル。


さて、Zシリーズの目玉はレンズ面においては電動ズームであり、ボディの面ではハイパー操作系と名付けられたシステムにあった。このハイパー操作系は現在のペンタックスボディにも搭載されているため、名前を聞いたことがあるという方も多いのではないだろうか。


このハイパー操作系、言葉で説明するのは大変に難しい。というのも、ハイパーの概念を搭載したカメラは多数あるのだがその実装方法は機種により異なり、また同世代においてもクラスが異なると機能も異なるのである。ここでは代表的な例として当時のフラッグシップであり、最も多機能なZ-1のハイパー操作系について説明するが、詳細に説明したらそれだけで本が一冊書けるほどである。


Z-1のハイパー操作系は当時の開発陣によって「即応」というキーワードで端的に表されている。これは、撮影者の考える適正露出に即座にセットする為に、カメラが即座に呼応することを示している。これを実現する為にZ-1はダブル電子ダイヤル機となり、レンズ側の絞りリングはA位置での使用が基本となった。すなわち、露出は全てボディ側でコントロールする思想に切り替わり、操作系の面ではボディ側操作を基本とするαやEOSと同等になったのである。


ハイパー操作系がややこしいのは、この言葉はZハイパープログラムとハイパーマニュアルという二つの機能の総称という点にもある。この二つの機能は同じ思想の元に作られてはいるが別の機能である。


ハイパープログラムについては簡単に言えばα-7000にあった随時プログラムリセット機能とプログラムシフトを発展させたものといえる。プログラムモードを基本とし、前後のダイヤルを操作するとそれぞれ絞り優先/シャッタースピード優先にその場で切り替えることが出来る。振る舞いとしてはプログラムシフトと同じであるが、表示上どちらの露出を優先したか明示し、またこの設定は保持される。プログラムに戻したくなったらIFボタンを押せばプログラムに復帰する。これにより、モード切替やモードダイヤルなしに各AEモードを行き来することが可能になった。即座に使いたいモードに出来るという意味での「即応」である。


一方のハイパーマニュアルは一言で言えば「一時的にAE的な振る舞いが出来るマニュアル露出」と言える。ハイパーマニュアルでは右手親指側のIFボタンを押すと露出パラメーターを瞬時にプログラムライン上に合わせてくれる。つまり、メータードマニュアルの自動化とも言えるし、ワンプッシュでAEになるとも言える。ただし、AEとは異なり測光メーターと常時紐付いているわけではないため、被写体の明るさが変わっても露出パラメーターが追従するわけではない。そこはあくまでもマニュアル露出のままである。


ちなみにZ-10などの廉価機ではこのうちハイパーマニュアルのワンプッシュAEのみが受け継がれている。Z-10はスペックシート上はプログラム露出とマニュアル露出のみの2モード機なのだが、レンズ側の絞りリングで絞りを決めてワンプッシュAEを使えば事実上の絞り優先AE機としても使うことが出来る。ほとんど裏技みたいな機能である。


というわけで、ペンタックスはZ-1においてはレンズ側絞りリングでの操作を非推奨とすることで操作系は絞りリングを無くしたミノルタやキヤノンといった陣営に近づいていった。少なくともZシリーズの世代ではそちらを目指していたと言って良いだろう。ただ、実装されたハイパー操作系はその両社とも異なり、ペンタックス独自のものであった。


最後にニコンだが、やはり我が道を行っていたというか、操作系の面では独自路線を歩んでいた。ただし中上級機においては見逃せないトピックがある。世界初の1/8000秒高速シャッターの搭載が話題をさらったF-801(1988年)では、ボディ側に液晶が搭載され、操作部材として電子ダイヤルも装備されたことでF-3桁シリーズの中でもようやくAF一眼レフらしい(?)操作系になったのだ。ただしこの時点では絞りはレンズ側絞りリングでの操作を前提としている。

 

ニコン中級機操作系の基礎を定めたF-801系。写真はF-801s。


また、この機種から左手側には四つ葉のクローバーよろしく四つのボタンが十字に配置されており、ニコン機の操作上の特徴となった。この配置は続く中級機であるF-601(1990年)やF-801系の後継ポジションとなるF90S(1992年)でも踏襲され、時に数や形を変えつつもミラーレス機の現在に至るまでその姿を残している。ただし、このクローバー状のボタン配置はフィルム時代のF一桁機には一切採用されていない。それは何故かといえば、プロ向けを標榜するF一桁のアイデンティティとして、手動でのフィルム巻き戻しが可能というものがあり、この部分は巻き戻しクランクが配されていたからである。


ただ、中上位機はこうしてまとまりつつある一方、この間の廉価機は1987年発売のF-401の改良版であるF-401S(1989年)やF-401X(1991年)で繋いでおり、やはりラインナップも操作系も一癖あるというか、我が道を行くといった印象の強いものであった。


というわけで、α-7000的な操作系から離れた各社の二巡目のAF一眼レフたちは、それぞれのメーカーで独自の発展を遂げ、その後の操作系の基礎を作り出した。無論この間にも高度な自動化は推し進められており、本稿で取り上げたモデルでも電動ズームやストロボのオートポップアップなどが導入されている。そうした中で自動化の旗手であったミノルタは、究極の自動化モデルであるxiシリーズを送り出すことになる。

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