top コラムエアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─第1回 日本カメラ史におけるウラ黄金時代を独自の視点でフカボリ

エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─

第1回 日本カメラ史におけるウラ黄金時代を独自の視点でフカボリ

2022/12/01
佐藤成夫

カメラの電子化の時代に焦点を当てる

 

世の中には様々なカメラの見方や分類方法が存在している。
例えば一眼レフやレンジファインダーといったカメラの仕組みによるものだったり、あるいは中判や110といった使用するフィルムのフォーマットによる分類が代表的だろう。また、特定のメーカーであったり、特定の国で生まれたカメラで括るというのも分類の一つと言えるだろう。そしてもちろん、そうした分類方法の中には年代で区切る方法もある。
 

本稿がこれから取り上げていきたいのは年代で区切ったカメラ史──具体的に言うと、80年代から00年代までの日本製カメラについて──である。何故この時代を取り上げるかといえば、これらのカメラは筆者が「エアポケットの時代」にあると考えているからである。
 
こと日本製カメラについて考えたとき、多くの人々が考える日本製カメラの黄金期というのは第二次大戦後から70年代までの時代ではないかと思う(もちろん第二次大戦前からも日本製のカメラは存在していたのだが)。それまでのドイツを始めとした海外製カメラと戦い、打ち負かし、高級機から普及機に至るまでその名を世界中に轟かせた時代である。これはいわゆる機械式カメラの時代でもある。
 
そして、それに比べるとその後に訪れた電子化の時代(つまり、筆者がこれから取り上げようとしている時代)というのはどうも巷のカメラ趣味人にはあまりウケが良くないようだ。かつてのライカブームの頃には、雑誌等で電気仕掛けが入ったらもう興味の範囲外だとコメントするマニアも見受けられたほどである。この時代には電子化以外にもプラスチック化などが進んだこともあって、機械式カメラを至上とし、カメラを精密機械として愛する層には余計に嫌われている。
 
しかしそれでもこの時代、日本製カメラはカメラ界の盟主であり続けた。70年代までがチャレンジャーの立場から始まり、とうとうドイツ製カメラを打ち倒し、新たなチャンピオンの座を掴んだ時代なのだとすれば、80年代以降は日本製カメラが世界中から叩き付けられる挑戦状をはねのけ続け、無敵のチャンピオンとして君臨し続けた時代である。そしてこの構図は概ねフィルムカメラの時代が終わる00年代まで変わることはなかった。
 
やがてデジタルカメラの波が来てフィルムカメラは滅びてしまったのだが、一方でデジタルの時代においても日本製カメラ──あるいはもはや"日本製"とも限らないので"日本メーカーの"カメラ──は盟主であり続けた。そして2022年現在、ミラーレスシステムへの転換やスマートフォンとの競合などでデジタルカメラの市場もまた大きく動こうとしているが、相変わらずカメラというのは日本のメーカーが強い市場だと認識され続けている。
 

じつは現代カメラの操作系の礎を築いた1980〜2000年代


さて、こうしてみると、日本のカメラは戦後から競争力を持ち始め、ある時期以降は現代に至るまでずっとトップクラスの競争力を発揮していたと言える。
とはいえ、いわゆるカメラ愛好家といったものを考えてみるといわゆる機械式カメラ、クラシックと呼ばれる年代のカメラを愛好する層と、デジタルを含む最新カメラを愛好する層に分かれているように感じる。いわゆるフィルムかデジタルかという対立軸も、概ねこの二属性の対立であると考えられているようだ。そして筆者が思うに、この中間の時代についてはエアポケットのようにすっぽりと抜け落ちて、あまり語られていないのではないかと感じる。
 
しかし、チャンピオンに登り詰めた70年代までを黄金期と呼ぶのであれば、王座を防衛し続けたそれ以降の年代というのも、いずれ劣らぬ日本のメーカー・日本のカメラの黄金期と言って差し支えないのではないかと思う。それなのに、この時代に関してはどうにも人気がないし誰も語らないのだ。振り返りの対象にもなっていないように感じる。
 
それでも時が進めは順繰りに振り返られていくものなのかと思っていたのだが、どういうわけか80年代のカメラが本格的に振り返られるよりも先に、世の中は古いデジカメの方に懐かしさを感じるようになったようである。
というわけで、本稿ではこうしたカメラにおける「エアポケットの時代」を、筆者なりの視点から振り返っていきたいと考えている。たとえば、その視点の一つに操作系がある。
 
実は現代のミラーレスカメラの操作系においても、元を辿れば80~00年代のカメラで提案されたという部分が数多く存在する。カメラのデザインや機能と操作系は不可分だが、その自由度が大きく高まったのは電子化やプラスチック化が進んだこの時代だったからである。要するに、現代のカメラの操作系の礎を作ったのがこの時代のカメラたちではないか、というわけだ。
 
しかし、この操作系というのも紆余曲折を経て徐々に定まったものであり、そこには一連の操作系の歴史、つまり操作系史とも言える試行錯誤の数々が存在している。本稿ではそうした流れについても触れていくつもりである。例えばこの時代を代表するカメラであるAF一眼レフにおいても、世代ごと、メーカーごとに考えていることは異なっていた。
 
……さて、こう言われてみると、少しはこの時代に興味が湧いてきたという方も居るのではないだろうか。というわけで、次回はカメラ操作系史の序論として、現代のカメラにも見られる各種の操作部材がどのようにして生まれたのか紐解いてみたい。

 

各社の個性が滲むAF第一世代機たち。
ニコンF-501 1986(昭和61)年、ミノルタα-7000 1985(昭和60)年、ペンタックスSFX 1987(昭和62)年、キヤノンEOS 650 1987(昭和62)年

 

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