本連載におけるAF一眼レフの操作系史もそろそろ終わりが見えて来たが、改めて各社の機種を振り返ってみると、操作系に関する試行錯誤というか、考え方の行き戻りが最も少なかったのがキヤノンであることはおそらく衆目の一致するところであろう。
そして、語弊を恐れずに言えば、AF一眼レフ末期の各社の操作系は段々と「キヤノン風」になっていった。この事実が、図らずもキヤノンの操作系における先見の明を示していると言っても良いだろう。
操作系の根幹になるパラメーター選択デバイスに電子ダイヤルを採用したことはその筆頭である。当初はボタンやジョグレバーによる実装もあったし、これらを持たない操作系も試行されていただけに、一機種目からこれを採用しそれ以降も貫いたという点において間違いなく先見性のある部分だったと言える。
また、機種別に見た場合もいわゆるプロ機であるEOS-1シリーズはT90をベースにしつつも既に一機種目のEOS-1から高い完成度を見せており、最後までその操作系の基本は変わらなかった。中上級機〜初級機においては垂直軸式のモードダイヤルをその操作の中心に据えてからはほぼ一貫した操作系を貫いており、このモードダイヤル+電子ダイヤルの操作系は結果として他メーカーが取り入れるまでにもなった。
そして、前回触れたようにAF一眼レフ初期に各陣営で見解が分かれたモーターの配置は、最終的には(ボディ内モーター陣営ですら)レンズ内モーターの移行が進む結果となり、これもまたキヤノンの──つまりEOSシステムの──選択がその後のスタンダードになったといえる。
もちろん販売の面でも王者への返り咲きを果たしており、様々な出来事があったAF一眼レフの歴史において、初動こそ出遅れを指摘されながらも結局のところ最も成功を納めたのはキヤノンであった……というわけである。
というわけで今回は90年代末以降、末期のキヤノン機について触れていく。
EOS伝統のハイフンの系譜
といっても、操作系の面から言うとキヤノン機というのは上記の通り行き戻りはほとんどなく、あまり特異な操作系を採用した機種もないため、そういう意味では語るのが難しいメーカーである。しかし、EOS全体の歴史を俯瞰すると特異と呼べる機種がこの時期に生まれている。それが1998年11月発売のEOS-3である。この機種の何が特異なのかといえば、まずはそのネーミングにある。
通常、EOSシリーズにおいては最上位機でありプロ機と言えるEOS-1(及びN、V)のみEOSと数字の間にハイフンが入り、それ以外の機種ではEOS 5や55のようにハイフンは入らなかった。つまり、このEOS-3というのはこれまでの中上位機よりもよりEOS-1シリーズに近いポジションのカメラだと暗に示されているのである。
ちなみにこの伝統はデジタル一眼レフであるEOS-1Dシリーズにも引き継がれたが、結局最後まで1以外の数字を掲げるモデルは発売されることはなかったので、少なくとも一眼レフのEOSにおいては1以外の数字を掲げた「ハイフン付き」はこのEOS-3ただ一台だけである。価格は185,000円と、同時期のライバルであるニコン F100の190,000円とほぼ同等であった。つまりF5に対するF100(F5ジュニア)のように、EOS-3もまたEOS-1の血筋であり、プロ直系モデル同士のバトルというわけである。
ただし、F5の後に生まれ、スペック的にはF5からの引き算で成立したF100とは異なり、この時期のEOS-1シリーズは1994年発売のEOS-1N系が現役であったため、この4年分の進化を受けてスペック的には一部EOS-1N系を凌駕するものに仕立てられていた。
例えばAFポイントは他社も含めて圧倒する45点配置であるし、多分割測光の分割数は21分割、さらにパワードライブブースター(バッテリーグリップ)を装着した場合の連写コマ数は7コマ/秒(標準4.3コマ/秒)といずれもスペックシート上ではEOS-1NやHSを上回っていた。これらは単純に数が多ければ良いというわけではないにしろ、他社を含めてもその時点の最高レベルを行くものであった。
この45点AFのインパクトはすさまじく、またキヤノン自身もよほど自信を持っていたのか、EOS-3のカタログ表紙はよくあるカメラの写真ではなく、AF測距点を図案化したものが掲げられていたほどであった。この45点AF配置は以降のキヤノン最上位機のスタンダードとなり、デジタルに入っても使われていたほどであり、そういう意味でもエポックなモデルであった。なおカタログ表紙だと名称にハイフンがないのだが、ページをめくるとEOS-3とあるのでハイフン付きが正式名称である。
EOS-3のカタログ表紙。45点AFが最大のウリであった
ちなみに、連写コマ速だけで言うとさすがにEOS-1N RS(1995年3月発売・RSモードで10コマ/秒)には敵わないのだが、RSはただでさえ高速連写機のEOS-1Nをさらにペリクルミラー化して全力で高速に振ったモデルであり、言わば連写番長なのだから仕方が無いと言えよう。このEOS-1N RSがキヤノン最後のペリクルミラー機となってしまったわけだが、一般ユーザーが購入出来たカメラの中では最速の連写速度を持つカメラの一つとしてその名を残している。
さて、EOS-3はEOS-1シリーズの血筋のカメラと述べたが、これは操作系にも現れている。というのも、このカメラにはキヤノン機ではおなじみのモードダイヤルがなく、軍艦部左手側にはEOS-1系のような3つのボタンが配されており、それらの単独もしくは同時押しの組み合わせで各操作を行うようになっていたからである。これは紛れもなくEOS-1の操作系を引き継いだものだ。
ただし各ボタンはEOS-1シリーズとは異なりサイズに差が付けられており、最も多用するであろうMODEボタンが大きくされているなど、EOS-1系を愛用し操作が身に付いているプロだけではなく、EOS 5や55等からステップアップする(EOS-1シリーズの操作になじみのない)ユーザーに対する配慮も行われていた。
また、背面(裏蓋)にサブ電子ダイヤルを配置することでこの部分をカメラの操作系に取り込んだのはキヤノンが最も早かったのだが、このEOS-3でも裏蓋には電子ダイヤルが配されている。一方で、この時期他社が取り入れつつあったAFポイント選択用の十字キーは採用していない。AFポイントの多点化に最も熱心だったのはキヤノンだったが、多点化したAFポイントを選択する部材として、少なくともEOS-3では十字キーを採用することはなかったのだ。
この理由だが、当時キヤノンには視線入力があったからではないかと思われる。視線入力については以前も触れたが、合わせたいポイントを見るだけでピントが合うのならば、むしろ十字キーの方がまどろっこしいと思っていたのだろう。ましてEOS-3では45点のAFポイントを誇っており、これを十字キーを使ってピンポイントで選択させるのもなかなか骨が折れる。したがって、多点であればあるほど、かえって視線入力の優位性が生まれるというわけである。
とはいえ、実際の視線入力はユーザーによって評価が割れる機構だったのも確かで、少なくともすべてのユーザーが手放しで大絶賛するものではなかった。フィルム時代は改良を重ねて搭載され続けた機能だったが、デジタル一眼レフへの移行時に廃止されて近年まで長い雌伏の時を過ごしていたのは以前本連載でも取り上げた通りだ。なお、視線入力を使用しない場合は電子ダイヤルを使ってAFポイントを選択することも可能である。
こうしてEOS-3は価格面でも機能面でもEOS-1の直下というこれまでにないポジションを埋めるカメラとなり、ラインナップの厚みが増すこととなった。
高機能廉価機EOS Kissシリーズの重要な変化
そして、ある意味では上級機以上にEOSの顔であるEOS Kissシリーズも、この時期にほぼ完成を見ることとなった。1999年4月に発売されたEOS Kiss IIIは、小型軽量ボディはそのままに、新たに7点の多点AFや35分割センサーによる多分割測光といった基礎体力向上の他、プレビューボタンの新設や縦位置シャッターボタン付きバッテリーグリップの設定といったやや上級者向けの改良も盛り込まれ、このクラスのスタンダード機としての座を確かなものにした。
EOS Kiss III。これまで以上に高機能だがボディはKissらしく小型軽量優先
少し話は前後するが、この時期のEOS Kissをはじめとした高機能廉価機の市場でも性能競争が勃発しており、各社性能の向上が著しかった。フィルムのEOS Kissシリーズは最終的に2004年のEOS Kiss 7が最終機となるのだが、初代Kissが1991年、Kiss IIIが1999年発売ということを考えると、むしろフィルム末期になるほどKissシリーズは頻繁にモデルチェンジされていたということになるが、その理由の一つが高機能廉価機のスペック競争にあったといえる。
こうした競争の過程でKissシリーズをはじめとした高機能廉価機はどんどん中級機の仕様を取り入れていくこととなった。2001年11月にはEOS Kiss IIIの改良版であるEOS Kiss IIILが発売されているが、このモデルは一部金属パーツの採用やカラーリング変更で質感を向上させつつも価格は据え置きであった。以前の本連載で「カメラとしてのカタログスペックが行き着くところまで行き、中級機と高機能廉価機を分かつ要素は質感くらいになってしまった」と書いたが、とうとう高機能廉価機でも(価格面での限界があるとはいえ)質感が差別化要素になってきたのである。
そしてこれが4相当ということなのか、それとも忌み数を避けたのかは不明ながら、フィルムのEOS Kissに4は存在せず、この後を継いだのは大きくデザインテイストと操作系を変えた2002年9月発売のEOS Kiss 5となっている。また以降のモデルはこのデザインを基本として改良が加えられている。
このため、Kissシリーズの操作系面での集大成となったのはEOS Kiss 5であるといえるだろう。このEOS Kiss 5はこれまでのKissシリーズとは操作系を大きく変えており、ある意味では次世代への橋渡し役となっていた。
その外見面での特徴は弧を描くグリップにあるが、同時にモードダイヤルが左手側から右手側へと移動したことと、それに伴い追い出された液晶がカメラ背面に移動したことにある。そう、フィルムAF一眼レフ末期のトレンドである背面液晶化である(もっとも、APSまで話を広げればキヤノンも1996年に既にEOS IX Eで採用済みなのだが)。
無論、EOS Kiss 5は高機能廉価機のカテゴリのためコストのかかる全面ドットマトリクス液晶ではなく、表示内容が予め決められたセグメント液晶を採用している。しかしその液晶のサイズは配置変更の甲斐あってか非常に大きく、これまでよりも見やすくなっているのは間違いない。
EOS Kiss 5のみ軍艦部左手側にも操作系が存在しており、ここはセルフタイマー等を含むドライブモードの切り替えボタンとなっている。以降のモデルでは場所が移されており、軍艦部左手側に操作部材はなくなり、多機能でありながらも右手操作で完結するカメラとなった。
同時期・同クラスの他社モデルにはここまで割り切った操作系のものはなく、左手側にモードダイヤルを持つモデルがほとんどである。だがこれ以降(デジタルを挟んで)モードダイヤルの配置は右手側が優勢となり、現在はモードダイヤルといえば右手配置の方になじみのあるユーザーも多いのではないだろうか。そういう意味では、EOS Kiss 5が行った配置の変更は地味ながらも実に重要な変化であったといえる。
フィルムカメラ速度競争の最終機
EOS-1V。フィルム一眼レフの究極形のひとつ。写真はパワードライブブースター付き
時系列は再び前後するが、2000年3月、最上位機にしてプロ仕様のEOS-1シリーズのニューモデルがEOS-1Vとして登場した。プロ仕様一眼レフのライバルとして各世代で大きくその外観を変えたニコンのF一桁シリーズに対し、こちらは初代EOS-1以来の外観イメージと操作系を守っており、キヤノン自身もファインダー仕様や基本操作を前モデルたるEOS-1Nに合わせ、さらにはパワードライブブースター(バッテリーグリップ)をはじめとした底面アクセサリーの共通化をも実現したことを謳っていた。
ただ、中身はもちろん時代に合わせて刷新されており、特に高速連写機としての性能がより高められていた。特定のアクセサリーの組み合わせが必要という制限はあるものの、特定条件下ではあのEOS-1N RSに並ぶ最速10コマ/秒の連写速度を実現していたのである。EOS-1N RSは固定ミラー化してこの数値を叩き出していたことを考えると、通常のクイックリターンミラーで実現したことは驚異というほかない。もちろん、同時期のライバルであったニコン F5の最速8コマ/秒を上回るのも至上命令だったのだろう。
当時のプロ仕様フィルム一眼レフの主戦場の一つが報道やスポーツ写真にあったことはこれまでも述べてきた通りであり、こうした要求からこの時代までの大手二社の最上位機のアピールポイントは主に高速連写と高速AFにあった。もちろんそれがすべてというわけではないが、これらのニーズが強かったのは間違いないところだ。EOS-1Vはこの要求に対して真っ向から応えたというわけである。
……しかし、こうした報道やスポーツ写真というものは同時に速報性も強く求められる。そして速報性の面で言えば、既に一部では採用が進んでいたデジタル一眼レフが圧倒的に強く、やがて報道やスポーツのプロたちは利便性の面からデジタル一眼レフへと乗り換えることになっていった。この分水嶺となったのが、例えばニコン D1(1999年9月・65万円)であったり、キヤノンでいえばEOS-1D(2001年12月・75万円)といった100万円を切るプロ仕様モデルたちであった。
何が言いたいかといえば、つまりEOS-1VはフィルムAF一眼レフで速度を求められた最後の時代のモデルであり、それ故に最速のモデルとなった……ということである。このカメラを最後として、カメラにおける速度競争はデジタルに移った。
このため、ニコンはD1より後に出ることになったF6においてはF5のような高速連写機としての性格を追い求めることはなく、どちらかといえば未だにフィルムで撮ることに意義を持つ写真作家向けとも言えるモデルチェンジを行った。バッテリーグリップ一体型をやめたのはその象徴のようにも思える(一方で、これまで求められていた高速性は同時期のデジタル機であるD2Hで実現している。こちらはバッテリーグリップ一体型である)。
キヤノンとニコン、二大メーカーのプロ仕様機はAF一眼レフ時代においていずれも三機種を数えたが、その最終機においては登場時期の差から明らかに目指したものとその性格が異なっており、それはプロ仕様デジタル一眼レフの登場と普及によって分かたれているのだ。こうした点から、EOS-1Vは重厚長大路線のフィルムAF一眼レフのトリを務めるモデルであると言えるだろう。
その外装はEOS-1以来の有機的なフォルムを持ち、パッと見ではあまり変わっていないような印象も受けるが、実はこの世代から外装が金属化されている(EOS-1Nの外装素材はプラスチック)。トップカバーにはマグネシウム合金が使用されており、これは現在のデジカメ等では一般的な素材となっている。
EOS-1VではAFも強化され、EOS-3で先行した45点のAFシステムがこちらでも採用されている。ただし、EOS-1VにはEOS-3にはあった視線入力はなく、また同時期の他社のように十字キー状のAFポイント選択部材も存在しなかった。このため測距点の移動のためには前後の電子ダイヤルを駆使する必要があり、選択の手間を考慮してかカスタム設定によりあえて11点や9点に制限するといった使い方も可能となっていた。また、任意の一点を予めホームポジションとして設定しておき、右手親指側に新設されたアシストボタンを押すことでそちらに復帰させる機能も付いており、こちらで咄嗟の測距点選択に配慮していたのである(このボタンはEOS-3にはなく、EOS-1Vからの機能)。
ちなみにEOS-1系に十字キーやジョイスティック等のAFポイント選択部材が搭載されるのはデジタルへの移行はおろかそこからさらに数世代を経て2007年のEOS-1D Mark IIIからであり、何故かそれまでは頑なに搭載されることがなかった(下位モデルではとっくの昔に採用している)。フィルム時代から世代を超えて同じ操作系を提供し続けたが故に、変更することに対する抵抗が最も強いカメラでもあったのかもしれない。
視線入力と十字キーを備えたEOS 7の登場
さて、EOS-1V登場と同年の2000年にキヤノンはもう一つの新モデルを登場させている。中級機のポジションを担うEOS 7(2000年10月)である。これまでに述べた通り、EOS-3はこれまでの中級機よりも価格帯が上であったため、10万円前後のこれまでの中級機のポジションに投入されたのがEOS 7というわけである。
EOS 7。EOS 55から金属外装とツインダイヤルを引き継いだ中級機
このEOS 7は当時の中級機のトレンドに強く影響を受けたモデルとなっている。前モデルに相当するEOS 55から軍艦部ツインダイヤルの意匠を引き継いでおり、左手側にモードダイヤルとドライブモードレバー、右手側にAFモードダイヤルと視線入力設定レバーを配しており、EOSの他のモデルに比べると、ダイヤル&レバーの操作系の影響を感じさせる点である。
外装の面ではEOS 55に引き続きアルミ製のトップカバーも採用されており、こうした面でも質感の向上を求められるようになった当時の流れを反映している。以前の回でも触れた通りカメラの外装として一概に金属が良くてプラスチックがダメというわけではないのだが、一方で手に持った時に感じる質感の面では金属に分があり、それがユーザーには評価されるようになったわけである。
AF測距点は7点と数だけ見れば上位機からは大幅に少なく感じるが、それは45点を誇るキヤノンの上位機がおかしい(?)だけで、同時期の他メーカー比で見ればまったく見劣りのするものではなかった。またこのモデルにはサブコマンドダイヤルの外周に十字キーが新設されており、ダイレクトなAF測距点の選択が可能となっていた。他にもFuncボタンや測光モード切り替えボタンが裏蓋側に移されており、サブコマンドダイヤルに限らない裏蓋の活用という点でも当時のトレンドに沿ったものであると言える。
余談になるが、実はキヤノンのAF一眼レフとしてAF測距点選択に視線入力と十字キーの両方が使えるのはこのEOS 7とマイナーチェンジ版のEOS 7s(2004年)だけである。視線入力のあるEOS-3には十字キーがなく、十字キーが採用されたEOS Kiss 7には視線入力がないからである。
キヤノンフィルムカメラ最末期からデジタル時代へ
こうして、キヤノンの最末期のラインナップは概ね4系統に集約された。操作系で分類すると上二つ(EOS-1VとEOS-3)がモードダイヤルを持たないモデルであり、下二つ(EOS 7系とEOS Kiss 5系)がモードダイヤルを持ち、その中でもダブルダイヤルのEOS 7系とシングルダイヤルのEOS Kiss 5系というクラス分けが成されていた。
なお、同時期のデジタル一眼レフについてだがこちらも発展著しく、先の通り2001年12月にはプロ仕様のデジタル一眼レフとして初代EOS-1Dが発売されているし、さらに2003年9月には初めてKissの名を冠するデジタル一眼レフである初代EOS Kiss Digitalが発売された。これに対してペンタックスは*ist、コニカミノルタはSweetの名称で対抗機を投入したことで、フィルム時代の高機能廉価機のバトルはネーミングもそのままにデジタル時代も継続されることとになったが、これはまた別の話。
これらのデジタル一眼レフ入門モデルについては発売時からオープン価格が設定されていたが概ねレンズキット一式で10万円前後のプライスタグが付けられており、当時の中級デジタル一眼レフが概ねボディのみで20~30万円していたのに比べ、初中級のユーザーにも手が届く価格帯となっており、デジタル一眼レフの一般ユーザーへの普及はこのあたりから始まったと考えられている。
さて、このような動きからも分かる通り、キヤノンもまた、いやキヤノンだからこそなのか、デジタル一眼レフへの変わり身は素早かった。キヤノンとしてのフィルムAF一眼レフの最終機種は2004年9月発売のEOS Kiss 7であったが、これは上記の通りEOS Kiss Digitalよりも後に出ているが、以降Kissの名前は完全にデジタルの為のものとなった。
そして、販売という意味ではEOS-1Vがキヤノン最後のフィルム一眼レフになった。驚くことに販売終了がアナウンスされたのは2018年であり、実に18年の販売期間を過ごした長寿モデルとなったのである。同じキヤノンのNew F-1の販売期間がおよそ15年(1981〜1996年)だったことを考えるとこの長さは特筆に値する。しかし、筆者の知る限りではNew F-1の時に起きたような新品在庫を奪い合うような動きは特になかったようである。これがフィルムカメラという大枠の中で行われた世代交代と、フィルムとデジタルという異なる仕組みでの世代交代との違いなのだろう。ちなみに2018年のアナウンス以降も少しの間は新品在庫が流通していたようだが、さすがに現在ではそれもなくなったようだ。
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