リコーのGR DIGITAL IVで撮った写真を見返してみると、とても気分よくシャッターを押しまくっているスピード感が伝わってくる、と書いたが、それは最初のころだけのことだった。
その後、あっという間に増えていっているのは、会場写真や書影、資料用の写真、つまり仕事の写真である。それほど本格的に撮影する必要はないものの、ある程度きちんと撮っておきたいという用途に、GR DIGITAL IVがちょうどハマったのだろう。
以前、iPhoneによる会場写真が増えたという似たような話を書いた記憶があるので、読み返してみたところ、こちらは2016年頃からのこと(GR DIGITAL IVは2013年入手)なので、矛盾はしていないようである。
会場写真といっても、会場の展示記録的な写真ではなく、オープニングレセプションのスナップも多いのが、GR DIGITAL IVによる撮影の特徴かもしれない。iPhoneの方が撮っていて目立たないようにも思えるのだが、やはり「カメラ」の方が延々と撮っていても違和感がないというのが興味深い。いや、これは写真関係の展覧会に限られたことなのかもしれないが。
車窓からのスナップも増えている。
じつは、私は車窓からのスナップが好きではない。正確には、車窓からスナップを撮ることが好きではない。もちろん、巨匠の作品で車窓からのスナップがあることは知っているし、そうした作品は好きである。巨匠の作品でなくても、たとえば誰が撮ったかわからないような車窓からのスナップも好きである。
このような写真をなぞるように、自分が車窓からスナップするのはイージーすぎるだろう。それが好きではないのである。こういうことは、もっともやってはいけないことであるように思える。
しかし、もっともやってはいけないことこそ蜜の味なのである。というわけでもないが、ささやかな己の禁忌を破るのも、またたのしいものなのだろう。
一度車窓からシャッターを押してしまえば、簡単にタガは外れる。手持ち無沙汰のときには、GR DIGITAL IVを取り出し、おもむろにシャッターを押し、気まぐれにシャッターを押し、意味もなくシャッターを押し、押し続ける。すると、そこでの時間が、ちょっと特別になっていく。この感触こそ、味わってはいけないものだな、などと他人事のように考えながらシャッターを押す。
タクシー、バス、電車など、乗り物によってアングルが勝手に変わるのも飽きがこなくていい。どんなに撮り続けていても、降りるときという終わりが勝手に訪れてくれるのもいい。そうでなくても、景色が変わったときに、撮るのをやめたり、また撮りはじめたりしてもいい。
このような写真なので、見返すときもスルーしていたのだが、タガが外れるというのはおそろしいもので、改めて見てみるとかなりの量を撮っている。蕎麦のつゆでたとえると、ドボドボにつけるくらいの外れっぷりである。いくらなんでも外れすぎだろう。
ノってノってシャッターを押しまくりたくなるGR DIGITAL IVだからこそ、そういうのはもういいやと思ったのかもしれないが、その代わりに乗って乗って撮るようになってしまったというオチだろうか。いやはや。
旅の終わりに車窓から撮り続けた写真を見る。寂寥感と安堵が織りなす旅情が胸に沁みる。
だから、やはり、こういうことはやってはいけないのである。
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