2023年は、まだ凍てつく空気に満たされていた季節に父親が亡くなり、その数ヶ月後、"亜熱帯ニッポン"の時期には、なんと今度は自らが死の淵で足を滑らせそうになるという、とんでもない年だった。
父が最後の時を過ごしたのと同じ病院に入院し、父が最後に見上げていたのであろう同じ天井を見つめるしかない日々は、何やらそうすることが使命として課せられているかのようにも感じたものだ。毎夜、静寂の中、耳に滑り込んでくるさまざまな電子音や何かを訴え続ける人の声。それすらも、いつしかさほど気にならなくなるほどの時間経過。自分で写真を撮るよりCTで輪切り画像を撮られることの方が多かったようにも感じる、奇妙で情けない晩夏のときは、しかし、強がりでも何でもなく、「経験」を蓄積するための絶好の機会であると感じていた。
ソニーRX100Ⅵ・9mm(35mm判換算24mm)で撮影・絞りF2.8・1/30秒・ISO6400・WBオート
そんな中、密かに期待し続けていたことがある。これほどまでに大きな経験を経れば、自分自身が撮る写真にもなにがしかの変化が見られるのではないか、と。常時携帯しているコンデジ(常時携帯の態勢は入院中も例外ではない)で控えめにアレコレ撮りつつ、果たして退院後に自分がどんな写真を撮るようになっているのか、それが最大の楽しみであり、心の支えにもなっていた。なんていったって、経験値が爆上がりですから!
もったいぶっても意味はないので結論を急ごう。自分が撮る写真は…ナニも変わっちょらんでしたよ(あれ?)。筆の滑りは幾分よくなったような気はしないでもないけれど、写真はもっと正直だったみたい。「自分以上のモノはどうあがいても撮れない」ってことなのだろう。
この歳になれば、もう十分に凝り固まっているという見方をすべきなのかも知れない。「写真を撮るセンスは、その人がそもそも持っているモノが8割」との持論に照らすなら、ワタシにはもう2割の成長投資枠は残っていないという新NISAもビックリのシビアな現実。それが、変わらず再び訪れた冬に、あらためてじんわり身に沁みることになるとは…。
見た目ズタボロでも中身キンピカ(オーバーホールしたからね!)な我が愛機「RX100 VI」はすこぶる快調、自身も夏の崖っぷちからの快復と別件のオーバーホールを経たことで体調きわめて良好となれば、気分はもうボロは着てても新同品。ここは、成長なくてもボロ儲けと認識しておくべきなのだろう。もちろん、さまざまな感謝とともに。
それにしても…
還暦の本厄、マジでパねぇっすよ!
ソニーRX100Ⅵ・72mm(35mm判換算200mm)で撮影・絞りF4.5・1/400秒・+2.3EV補正・ISO160・WBマニュアル
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