喉元過ぎれば"暑さ"忘れるとはよくいったもので、あの地獄のような酷暑すら、季節がここまで進むとすっかり忘却の彼方… に近い感覚になっていたりする。この都合の良い物事の捉え方、感じ方がもしストレス回避に繋がっているのなら、もっとなおさらグータラな性格に磨きをかけたいと思っている2023年の晩秋。ズームリングをグリグリしてのお手軽&ストレスフリーな画角調整にも、真夏以上に力が入るってぇもんです。
いや、それにしても、いろいろありすぎな2023年ではあった。と、今年を振り返るにはちょっと早いタイミングではあるのだけれど、27インチのモニターの向こうから、とても涼しい北風が入り込んでくる自室でキーボードに向き合っていると、季節の移り変わりとともに「時の流れ」までをも感じてしまうものでして。そして、名高いミュージシャンたちが相次いでこの世を去っている2023年のシビアな現実には、さすがにグータラなワタシも人並みのショックを受けていると自認しているところではある。
青き春の時期に聞きまくっていた歌は、すでに空き容量が枯渇している我がメモリーに、しかし未だ当時の思い出とともに記録が維持され続けている。聴けば(見れば)当時の私的なアレコレが映像となって脳内に蘇るという一連の流れは、これはもう音楽と写真だけが持ち得る力であるといっていいだろう。「パーソナルな思い出」に係る音楽と写真の総合力は、あまりにも赤裸々な記録を刻み込むが故に想像力のフィルターや思い出補正といった"幸せな誤解"を加味することのできない(その「正確性」が良いという考えも当然ある)動画を上回るのではないか… それが個人的な見解だ。ヒトはナニゴトもある程度ユルい方がシアワセでいられるハズなのだ。
「今の駄作も30年後は傑作」。達観していたのか現実から逃げていたのかは判然とはしないものの、ワタシは高校写真部員の時からそう思いながら写真を撮ってきた。言わずもがな、記録性と思い出補正のコラボレーションが記憶をふんわりと蘇らせた結果の「傑作化」ではある。でも、そういう写真が今の自分にも撮れるのかどうかというと、ちょっと微妙かも知れない。永年の写真家的不摂生が祟ったのか、撮るときに"考える"ことをどうしてもやめられない自分がいるからだ。
果たして今のワタシは、素直な目線で写真が撮れているのだろうか? もし「偏見フィルター」がかかっているとしても、それはある意味、実直の証ではあると思うのだが、ユルさ優先の人生だけに、どうにも正直ちょっと自信がない。
ソニーRX10Ⅳ・220mm(35mm判換算600mm)で撮影・絞りF4・1/500秒・ISO800・WBオート
ふふ。ワイド端とテレ端でハトを捕って、いや、撮ってやったぜ。理屈や常識が土台になった上での自由な振る舞いは、ハナから自由であるよりも圧倒的に骨太だ。やりたいようにやるための開き直りが平気な顔でできるほどに面の皮が厚くなっているからである。
ソニーRX10Ⅳ・8.8mm(35mm判換算24mm)で撮影・絞りF4・1/500秒・ISO100・-0.3EV補正・WBオート
ちなみに、ソニーRX10M4のワイド端は実焦点距離8.8mm、テレ端は実焦点距離220mmで35mm版換算24〜600mm相当の画角をカバー。ただし、このワイドの作例は9mm(約24.5mm相当)で撮影と、ほんのちょっぴり画角を調整して撮っている。
PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。