写真を撮るとき、何となく意識していることがある。それは、ごく普通の被写体(光景)を「絵を描くように撮る」ことだ。一瞬を手前勝手に切り撮っている事実を踏まえながらも、「自らが描いている」感覚を失いたくはない。現実は、被写体の存在感や魅力に9割以上を頼っているのが「写真の現実」であったとしても。いや、そうだからこそ、なおさら。
ホンネを言えば、絵の描ける人間に生まれたかった。根底には、そういう思いがある。絵画を描くことのできる人に対する憧れは、何故だかいつまで経っても衰えない。これ、"ゼロから生み出せる強さ"に対する羨望であると自覚している。写真を撮ることでは、概ねそれができない。被写体を没収されたら、ナニもできない。といって、色ギンギラの被写体を自分で作り込んでそれを撮るというスタイルには、個人的にはまったく興味がわかない。ない、ない、ないの三連チャン。
なぁんてことを思い始めると、昭和の時代にその名を広め、しかしデジタル時代になってからはすっかりナリを潜めている「念写」ができたらどんなにいいか… ってなことを半ばマジで考えるようになったりもする。絵画への憧れを払拭できない身には、念写こそが「写真」の中でもっともクリエイティビティが高い"撮影行為"であり、理想的な作品制作スタイルであるように見えるからだっ! って、「0」か「1」ですべての答えが導き出せる(と認識されがちな)デジタル支配の現代とは違い、かつての昭和の時代って、やっぱりいろいろ夢があったような気がするよねぇ…。
さて、念写の夢叶わぬリアルな写真事情の中にあって、個人的にもっともこだわっているのは構図だ。有象無象を"絵"にしようとぶつかっていけるスナップショットで、仮に抜刀術を前面に押し出すかのごとき一種乱暴な撮り方をするにしても、構図にだけは隙を見せたくないと常日頃から身構えている。
それって、たぶん、構図の構築や追い込みに、写真と絵画の融合点とでもいうべき「描き込む感覚」を感じているからなんだと思う。「写真を描く」ことが、今よりもっと自在にできるようになりたいと思うエンド・オブ・2022年。筆は災いの元。来年こそは、容易に折れない極太の”筆”を手に入れるべく、より慎重にコトを進めようと、フンドシの紐を締め直しているところである(トランクス派ですけどね)。
目に映った光景を居合い斬り撮法でスパッと切り撮る。人物が若干群、左に寄りつつシンメトリカルな配置になっている点が画面全体の安定感を整えてくれた。撮影する瞬間は、背面モニターをラフに見て大雑把に構図を確認するのみ。こういう撮り方が際限なくできるのがデジカメのイイところだ。
ソニーサイバーショットRX10・8.8mm(35mm判換算24mm)で撮影・絞りF4.0・1/500秒・ISO125・AWB・JPEG
焦点距離を細かく調整しながら、じっくり構図を整えて撮った。こだわったのは、画面右端の電柱の入り(見え)方。細かすぎて伝わらない思いも、自身にとっては「描き込む」感覚の醸成に欠くことのできない要素となる。ただ、電動ズームは、こういうときの微妙な調整がしにくい。そこがタマにキズ。
ソニーサイバーショットRX10M4・73.2mm(35mm判換算200mm)で撮影・絞りF5.0・1/1000秒・+0.7EV補正・ISO100・WB太陽光・JPEG
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