子どものころ、あのカメラに出会ったからこそ、いまの私がいる。カメラが映し出す世界、未来、夢に、幼い私はすっかり魅入られてしまったのだ。
——というような話があればいいのだが、残念ながら私にはそんなステキな経験がまったくない(笑)
素晴らしきカメラライフが綴られることは多いけれど、これといったカメラとの出会いがないという話が綴られることはあまりないかもしれない。そんな話も一興かと思い、昔話を綴ってみようかと思います。
カメラを手にした一番古い記憶は、家にあったカメラをいじっていた時のできごとである。いや、いじっていたのだろうか。触りたそうに見ていただけかもしれない。
だったら使ってみるか、という感じで、父がフィルムを入れて貸してくれた。貸してくれたのはいいのだが、使い方がまったくわからない。
ファインダーの二重に見える像を重ねてピントを合わせる、二重像合致式の使い方は、どこかで覚えていたので、この時、そのくらいは教えてもらっていたか、自分で見つけていたのかもしれない。それ以外が、まったくわからない。わからないまま、シャッタースピードや絞りなど、動かせるところを動かして撮っていた。これはすごく楽しかった。というのも、わからないということもわからないので、何かとてもいいことをやっていたつもりだったのだろう。
入れてくれたフィルムは、練習用だからとモノクロだった。父が現像に出して、仕上がりを取ってきてくれた。楽しみにしていたのだが、父の機嫌が悪い。何も写ってなかったぞ、という。
そんなはずはない、と見せてもらったが、そもそもプリントがない。ネガがスカスカで、薄っすら鉄棒らしきものが写っているだけ。だから、プリントするコマもなかったというわけだ。
私にしてみれば、あんなに工夫して撮ったのに、という思いだが、デタラメな露出なので、写っているはずもない。ネガがスカスカなのは、フィルムの感度が低く、偶然露出が当たることもなかったということか。
しかしこれは、私の記憶であって、じっさいには使い方を教えてくれていたのもしれない。小さな子どもが、習いもせずにカメラを使えると考えるはずはない。いや、しかし、ていねいには教えてくれなかったのかもしれない。あるいは、ただ単に、私が迂闊で鈍いだけだったのかもしれない。
いずれにせよ、これでカメラに触るのが嫌になってしまった。とりわけ、そのカメラは見るたびに、このできごとを思い出すので、嫌になってしまった。何も写っていなかったのは、カメラのせいだ。きっとそうに違いない。
いつの間にか、私の記憶のなかで、この失敗は、カメラが壊れていたせいだ、ということになっていた。
にもかかわらず、このカメラはなぜかずっと持っている。使わなくなったカメラは、どんどん手放してしまうのだが、あまりに嫌になったので、手放す手間をかけるのも嫌だったのだろう。
何十年かぶりに、ホコリをかぶったこのカメラをあらためていじってみると、シャッターは切れる。裏蓋を開けて覗いてみると、絞りも変わる。シャッタースピードも変わる。ファインダーを覗いてみると、二重像も動く。上の方に露出計の針があり、正確ではないだろうが、これもいちおう動いている。子どもの時の私は、この表示の意味がわからなかったということか。
ひょっとしてこのカメラ、壊れていないのかもしれない。もう一度、フィルムを入れて、撮ってみよう。
——となれば、少しはステキな話になるのだろうが、そんな気持ちにはならないのが現実だ。
それより、いまのいままで、壊れているかどうかチェックもせず、チェックするための試し撮りもしなかったというのは、どういうことだろう。このカメラはずっと手元にあり、そんな機会はいくらでもあったというのに。
カメラの機種名も、いまはじめて確認した始末である。KONICA SII。
これ以上、記憶をたどるのは、やめておこう。また、手元にあって、触りもしないカメラに戻ってもらおう。
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