1980年代半ば、手が届く価格で、実用的なレンジファインダーのカメラというと、ライツミノルタCLかミノルタCLEだった。
中古相場で、ライツミノルタCLの40mmレンズ付きが7〜8万円、ミノルタCLEの40mmレンズ付きが8〜9万円だったように思う。ライツミノルタCLは、1973年発売のメカニカルシャッター機、ミノルタCLEは、1981年発売の電子シャッター機で、似て異なるカメラである。
ライツミノルタCLは日本での名称で、海外ではライカCLとして販売されていた。ライツミノルタCLの使用説明書には、「このライツミノルタCLは、ライツ社ではライカCLの名称で発売されているものと同性能のものです」と記されている。同じカメラなのだが、日本でのライカCLの相場は、数万円アップだった。
1975年のカメラ雑誌の中古広告で探してみると、40mmレンズ付きで、ライツミノルタCLが79,000円、ライカCLが130,000円だった。こんなに価格差があっただろうか。1980年代半ばには、差が縮まっていたのかもしれない。もっとも、ライカCLを店頭で見かけること自体、ほとんどなかったように思う。
1983年のカメラ雑誌の中古広告には、ライツミノルタCL、ライカCL、ミノルタCLEのいずれも見つけることができなかった。たまたま手元にある号に載っていないだけという可能性もあるが、掲載されているのは一眼レフ機ばかりなので、要するに、マイナーだから載っていないのだろう。
新宿や銀座に出かけるたびに、中古カメラ店のショーウィンドウを覗いては、ライツミノルタCLにするか、ミノルタCLEにするか、迷っていた。交通費もかかるのに、なぜ、なかなか買わなかったのだろうと思うが、そもそも出物が少なかったのかもしれない。
けっきょく、40mmレンズ付きで7万円台前半のライツミノルタCLを新宿で見つけ、ちょっと迷ってから買った記憶がある。当時は、中古カメラにせよ、古本にせよ、みんな店を回って見つけているわけで、即決しなくてもしばらく残っている場合が多かったのだ。
中古カメラを買うというのは、買うという気持ちを固めて、銀行から金をおろし、冷やかしではないので堂々とカメラを見せてくれといって、各部をチェックするふりなどしつつ購入にいたるという、一連の儀式めいた行為だった。
ようやく手に入れたライツミノルタCLだが、鎌倉でさっそく落としてしまった。カメラがお寺の石段を落ちていくシーンを、いまでも鮮やかに思い出すことができる。外装が多少凹んでも動作に支障がなかったのは、さすがメカニカルシャッター機というべきか。キヤノン ニューF-1も手に入れてすぐに落として凹みを作ってしまったが、二度目ということもあり、迂闊な自分に呆れた。
しかし、これで愛着が薄れたのがよかったのか、私にしては、ライツミノルタCLはかなり長い間使ったカメラになった。カメラにおいては、やはり小ささと軽さが正義ということかもしれない。
いっけん普通のバッグのようにも見えるソフトタイプのカメラバッグが登場した時期でもあり、TENBAのP211に入れて持ち歩いていた。P211は下部に収納部があり、ここに長巻からパトローネに詰めたフィルムを入れていた。この時代、ミノルタCLEとTENBA2の組み合わせで持ち歩いていた人も多かった。検索したところ、P211とTENBA2は2013年に復刻されていたので、なかなかの名バッグだったということだろう。
長い間使っていたわりには、これといった写真も撮れなかった。ライツミノルタCLから生まれた名作もあるので、これはカメラのせいではなく、あきらかに私のせいである。ライツミノルタCLで撮った写真も、もうほとんど残っていない。
写真を撮る者にとって、ライカを使うか使わないかというのは、大きな分かれ道になるだろう。私が、なんとも半端な道を歩むことになったのは、ライツミノルタCLを選んだせいだろうか。
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