私の育った街に、中古カメラ店はあったのだろうか。
もちろんカメラ店はあり、ショーウィンドウにはカメラが並んでいたので、そのなかには中古品もあったのかもしれない。しかし、そもそもカメラ店は、気軽に入れるような雰囲気ではなかったし、ショーウィンドウも覗きやすくはなかった。
ではどこで中古カメラを見たのかというと、質流店である。ショーウィンドウは覗きやすく、楽しかった。腕時計、カメラ、ラジカセなど、欲しいものがあれこれ揃っていて、店の中に、ギターがぶら下がっているのも見えた。ときどき大人にまぎれて店に入ると、麻雀牌や革ジャンなどもあった気がする。
そのころ、シチナガレという言葉の意味は知らなかったかもしれない。ちょっとあやしくて、なんでもあるのが魅力的だった。中学生のころ、街をウロウロするときの巡回ルートに入っていた。
その店で入手したもので一番嬉しかったのは、小学生のときに買ったラジカセである。ラジオがある、カセットがある、録音もできる。マルチメディアなんていう言葉もなかったか、あっても知らなかったが、まさにマルチメディアな機械だった。19,800円という値段も覚えている。
キヤノン F-1もその店のショーウィンドウにあった。何台かあったかもしれない。明るいレンズはいいレンズ、ということで、父親がF1.2の55mm付きのF-1を買ってきた。しかし説明書がない。いじっているうちに、なんとなく操作法もわかってきたのか、あるいはなにかで勉強したのか。たとえば、追針式の露出計は、動かしていると、それなりに意味がわかってくる優れものだった。
何度も見た覚えがあるのは、カタログである。なかなか高級感のあるカタログで、見ているうちに、だいたいの操作法や、取り外しできる箇所がわかったのかもしれない。用もないのに、レンズを外したり付けたりするのはもちろん、ファインダーやスクリーンを取り外してみたりしていた。カタログに載っていたサーボEEファインダー取り付け用の、小窓のような部分も開閉してみた。
思い出した。巡回ルートのメインだった本屋で、朝日ソノラマの現代カメラ新書別冊『キヤノンのすべて』を見つけて買い、これを説明書がわりに見たのだった。この本には、F-1、EF、AE-1が掲載されていたので、なんとなく気分はキヤノン派になっていくきっかけにもなったのだろう。
そうこうしているうちに、家にあるF-1には、巻き上げレバーなどが違っている部分改良モデルがあることを知った。F-1の発売は1971年3月、F-1改の登場は1976年9月ということなので、ちょうどモデルチェンジの時期だったのかもしれない。改良モデルがあるのなら、そっちが欲しくなる、というわけで、質流店のショーウィンドウにF-1改が置いてあるのを見つけ、父親が下取り交換してきた。レンズはどうしたのだろう。F1.2の55mmは、もっさりした外見で好きではなかった。下取りついでに、レンズもF1.4の50mmに変えたのかもしれない。
今にして思えば、巻き上げレバーにプラスチックの指当てが付き、巻き上げ角が139度になった軟派な改良モデルより、金属製の巻き上げレバー、巻き上げ角180度で、指が痛くなる旧モデルの方が無骨でかっこいいのだが、そのときは、なんとも旧モデルが野暮ったく感じたのである。
軟派といえば、F-1用のパワーワインダーFもそうだ。かなり後になって発売されたアクセサリーだったと思うが、グリップとしても程よいサイズ、縦位置シャッターボタンも搭載されたシロモノで、便利なのはいいのだが、F-1の無骨さとはアンバランスだった。
このころ、家にはナショナルのグリップストロボもあった。ホットシューにつける受光部センサーがあって、これを付けると、プロっぽくなってカッコいいような気がした。そもそもプロがそういうものなのかどうか、知らなかったのだが。
旧モデルのキヤノン F-1に55mmのレンズをつけて、グリップストロボを炊いてスナップしていれば、早熟のストロボ一発カメラマンになっていたのだろうが、もちろんそうはならなかった。
ここまで、撮った写真の話がまったく出てこないことからもわかるように、どちらかといえば、興味は、合体ロボ程度のものであり、しかも私は不器用で、合体よりも解体の方が得意なくらいだったので、そうした写真など撮るはずもなかったのだ。
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