top コラム時評14 あれから3年

時評

14 あれから3年

2023/02/20
上野修

3年前の2020年1月15日、日本国内ではじめて新型コロナウイルスが確認された。今年の1月でそれから3年が経った、というニュースは、それほど注目されなかったのではないだろうか。
 

1月下旬、政府は、新型コロナの感染症法上の位置づけを、5月8日に2類相当から5類に移行することを決定した。2月上旬、政府は、3月13日からマスク着用について屋内・屋外を問わず個人の判断に委ねることを決定した。これらのニュースも、すぐに話題にならなくなったような気がする。
 

桃栗三年柿八年ということわざは、もちろん関係ないし、石の上にも三年や、禍も三年置けば用に立つも違うだろうが、3年というのは、なにかの区切りを導く年数なのだろう。こんなふうに、さして意味のないことを書くことができるが、あれから3年が経った2023年2月、4年目のコロナ禍の気分なのかもしれない。
 

この3年で、コロナ禍前の写真やカメラをとりまく状況はどのように変化したのか、あらためて少し振り返ってみよう。
 

2020年4月、「銀座ニコンサロン」が閉館し、新宿の「ニコンプラザ東京」内に「ニコンサロン」が再開されることが発表された。同じく4月、創刊1978年の『月刊カメラマン』誌が5月号で休刊、6月には創刊1926年の『アサヒカメラ』誌が7月号で休刊。6月、オリンパスのカメラを含む映像事業の売却が発表された。2021年2月、2021年度の第44回をもって「写真新世紀」の公募を終了することが発表された。4月、創刊1950年の『日本カメラ』誌が5月号で休刊。5月、LUMIXの新たな発信拠点「LUMIX BASE TOKYO」が東京・青山にオープン。2022年2月、「オリンパスギャラリー東京」が「OM SYSTEM GALLERY」に名称変更。3月、ガーディアン・ガーデンが開催してきたコンペティション「1_WALL」が第25回をもって終了することが発表された。同じく3月、「リコーイメージングスクエア東京/大阪」が営業を終了。7月、リコーイメージングが新拠点「PENTAXクラブハウス」を東京・四谷にオープン。11月、富士フイルムが「FUJIFILM Imaging Plaza 東京」の営業を終了、主なサービス機能を「フジフイルム スクエア」に移転。12月、リコーイメージングがPENTAXブランドにおいて「フィルムカメラプロジェクト」を開始すると発表した。
 

このように書き連ねてみても、ほとんどの人は読み飛ばすだろう。街のどこかが空き地になったり、新しい建物が建ったりしたとき、以前の光景を思い出すことができず、思い出したところで、それほど感慨はないように、新たな光景に出会い、過去の光景から遠ざかってしまうと、これといった感慨はないものなのかもしれない。
 

コロナ禍といえば、先日ラジオを聞いていたら、マンガの表現で、マスクを描くか描かないかということが、意識せざるをえない問題になっているという話をしていた。マスクを描くことは、コロナ禍の記号としてマスクを捉えていることの表現にもなる。しかし、マスクを描かなければ、その問題から逃れられるかというと、そうではない。描かないことによって、コロナ禍の記号としてのマスクを避けたと捉えられることもあるだろう。いずれにせよ、二重化したマスクの意味から逃れられないのである。
 

写真表現の場合はどうだろう。たんに撮らなかっただけ、たんにマスクをした人が写ってしまっただけ、といういい方もできるだろう。とはいえ、これはマスクをどう表現するかという問題から逃れているようで、マスクの意味を三重化しているだけかのかもしれない。かくも悩ましい、この二重化、三重化し、もつれたマスクの意味も、3月からはほぐれていくのだろうか。あるいは、さらに四重化、五重化していくのだろうか。それらは同じことなのかもしれないし、ここからまた3年も経てば、気分が変わっているのかもしれない。
 

東京都の感染者数は、2月12日、約8か月ぶりに1000人以下の799人となり、26日連続で前週同曜日を下回っている。
 

2月23日には、いよいよ4年ぶりの会場イベントを加えた初のハイブリッド開催となる「CP+2023」が開幕する。ウェブサイトを開くと「CP+は、写真や映像の楽しさを、見て、触って、仲間と共感できる世界中のカメラファンが集まるイベントです!」と記されている。「CP+2023」は、写真やカメラの状況にとっての、リアルな区切りになるのだろう。と、考えると「見つけた、新しいわたし」というテーマも味わい深く感じられてくる。
 

コロナ禍当初には、頻繁に使われていた収束あるいは終息という言葉も、最近あまり見かけない気がする。見ても気に留めていないだけかもしれないが。収束あるいは終息という言葉を見なくなることが、気分としての収束あるいは終息の到来なのかもしれない。
 

こんなことを考えるともなく考えながら、ある展覧会を見に出かけた。入口での検温と手指消毒もなくなっていくのかもしれない、などと思いつつ会場に入る。寒い日の寂しい夕方の会場は閑散としていて、落ち着いて見ることができる、いい時間になった。しかし、どこからか鼻を啜る音がする。会場の奥に進むと、鼻を啜りつつ落ち着きなく歩き回る男がいた。その男は死んだ男にそっくりで、なんとも懐かしくなってしまった。そんな感傷に浸ってしまったのも、収束あるいは終息の標なのかもしれない。

(2023年2月記)

 


2023年1月下旬 渋谷

関連記事

PCT Members

PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。

特典1「Photo & Culture, Tokyo」最新の更新情報や、ニュースなどをお届けメールマガジンのお届け
特典2書籍、写真グッズなど会員限定の読者プレゼントを実施会員限定プレゼント
今後もさらに充実したサービスを拡充予定! PCT Membersに登録する