ある新連載を目当てに、オーディオ雑誌をめくる。オーディオは、今や、10万単位は当たり前、100万円クラスの製品もめずらしくない。もし、カメラがマニアの趣味として残るなら、こうなっていくのだろうか。新連載の図版にはジナーが使われていた。
なんでも望みがかなうとしたらなにが欲しいか、とオーディオマニアに聞いたら、発電所が欲しいという答えが返ってきたという有名な笑い話(?)があるが、同じ問いにカメラマニアならなんと答えるのだろう。
ある文章を目当てに、文芸誌の記念号をめくる。イメージっぽく使われているモノクロの写真が気になったので、作家名を探してみたのだが、片隅にひとりの名前が記載されているだけだった。ということは、分厚いこの号の写真は、すべてひとりの写真家によるものだということか。逆にいうなら、ひとりの写真家の写真にさまざまな文章が添えられている、というのはさすがにいいすぎだろうが、なかなかのボリュームである。
さぞかし話題になっているに違いないと思い検索してみるが、まったくヒットしない。誰も話題にしていない。となると、この写真のインパクトはそれほどではないのだろうか。なにか自分の認識が間違っているのかと、不安になってくる。
不安になってくるといえば、数年前に見たある映画は、画面が暗かった。上映中、ずっと画面が暗いことばかり考えていた。映画館を出てすぐに、検索してみたが、画面が暗かったというレビューがまったくない。この映画の画面の暗さが気になったのは、自分だけなのだろうか。もしかしたら自分の視覚の問題なのだろうか。あるいは、映画館の上映システムのせいだろうか。
ある文化誌をめくっていたら、この映画をめぐる対談に、照明と光量についての話があり、やはりあの画面は暗かったのかと思う。しかし、あの暗さは、それほど違和感がないものなのだろうか。定額サブスクリプション配信にその映画が入っていたので、もう一度見てみようかと思いつつ、画面の暗さを確認するために見るというのも億劫で、まだ見ていない。
映画ほど、見る環境によって見え方が変わるものもないだろう。暗い映画館で見るのと、明るい部屋でスマートフォンで見るのは、全然違う。昔の名画座で見た、フィルムが痛み、画面が揺れている映画がデジタル修復されると、もう別物なくらい違う。違っていることが自明なので、それほど話題にもならないということか。写真が、造本や展示によって見え方が変わるとしばしばいわれているのは、逆に、同じであることが自明だと思われているからなのだろうか。
こうしたことを書いてはみたものの、じつのところ、そうした違いには、ほとんど興味がない。じっさいに比べて見る機会などないからだ。映画館で同じ映画をスマートフォンで同時に見るとか、写真展会場で写真集と見比べたりとか、そんなことはしないだろう。版が違う写真集を並べて見るくらいはあるかもしれないけれど、もはやそれは、目的が比べることになっている。
同じように、聴き比べとか、食べ比べもわからない。比べようとして味わうと、感覚がどんどんあやふやになっていってしまう。その差異を書き綴っていると、どんどん思ってもないことを書いてしまう。もっとも、その結果、書いたことを思うようになれば、矛盾はないのだが。
(2021年9〜10月記)
2021年9月上旬 千葉
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