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月替わり展評「写真を見に行く」:世代の異なるふたりが交代で話題の写真展をレビューする

2025年11月のレビュー/井上佐由紀「はじまりと終わりに見る色を、私は知らない」、山城知佳子×志賀理江子「漂着」、他2つの写真展レビュー

2025/12/03
河島えみ

井上佐由紀「はじまりと終わりに見る色を、私は知らない」

 

■井上佐由紀「はじまりと終わりに見る色を、私は知らない」

会期:2025/10/31〜12/21

東條會館写真研究所(東京都)

 

井上佐由紀を初めて知ったのは、2019年秋の東京都写真美術館の日本の新進作家展だ。今回は、都写美で展示した「私は初めてみた光を覚えていない」シリーズ以前に撮影された祖父の目の作品が加わり、タイトルが変更された。

 

年老いた祖父と新生児の目はどちらも優しい。作家によると、生まれる時と死ぬ時、つまり最初と最後に見る色は「赤」だという。

 

井上佐由紀「私は初めてみた光を覚えていない」

 

実は、このような「目」の写真を見る前に、地下の彼岸花の展示室にまず通される。日没後に行った私は、背中をゾワっとさせながら配管が剥き出しの部屋に入った。人生が始まり終わる瞬間に目にする赤は、どんな赤なのだろうか。作家は、「作品を通して、怖いと思うもの、理解ができないもの」に向き合い始め、赤の研究をはじめる。


日常を忘却させ、目の前にある作品に没入させるいい展覧会だった。

 

井上佐由紀「はじまりと終わりに見る色を、私は知らない」

 

■山城知佳子×志賀理江子「漂着」

会期:2025/10/11〜2026/1/12

アーティゾン美術館(東京都)

 

山城知佳子×志賀理江子「漂着」

 

2つとも「身体で鑑賞する体験」だった。映像と写真。どちらも、2つの目を使った視野の中に収まるはずのメディアとして日常的に馴染みがある。しかし、この展覧会は巨大な展示空間の中で「見終わった」という感覚を許さない。


山城知佳子の作品は初めて東京都写真美術館の「リフレーミング」展で見たが、今回の「Recalling(s)」にも“RE”が付いている。日々の生活に忙殺されて、沖縄の過去を振り返らなくなる怖さを山城は抱えているのではないか。そんな懸念がタイトルから読み取れる。新作では、過去作に続き、作家の父が登場する。彼の語りは、沖縄戦だけではない沖縄の人の語りを拾い上げ、激戦地以外に潜んでいた人たちの存在を可視化する。


志賀理江子の作品は、「体調を整えてから鑑賞せよ」と写真ファンの間では噂されている。このように、原発批判の写真展が私設の美術館でできるのは素晴らしい。石橋財団の懐の深さを感じた。図録の作家のテキスト「なぬもかぬも」がとても面白い。

 

■「生きられた新宿」展実行委員会「生きられた新宿」

会期:2025/11/1〜11/16

WHITEHOUSE、工学院大学、早稲田大学など(東京都)

 

1975年に新宿を紹介した「Shinjuku: The Phenomenal City」展(MoMA)

 

「生きられた新宿」展は、1975年にMoMAで開催された「Shinjuku: The Phenomenal City」の回顧展だ。当時、日本から評論家の多木浩二が企画に参加していた。

 

新宿の写真は、多木が指示して写真家の中川道夫などが撮影を行った。

 

中央が写真家の中川道夫。MoMAの展覧会のために撮影した写真について、今秋のシンポジウムで語った。

 

多木は、新宿の複雑怪奇かつ流動的な街の様態を表すために写真だけではなく、「経験図」と呼ばれるユニークな地図を考案し展示した。この多木浩二の経験図に触発された都内の研究者や学生が、新宿を新たに解釈し、現代版の経験図を作成している。例えば、慶應大学ホルへ・アルマザン研究室では、企業主導の都内の再開発に疑義を示し、新宿の抵抗の層を分析し独自の地図を用いて可視化した。

 

■総合開館30周年記念 遠い窓へ 日本の新進作家 vol. 22

会期:2025/9/30〜1/7

東京都写真美術館(東京都)

 

寺田健人「想像上の妻と娘にケーキを買って帰る」


新進作家展は一年に一度行われる中堅作家のグループ展である。寺田健人、スクリプカリウ落合安奈、甫木元空、岡ともみ、呉夏枝の5人の作品が紹介された。寺田健人と岡ともみについて触れたい。


寺田健人「想像上の妻と娘にケーキを買って帰る」は社会が求めがちな家族像を作家自身が擬似体験する批評性の高い作品である。以前、横浜のBankART Stationで見たが、その時は(架空の)女児の遊び道具が砂の上などに散乱しており、さっきまで遊んでいたような雰囲気がにじみ出た動的なインスタレーションだった。一方、今回は静的だ。新しいプリントがいくつか加わっていた。少し子どもが大きくなり、(架空の)父親としての責任感の演出を感じた。

 

岡ともみ「サカサゴト」

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