ステファン・ケッペル/澤田育久「WHITE COPIES」( The White)より
■ステファン・ケッペル/澤田育久「WHITE COPIES」
会期: 2025/11/11〜11/29
会場: The White(東京都)
1973年生まれ、オランダ・アムステルダム在住のステファン・ケッペルと、1970年生まれで東京神田・猿楽町にて自主ギャラリーを営む澤田育久による二人展。建築を本業とするケッペルは、ハーグでアートを学び、「都市をグラフィックな現象」として捉えた写真や印刷による作品を制作している作家である。本展は、ケッペルの写真、印刷による作品と澤田の写真作品のほか、両者がイメージを交換し合い、互いの作品を異なる印刷機で出力した作品も展示された。
展示室には二人の写真作品と印刷物が混じり合い、判別がつかない。被写体は風景あるいは建築物で、色彩はほとんどなく、グレーのざらついたミニマルなグラフィックとして存在する都市の断片が掲示されていた。見ていると、懐かしい記憶が蘇る。約30年前、MacintoshとPostScriptがもたらしたDTP黎明期のグラフィックデザインのイメージである。デジタルによって自在な二次元表現が可能になった当時、版下制作が不要で手軽なDTPはCDジャケットや雑誌、ポスター等の制作に広く使われ、写真を素材化した。写真・イラスト・デザインといったメディアごとに存在していた壁を取り払った変革の時代でもあった。そして、あの時の未来には、デジタルとインターネットへの淡い希望と期待があった。

ステファン・ケッペル/澤田育久「WHITE COPIES」( The White)より
スマートフォンとSNSの登場以降、あの時の未来はすっかりノスタルジーになった感がある。しかし本展では、そのような言説を単純に肯定せず、むしろプレ・デジタル時代の精神を肯定する要素が見え隠れしている。その一つは、タイトルに掲げられた「WHITE COPIES」である。これは、ケッペルが澤田の作品をコピー機で複写している際に経験した、印刷の減衰と欠落から来ているという。本来は人為を補い欠落を埋めるはずのデジタル機器にも、デジタル特有の欠落があるという発見だ。欠落を「WHITE COPIES」と表現し、ギャラリー名のアナグラムであることも含め、積極的に創作に取り込もうとするう貪欲さは評価に値する。また、紙というアナログな二次元表層へのこだわりも本展の見どころの一つである。30年前もいまも、「紙」の存在感は変わらない。表現としての可能性はまだ残されている、と感じた。
■日置武晴 「食堂」
会期: 2025/12/5〜7
会場: Gallery WEST(東京都)

日置武晴 「食堂」(Gallery WEST)より
1964年生まれの料理写真家、日置武晴の回顧写真展を代官山で見た。日置は、日本大学芸術学部写真学科で大森克己、落合由利子、小畑雄嗣、ホンマタカシらと同期で卒業し、料理本の専門出版社である柴田書店にカメラマンとして入社した。以降は、料理写真専門の写真家として活動を続けてきたが、惜しくも昨年逝去している。本展は家族や友人、仕事仲間たちの協力で開催されたものである。
展示作品は仕事写真ではなく、主に旅行先で個人的に撮影されたレストランと料理の写真から構成された。中心となったのはブルゴーニュ地方の街道沿いにある「Les ROUTIERS」という長距離トラック運転手向けの食堂を撮った作品である。「Les ROUTIERS」とはレストランの名称で、直訳すると「街道」を意味し、トラック運転手を表す俗語でもある。レストランは長距離トラック運転手に料理を提供するガッツリ系の食堂で、日本で言えば「山田うどん」や「ラーメンショップ」に相当する存在らしい。日置は店の近くに宿を取り、フランスのトラック野郎たちに交じって共に時間を過ごしながら彼らの食事風景を料理を交えて撮影した。通算14回も通ったというから、作品化を見据えて取り組んでいたのは間違いない。生前は14回通っても「まだ足りない」と言っていたというから、その入れ込みようは相当なものだったという。

日置武晴 「食堂」(Gallery WEST)より
日置の撮った料理写真は、美食の国という土地柄ゆえか洗練されている。日置の写真には品格があるのだ。食べかけの皿に盛られたステーキ肉が美味そうに見えるし、食卓を囲む男たちの光景は映画の一場面を切り取ったかのようだ。その有り様は、ドキュメンタリーであり文学的ですらある。日置は、食欲の奥にある料理への憧憬を写し撮れる稀有な写真作家だった。「食〝欲〟が在る処に、料〝理〟がある」。日置が作品「Les ROUTIERS」で言わんとしていたのは、そういうことではないだろうか。ぜひ、写真集として一冊にまとめられた形で見てみたい。
■横田大輔「横田大輔 写真展 植物、多摩川中流域」
会期: 2025/11/19〜12/28
会場: スタジオ35分(東京都)

横田大輔「植物、多摩川中流域」より
1983年生まれの木村伊兵衛写真賞受賞作家・横田大輔による最新作品展を見た。横田は、写真の被写体ではなく、写真の本質と特性に着目した作品づくりを指向してきた作家である。とりわけ、写真の複製・劣化・反復をプロセスに組み込み、同時に写真感材をラディカルな手法で活用し、さまざまなメディア(支持体)に転写することで、情報としての絵姿はあるが実体がない二次元のメディアである写真の本質をあぶり出した功績は大きいと筆者は考える。横田の作品には、これまで前面化してこなかったもう一つのテーゼがある。それは(カメラで)世界を見ることへの疑念である。新作は、その隠されたテーマを具体化した作品と言えるだろう。
新作は、多摩川中流域に自生する植物を4×5の大判カメラで撮影したシリーズだ。アブラナ科のカラシナなどの植物と風景の撮影、すなわち事物と向き合うことは「見る」ことそのものを示している。写真批評や美術批評で「見ることを問いかける・問い直す」という定型句をよく見かけるが、本作における横田の植物を見る行為に、このような形骸化した批評は当てはまらない。第一に、本作には植物観察という学術的な行為が文脈として含まれている点が挙げられる。自然の理を見出す科学的観察と、作品へ昇華することが目的の美術的観察は、そもそも目的が異なる。第二に、横田の「見る」行為には他者への問いかけはなく、自問自答に留まっている点が挙げられる。これは横田自身による本作のステイトメントを読むと明らかだ(ここでは割愛する*1)。彼の植物との対話はあくまで個人的な行為であり、「カメラを捨ててものを見なさい」といったメッセージは含まれない。

横田大輔「植物、多摩川中流域」より
本作で特筆すべきは、「見る=対話」という行為の重要性を再確認した点にある。横田のステイトメントを読み、哲学の始祖・ソクラテスを思い出した。対話と議論を重視したソクラテスは、「生きている言葉」としての話し言葉を重視し、「死んだ会話」としての書き言葉を集めた著作を一切残していない。横田が本作で行ったのもこれに近い態度である。それは、既存の写真的行為、あるいは営利を指向する写真的行為への批判であり、同時に写真の記録的側面の価値に対する遠回しの否定でもある。今後の重要な写真作品として、注視していきたいシリーズだ。
■System of Culture「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」
会期: 2025/11/12〜12/27
会場: MAHO KUBOTA GALLERY(東京都)

「System of Culture「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」」(MAHO KUBOTA GALLERY)より
2017年に3人組のアートコレクティブ(美術家による限定ユニット)として結成され、現在は小松利光のアーティストネームとして活動するSystem of Cultureの個展を見た。展示はスタイリッシュで、いかにも現代的なビジュアルである。基本的にはスナップ写真だが、被写体はスチルライフであり、広告写真のようにセットアップされ、隙なく美しく撮影されている。展示に合わせて制作された作品集は、筆者が敬愛する造本家・佐久間麿によるもので、目を引く鮮やかな緑の表紙が印象的な、スタイリッシュな一冊だった。
たとえば、茹でたアルファベットのパスタを皿に盛り、スプーンで掬い単語を形成させた作品。タンスの引き出しを開けてそこにガラケー、男性用のセイコーの腕時計、ルービックキューブ、iPhoneのケーブル、トヨタ・クラウンのミニカー、財布、香水、BICの使い捨てライターが収められた作品。英語のメールの一部を液晶ディスプレイに表示し切り取った作品などがある。いずれの作品も文脈という名のプラグがコンセプトとして用意され、三名の文筆家による、任意に選ばれたイメージをもとに書かれたテキストも併設されていた。典型的な文脈写真であり、それを追求したものと言える。文脈写真を突き詰めていくと、限りなく広告写真に近づいていくのがよく分かる。現代美術と広告に象徴される経済との結託を、分かりやすい形で示している。一種の皮肉とも受け取れるが、鑑賞後には、腑に落ちない胸のつかえのような疑念が残った。これらの作品は、すでに広告=経済に呑み込まれているのではないか、という疑念である。

「System of Culture「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」」(MAHO KUBOTA GALLERY)より
写真を世界の結節点とする表現は、これまでも繰り返し試みられてきた。その一例として、写真家・清野賀子が自死の直前に遺したテキストがある。以下に抜粋して紹介する。
「…もう『希望』を消費するだけの写真は成立しない。細い通路を見出していく作業。写真の意味があるとすれば、『通路』みたいなものを作ることができたときだ。『通路』のようなものが開かれ、その先にあるものは見る人が決める。…」(*2)
本作は「通路」たり得るのだろうか。疑念は残ったままだ。
*1:https://35fn.com/exhibition/daisuke-yokota-plants-midstream-tama-river/
*2:季刊『真夜中』No.5 2009 Early Summer(2009年、リトルモア)P78-80より抜粋。
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