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月替わり展評「写真を見に行く」:世代の異なるふたりが交代で話題の写真展をレビューする

2025年6月のレビュー/荒木の魂、永遠にアマノ、絵画版アレ・ブレ・ボケ、「勿忘」の戒め

2025/07/04
沖本尚志

荒木経惟「昭和15年5月25日」(artspace AM)

 

■荒木経惟 「昭和15年5月25日」
会期:2026/5/25〜7/7
会場:artspace AM(東京都)

 

荒木経惟の新作展が、東京・原宿のartspace AMで開催されている。毎年、荒木の誕生日に合わせて開かれる恒例の写真展で、今年は彼の生年月日がそのままタイトルになった。しかし、展示されているのは祝福とは裏腹に、枯れた花、壊れた日本人形、病院食といった、陰鬱で死の匂いが濃厚に漂う作品群だった。

 

2018年、モデルを務めた舞踏家・KaoRiによる告発に端を発したMeToo問題以降、荒木の作品には死のイメージが前面化し、こうした陰鬱な作風が続いているように見える。artspace AMのオーナー・本尾久子によれば、荒木は2024年に右手の手術を受け、現在は専門施設でリハビリ中という。その病室には次々と日本人形や大振りの生花が運び込まれ、それらの光景を記録したのが今回の展示の中心となっている。

 

右手が不自由になった荒木は、まずポラロイドカメラ、続いて35mmのポジフィルムを詰めたコンパクトカメラを使用した。2008年には前立腺癌の手術を受け、2013年には右目を失明。現在は車椅子なしでは移動も困難な満身創痍の状態だが、それでも2024年12月から2025年5月にかけて2,000カットを撮影し、そこから選ばれた200点が展示されている。「写狂老人」の自嘲は伊達ではない。

 

タイトルに自身の生年月日を掲げた理由は、荒木が幼少期に遊び場としていた浄閑寺の墓地の記憶と、現在の病室という新たな“棲家”とを重ね合わせ、1989年に終焉した「昭和」とのリンクを意識した結果だという。荒木にとって写真とは、常に生と死の境界線上にある“コト”なのだ。

 

思えば、荒木の内面は本来、展示された写真のように孤独で陰鬱に満ちているのかもしれない。MeToo問題は、“アラーキー”という仮面の呪縛から荒木を解放した。しかし、彼は自らの傷だらけの人生を決して手放さない。その生き様であり、むき出しの魂を目の当たりにした展示だった。

 

■天野裕氏 「あなたがここにいてほしい」
会期:2025/5/15〜6/8
会場:SAI(東京都)

 

天野裕氏 「あなたがここにいてほしい」(SAI)

 

1978年生まれの天野裕氏が、東京・渋谷のギャラリーSAIで個展を開催した。天野は2009年、塩竃フォトフェスティバルで大賞を受賞し、写真界にデビューした。技術よりも感情、芸術よりも生き様を優先するこの作家は、「あなたがここにいてほしい」というタイトルのもと、写真を撮り続けている。

 

天野の写真を初めて見たのは2007年、青山で行われたポートフォリオレビューの場だった。塩竃フェスで大賞を獲ることになるB4判の分厚いブックを見た。写っていたのは日常のスナップ。女と花と友達とマリア像——彼の半径3メートルの世界を写した写真である。よくある若者の日常ではあるが、天野のそれはストレートでエモーショナル、写真そのものは彼のギラギラした外見とは対照的に、素直でキラキラしていた。

 

今回の展示でも、そのキラキラは変わらない。人物は天野に微笑み、風景は瑞々しく、世界はどこまでも美しく写っている。詳しくは書かないが、天野の人生は苛烈で特異だ。彼にとって写真は、愛おしい記憶の結晶なのだろう。彼が使い続けているタイトル「あなたがここにいてほしい」は、天野が写真に託している願望を象徴している。日々、写真に淫している私たちは、この大事な“コト”を忘れがちだ。天野には、写真でこの大事な“コト”を叫び続けて欲しいと思う、永遠に。

 

■野村浩「RUINDAKU/KUDANIRU」(POETIC SCAPE)
会期:2025/5/17〜6/29
会場:POETIC SCAPE(東京都)

 

野村浩「RUINDAKU/KUDANIRU」(POETIC SCAPE)

 

1969年生まれの野村浩による絵画展が、東京・目黒のギャラリー POETIC SCAPE で開催された。今回の出品作は絵画だが、野村が日常的にInstagramで発表している写真と深く関連しているという。タイトルは、2022年に開催された個展「KUDAN」で彼が造形したキャラクター「KUDAN」のアナグラムであり、しばしば絵画の主題となる“鏡”を暗示している。「KUDAN」は、牛のようなミノタウロス的外見をした、慣用句「件(くだん)」をキャラ化した存在だ。

 

背景には、野村が暮らす千葉・浦安などの風景が描かれ、その中に「KUDAN」の姿や、彼の作品に特徴的な“目玉”が描き加えられる。この背景モチーフこそ、彼がInstagramに日々投稿している日常風景の写真である。それらのイメージが彼の中で蓄積し、飽和点を超えたときキャンバスに描かれる。

 

筆者も野村のInstagramをフォローしているため、作品には既視感を覚える。気になるのは、そのラフな描き方だ。絵画用語で言えば「ストローク」だが、野村の作品は写真をベースとしており、実写イメージを想起させるため、どこか「アレ・ブレ・ボケ」のようにも感じられる。千葉の高速道路に寝転がる「KUDAN」の姿は、絵画におけるアレ・ブレ・ボケであり、写真の幻像のようにも思える。SNSで発表される写真は、想像以上に私たちの意識に影響を及ぼしているのではないだろうか。

 

■被爆80年企画展 ヒロシマ1945
会期:2025/5/31〜8/17
会場:東京都写真美術館(東京都)

 

被爆80年企画展 ヒロシマ1945(東京都写真美術館)

 

漢文で「決して忘れること勿れ」は「勿忘」と書く。漢詩の簡潔な表現は、古来より日本の知識層に愛され、戒めとしても機能してきた。近代以降もその風潮は残り、新聞は「臥薪嘗胆」や「殷鑑不遠」といった語を引用し、日露戦争においては激戦地・二〇三高地で指揮を執った乃木希典が数万人の戦没者を弔う漢詩「爾霊山」を詠んだ。東京都写真美術館で開催中の「ヒロシマ1945」は、まさにそうした漢詩の簡潔な戒めがふさわしい、写真による原子爆弾とその被害への告発の集積である。

 

展示は、報道機関と広島市が共同でユネスコ「世界の記憶」に申請中の「広島原爆の視覚的資料——1945年の写真と映像」(写真1,532点、映像2点)を基に構成されている。驚かされるのは、山田精三による「きのこ雲(炸裂2〜3分後)」や、松重美人による8月6日の被災者の撮影など、被爆直後の広島を撮った写真家たちの執念である。

 

さらに、被災して壊滅した広島電鉄が、わずか2日後の8月8日には全線で運行を再開したという事実。焼かれた市電車両は写真に残され、後に修復されて再び路線に戻り、いまも営業運転している車両もあるという。人間の記憶とは曖昧で不確かだが、写真はそれを補完する情報の集積体であり、同時に漢詩のような簡潔さをもって私たちに戒めを与える存在であることを再確認する。

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