Photo & Culture, Tokyo
コラム

狭間に咲いた仇花(あだばな)―ブリッジカメラとその意義―

第7回 チノンとGENESIS

2025/08/01
佐藤成夫

『ブリッジカメラ』……この呼び名が通じる人はもしかしたら、既にあまり多くはないのかもしれない。ある属性のカメラとカメラの間に存在する、その中間的属性を持ったカメラのことである。これらはあたかも二つの異なる属性の間に橋を架けるような成り立ちであったため、これを指して「ブリッジ」カメラと呼ばれるようになった。

 
 
チノンというカメラメーカーは、これまでの各回で取り上げてきたメーカーと比べると知名度では一段落ちるかもしれない。
 

もちろんこれには理由がある。まずチノン自体は8mmカメラなどのムービーからスタートしたメーカーであり、国内では主にムービー関連のメーカーとして認知されていた。1971年からスチルカメラも手がけてはいたものの、それらは主に輸出やOEMに回されており国内市場へのチノンブランドでの参入はだいぶ後になってからだった。資料によるとチノン35F-MAやベラミなどから国内販売に参入したとあるので1980年前後のようだ。
 

国内参入以降は精力的に一眼レフ及びコンパクトカメラを開発・販売していたのだが、90年代初頭の経営悪化から国内でのカメラ生産からは撤退、更には当時の筆頭株主だったコダックに支援を仰いだ末事実上の傘下入り(1997年)となり、そこから数年でチノンブランドの製品も消滅してしまった。実際これに先行して1992年には日本国内の販売からは撤退しているし、カメラ年鑑巻末のメーカー一覧からも93年版以降チノンの名は消えている。つまり、日本でチノンのカメラが大々的に販売されていた時期はほんの10年少々しかないというわけだ。これでは他のメーカーに対して印象が薄いのも頷ける。そして皆様ご存じの通り、そのコダックもデジタルカメラ時代には……というわけである。
 

さて、このようにスチルカメラに関しては後発組だったこともあってか国内では今ひとつパッとしないイメージもあったチノンだが、写真業界の巨人であったコダックがパートナーとして選んだほどなので販売力はともかく技術力は高かったようだ。
 

実際に一眼レフからコンパクトカメラまで総合的なラインアップを揃えられるメーカーであり、海外市場では一眼レフでも知られているほかOEM供給元としても一定の存在感を示していた。コンパクトカメラにおいてはリコーFF-1(1978年)などと共に沈胴コンパクトカメラのはしりであるベラミ(1980年)などはマニア筋でも評価が高い名機として知られている。また、同社が開発した赤外線アクティブ式AF機構はこのあとの同社のスチルカメラはもちろん、ビデオカメラメーカー各社に採用されており、ビデオカメラ用レンズでのシェアは一時期4割近くを占めていたとのことである。
 

ちなみに1982年にはKマウントのAFレンズであるAF AUTO CHINON 50mm F1.7を発売し、黎明期のAF一眼レフ戦線にも参戦している。この当時はKマウントの仕様が外部に公開されていた時期であり、チノンも元々M42機を作っていた為その流れからレンズ・ボディ共にKマウントを採用していたからであった。また翌1983年には同方式AFのズーム版としてAF AUTO CHINON ZOOM 35-70mm F3.3-4.5が発売されている。
 

とはいえ、その姿は先行したリコーのリケノンAF 50mm F2同様センサーとモーター、それに電池室をレンズ側に背負い込んだが故に大型化しており、見た目の上でも特殊レンズの域を出るものではなかった。またこのレンズのAF方式は先に述べた赤外線アクティブ方式となっており、α-7000以降のAF一眼レフで一般的になるパッシブの位相差方式ではなかった。故に投光部と受光部が左右でセットになっており、それが外観上の大きな特徴にもなっていた。チノンはこのアクティブ方式のAFに熱心で、この時期のコンパクトカメラ(35F-MA・1982年)にもこの方式を採用している。ちなみに赤外線アクティブ方式の利点として、赤外線を投光するため暗いシーンに強く、コントラストの低い被写体にも合焦するというものがあった。これは当時のTTL位相差方式やコントラスト式には真似の出来ない芸当であり、これを利用して当時の週刊誌カメラマンがこのレンズを夜間の取材に使用していたという話も何処かで見た覚えがある。
 

さて、チノンとブリッジカメラとの関わりという話になると、もう少し時計の針を先に進める必要がある。その名も「創世記」という名を掲げたカメラであるジェネシスが登場したのは1988年5月のことである。オリンパスIZM300からわずかに遅れて登場しており、35mmフルサイズのブリッジカメラとしては二機種目であった。
 

さて、他のメーカーと比べてチノンの特殊なところはこのジェネシス発売の時点でAF一眼レフのシリーズを未だに持たなかったことである。それだけであればこの後に取り上げるリコーも同様であったが、チノンは同年AF一眼レフであるCP-9AFを発売して、遅まきながらAF一眼レフ戦線にも参入する。ただしこれはジェネシス発売よりも後のことである。様子見的な動きはキヤノンEOSシリーズにも見られたとはいえ、この時期になっての参入は明らかに周回遅れ感が否めないものであった。
 

それでは何故このタイミングで参入したかという話になるのだが、どうもこのCP-9AFの投入については「一眼レフメーカーとしての箔付け」といった意味も存在していたようである。同機の機構設計を担当された方が開設していたwebサイトでは「この当時の会社の力ではとてもAFの一眼レフカメラなど設計できないと上からは言われていました」「当時の海外営業部長よりコンパクトカメラをより多く売るために絶対必要だからといわれました」といった裏事情が語られている。
 

ちなみにこのCP-9AF、こうした事情もあってか1988年というAF一眼レフ二周目とも言える年代のデビューにも関わらず、AFモジュールはあのハネウェルTCLモジュールが使用されている。つまり、AF性能面でやや落ちるという評のあったニコン F-501やオリンパス OM707とセンサー自体は同じなのだ。しかしレンズ内モーターでのAF化を達成したということもあってか、本機のAF性能自体には思ったよりは好感触を抱く人が多いようである(例えば大阪にあるカメラの八百富のブログでは、当時のペンタックス機を引き合いに出してそれよりはマシと受け取れる書き方をしている。

https://www.yaotomi.co.jp/blog/used/2013/04/chinon-cp-9af-multi-program.html

 

発売前後に行われたCAPA誌の読者テスト記事でも「EOSに比べると遅い」という意見はあったものの「気にするほどではない」という意見もあり、要するに目に見えて悪かったというわけではないようだ。


また、言い方は悪いが一通り他社が揃った後に現れたカメラだったせいか、当時の雑誌でもCP-9AFの詳細な性能テストをやったところはほとんど存在してないようである。せいぜい新機種としての紹介や他のカメラも含めたカタログ的な文脈で語られており、現役当時にこのカメラのみを取り上げて仔細に解説したものはほとんど見当たらない。
 

だいたい、先に挙げた八百富のブログ担当者も『発売当時、㊥カメラ担当係"S"は学生アルバイトとしてこの八百富で働いていたのですが、このカメラに関しては全くもって見たことがない、カタログとかのイメージも全くありません。たぶんなんですが、日本国内ではほぼどこも扱っていないような状態であったものと思われます。同じ時代に発売されていたコンパクト一眼「チノン ゼネシス GENESIS」は沢山売った記憶がありますから、うちの店としてはチノンさんと取引していたにもかかわらず、どこも非常に冷たい扱いをしていたようです。その辺はメーカーさんも同じで、そう売れなくてもいい、でもコンパクトカメラを沢山売っていくためには「AF一眼もあるメーカーだ」という事実も必要だった、そんな位置付けのカメラであったものと思われます』としている。先の開発者の記述も合わせると、本当にメーカーの意図としてもそんな感じだったようで、そもそもカメラ店側が「日本国内で他店も含めて取り扱ってた記憶がほぼない」というのだから相当なものである。一応発売前後には雑誌記事が存在し、カメラ年鑑にも短期間ではあるが掲載されているのだが、こうした事情もあってほとんど輸出専用機だったのではないかと勘違いされている始末である。よって日本国内ではほとんど中古機を見かけることがない。
 

で、改めてジェネシスの話に戻ると、このカメラは「35mm・一眼レフ式ファインダー・2.3倍ズーム・レンズシャッター・外部アクティブAF搭載カメラ」ということになる。ボディ形状は一眼レフ的であるがフォーカルプレーンシャッターではなくレンズシャッターを採用しているので、つまりこのカメラはレンズシャッター式一眼レフでもある。かつて一眼レフの主流がレンズ交換式になるにつれて滅びていったレンズシャッター式一眼レフが、京セラサムライに続いて現れたのである。といってもこの二機種の構造や見た目は全く異なっており、かつてのレンズシャッター式一眼レフに近いのはこちらのジェネシスの方であろう。このカメラもまたIZM300やMIRAIのように「大きなレンズとその脇に付いた箱状の何か」というデザインをしているが、このレンズ脇部分に何を収めるのかは各社によって異なっているのが面白いところである。
 

おさらいまでに言うと、IZM300はズームファインダーの光学系とパッシブAFユニットにストロボ、MIRAIでは格納式ストロボとAF補助光ユニットである。ではジェネシスはどうなのかというと、ここにはチノン自慢の赤外線アクティブAFユニットが収められていた。このこともあってストロボはペンタプリズム上部に移されている。
 

さて、初代ジェネシスが特徴的なのは、そのストロボにも関連した電源スイッチの配置である。このカメラ、メイン電源スイッチはストロボのポップアップスイッチを兼ねており「ストロボを起こす=カメラの電源が入る」という仕組みになっている。この方式、確かにレンズの暗いコンパクトカメラではほとんど常時ストロボが焚かれるようなものも多いので、ストロボ未発光による失敗写真を減らすという意味では理に適ってはいるし、実際に京セラもサムライで同様に電源スイッチをストロボ連動化している。しかしこのジェネシスに関しては消費者に不評だったようで、海外で発売された改良版のジェネシスIIではこの方式は取りやめられ、改めて独立した電源スイッチが装備されている。ちなみにチノンは海外販売に強かった(というか国内販売が弱かった)メーカーだと先に述べたが、このジェネシスシリーズにおいても国内では二機種しか出ていないが、海外だとこうしたマイナーチェンジモデルが販売されたりしており、その動きについては国内からはよく分からない部分も多い。
 

搭載するレンズは35-80mm F4.1-6.4と、大型ボディの割には他社よりも若干ズーム倍率が低く抑えられており、またレンズも他に比べるとやや暗い。なお、ブリッジカメラの中ではこの機種だけが手動ズームとなっており、その操作も一眼レフ的なズームリングではなくズームレバーが備えられていた。その分価格的には各社ブリッジカメラの中でも低めに抑えられており、当時の定価は54,000円であった。これはわずかに先行したオリンパスIZM300の64,000円に比べても安価だし、ハーフサイズである京セラサムライの57,800円よりも安かったのである。ちなみに35mmフルサイズかつ一眼レフ式という意味では同じカテゴリに入るリコーMIRAIは77,500円であった。

 

実際、ジェネシスはファインダー形式こそ一眼レフ式ではあるものの、それ以外の要素は至ってコンパクトカメラ寄りのものであった。基本的にはフルオートで使うカメラであり、露出はプログラム専用、フォーカスもマニュアルモードは実装されていない。この機種は海外ではGENESISないしGS-7、或いはCHINON 358RZとして販売されていたり、海外の商社扱いモデルとしてRevue Zoom Reflex Compact AFやBlack's Reflex Zoomという名前だったり、韓国Lemix(亜南精密)にOEMされてLemix AV-9として販売されたことも確認している。特に韓国Lemixはこの時期ニコンと提携しているのにチノンとも付き合っている。現地のチラシには当時のシステムアップ例としてニコンのストロボとセットになっている画像まで掲載されていたりする。……まぁ、このあたりのOEMないし相手先ブランド品の多さからも当時のチノンが置かれていた状況というのがなんとなく透けて見えるわけである。
 

 
 
チノン ジェネシスⅡ 
 

さて、日本国内においてはこの後の機種というのは1990年5月のスーパージェネシスまで待つ必要があるのだが、海外においては先に述べた電源スイッチの移設を受けたジェネシスIIが発売されている。これは海外専用モデルだったらしいのでいつ頃出たモデルなのかは不明だが、スーパージェネシスの海外名がGS-9である以上、GS-7が発売した1988年からGS-9発売の1990年までの何処かの時期に出たのは確実である。そう考えると主要コンポーネントは共通とはいえたった1-2年の間にマイナーチェンジモデルが出ているというのはちょっと信じられない出来事である。ただ、先の八百富のブログの記述によれば『同じ時代に発売されていたコンパクト一眼「チノン ゼネシスGENESIS」は沢山売った記憶があります』とあるので、国内外でそれなりにヒットしており、マイナーチェンジモデルも作りやすかったのだろう。


 

 
チノン スーパージェネシス(1990年)
 

というわけで、国内では続く90年5月にスーパージェネシス(海外名ジェネシスIII・GS-9)が発売される。このカメラ、見た目の上では「初代ジェネシスを90年代っぽく曲線的デザインにしただけの機種」のように思えるかもしれないが、実は構造が丸っきり変わっている。このカメラはレンズシャッターを捨て、フォーカルプレーンシャッターを備えることでAF一眼レフにより近い形に生まれ変わったのである。さらにこの時、AFについてもこれまでの赤外線アクティブ式AFに加えて、一眼レフ由来のTTLパッシブ位相差式AFも装備し、ハイブリッドAF化されている。また、前モデルのジェネシスでは見劣りしたズーム倍率も38-110mm F4.4-5.6とほぼ3倍になり一気に他社に追いついた。改めて構成を列挙すると「35mm・一眼レフ式ファインダー・約3倍ズーム・フォーカルプレーンシャッター・TTLパッシブ位相差AF+外部アクティブAFのハイブリッドAF搭載カメラ」ということになる。
 

このカメラ、デザインは先代であるジェネシスを全体的に丸めたかのようなスタイリングをしており、グリップもいわゆるムービースタイルであったが、横幅を縮めることに腐心した形跡があり、そのせいか主な操作部はカメラ左手側の真横にまとめられている。このため操作部は既存カメラからするとちょっと特殊な配置をしている。カメラ左手側にボタンが集まっているのはリコーMIRAIもそうだったが、こちらは液晶まで含めて全てこちら側に置かれていて、右手側には電源とシャッターボタンしかないのだ。横幅コンパクト化への拘りはフィルム室の配置に現れており、巻取軸側を少しミラーボックス側に抉り込ませるように配置しているおかげでカメラ全体で見てもスリムに纏められている。
 

そして何よりのウリが、この当時の一種の流行であったイメージプログラムと呼ばれる機能であった。これは平たく言えばプログラムラインの自動選択とそれに連動したオートズーム機構の搭載である。設定した撮影モードに応じて測光&測距データを元に自動でズーミングするようになっており、実はチノンがこの手のオートズーム機の先駆けでもあった。
 

逆に言うと、オート機能が充実していたせいか相変わらずマニュアル機能についてはほとんど搭載されていない。露出情報はファインダー内にもボディ左手側の液晶パネルにも表示されることはないし、電源を入れると自動でオートズームモードが選択されるようになっている。手動ズームを選ぶためには、一旦ズームボタンを押してズームモードを解除しなくてはならないのだ。
 

このように、仕組みの上では「事実上のレンズ固定式AF一眼レフ」になったものの、リコーMIRAIやオリンパスL-1とは異なり、AF一眼レフの代わりを目指したというよりはAF一眼レフの仕組みを取り入れつつフルオートの高機能化を図ったカメラとなっていた。この事は価格にも現れており、初代ジェネシスよりも高価になったとはいえ、このカメラの定価は64,000円と、相変わらず仕組みの割にはかなり安価に据え置かれていたのである(先の通り、MIRAIやL-1は定価8万円弱とそこそこ高価であった)。

 

しかし先にも述べた通り、チノンはこの後1992年には国内カメラ販売から撤退してしまう。このため、日本におけるジェネシスシリーズはこの二機種のみで終了となってしまった。だが、海外では引き続き販路があったのか、レンズのテレ側を135mmまで伸ばした……つまりレンズに関しては新規開発したと思われるシリーズ最終機、ジェネシスIVことGS-135が販売されている。このカメラは38-135mm F4.0-5.6の約4倍ズームと、レンズスペック的にも歴代で最も力が入っているのだが、先の通りこのカメラが日本のユーザーに届くことはなかったし、そもそもいつ発売されたのかもほとんど資料がない。この三代目と四代目を並べてみると意外に相違点が多いが、あまりにもマイナーなせいか取り上げられているのを見たことがない。ちなみにこの頃になるとズームスイッチは右手側に移設されており、メーカーが想定した手ブレ防止の効能よりも利便性を求める声が勝ったのではないかと思われる。とはいえこの機種もオートズームは健在で、左手側の操作パネルを操作してオートズーム機能をオフにしなくてはズームボタンは利用出来ないのであるが。
  
 チノン ジェネシスIV


 
まとめとして大雑把に言えば、チノンはブリッジカメラの市場に二系統四種類のジェネシスシリーズを送り出した。機構面から言えば初代及び二代目がレンズシャッター一眼レフ、そして三代目と四代目がフォーカルプレーン一眼レフである。ただし日本国内においては初代と三代目のみが販売されていたということになる。現存数から見ても、少なくとも同時期の同社のAF一眼レフであるCP-9AFよりは受け入れられたようだ。とはいえ最初に述べた通りチノンの国内販売網は限られており、それがこれらのカメラの印象の薄さにも繋がっていると言える。
 

背面から見るとシャッター形式の違いが見て取れる(左:ジェネシスⅣ 右:ジェネシスⅡ)


 

なお、最後に余談を一つ。このジェネシスIVというカメラは何故かSamsungにOEM供給されており、韓国ではKenox ZL-4という名前で販売されていた。当然ながらSamsungは先に挙げたLemixとは韓国市場でライバル関係にある会社である(ちなみにLemixがニコンなら、Samsungはミノルタと組んでいた)。その双方にジェネシス一族がOEM供給されていたというわけで、これはまさにOEMで市場を支えていたメーカーの暗躍ぶり(?)を示すものであろう。
 

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