Photo & Culture, Tokyo
コラム

狭間に咲いた仇花(あだばな)―ブリッジカメラとその意義―

第8回 リコーとMIRAI

2025/09/01
佐藤成夫

『ブリッジカメラ』……この呼び名が通じる人はもしかしたら、既にあまり多くはないのかもしれない。ある属性のカメラとカメラの間に存在する、その中間的属性を持ったカメラのことである。これらはあたかも二つの異なる属性の間に橋を架けるような成り立ちであったため、これを指して「ブリッジ」カメラと呼ばれるようになった。
 
京セラ、オリンパス、チノンときて今回取り上げるのはリコーである。主にこの辺りまでが複数機種を輩出していることもあり、ブリッジカメラに前のめりに取り組んだメーカーと言えるのではないだろうか。
 さて、他メーカーの例と同様、この時期のリコーとAF一眼レフの関係性について考えてみよう。リコーにおけるAF一眼レフについての動きはというと、1981年にいち早くスクープアイとしてXR6とAFリケノン50mm F2の組み合わせでAF一眼レフとして動作するセットを発売しており、動き自体はとても早かったもののこれはヒットしたとは言い難かった。こうした前例のためなのか、リコー自身はαショック以降もAF一眼レフ戦争の戦列に加わることはせず、フィルム末期まで比較的廉価なMF一眼レフメーカーとしてのポジションを守り続けた。


つまり、スクープアイの前例はあるものの一般的な意味ではAF一眼レフを作らなかった一眼レフメーカーであったと言って良いだろう。実際、一眼レフメーカーとしてのリコーはどちらかというと最先端の高機能機よりは手頃な普及機の印象が強い。かつてのXR500の戦略的価格(39,800円)にもあるとおり、手の届きやすいカメラを作るメーカーというイメージが強かったのではないだろうか。そういう立ち位置からすると、AF一眼レフというのはリコーにとってあまり強みが発揮できない市場であると判断されたのかもしない。
 さて、実を言うとαショック以前から存在し、それ以降も一眼レフを作り続けたメーカーの中で、αの後を追ってAF一眼レフシステムを作らなかったメーカーはほとんどリコー(とコシナ)くらいのものである。AF一眼レフ四大メーカー(キヤノン・ミノルタ・ニコン・ペンタックス)はもちろん、前章までに述べたとおり、京セラやオリンパスも結果としてはMF路線に回帰することになったといえど、一旦AF一眼レフの流れには乗っている。それどころかチノンやシグマなどのようにそこからさらに遅れて参入したところも存在しており、つまりAF一眼レフというのは普通は無視するわけにもいかない一大市場であったことは疑いようもない。


一方でAF一眼レフ前夜となる80年代半ばというのは市場の落ち込みから一眼レフからの撤退が相次いだ時期でもあった。例えば80年代前半に一眼レフを作っていたのはこれまでの名前が出てきたメーカーの他にも富士フイルム、コニカ、マミヤといったところがあるが、これらのメーカーはAF一眼レフ市場への参入どころか、αショックの頃には既に一眼レフからはほぼ撤退している。つまり、そもそもAF一眼レフの時代まで続かなかったメーカーもあったし、残ったメーカーのほとんどはなんらかの形でαの後を追ったのである。こうした中でAF一眼レフにまるっきり背を向けつつ、それでもMF一眼レフは作り続けてフィルム時代を乗り切ったリコーの動きというのは今考えてみると結構特異な立ち位置だったと言えるだろう。
 

ちなみにこの時期のリコーからのアンサーとしては「AF以外ほぼ全部入り」の格安一眼レフであるXR-X(1987年)が存在した。ワインダー内蔵、プログラムを含むマルチモード対応でアベレージ・スポット測光の切換やインターバル露出も可能と、比較的高機能でありながら定価59,000円であり、AF一眼レフ中級機(当時の定価約10万円)よりは安価だった。これもコストパフォーマンス重視のリコーらしい機種である。
 

 

リコー MIRAI(1988年)
 

 

以上のような経緯からAF一眼レフを持たなかったリコーだが、ブリッジカメラの市場に送り込まれたのが「事実上のレンズ固定式AF一眼レフ」であるMIRAIであった。このカメラの登場は1988年9月と、同様の一眼レフ式ファインダー/フォーカルプレーンシャッターのブリッジカメラとしては最も早く登場している。ブリッジカメラ全体から見ても、京セラサムライ、オリンパスIZM300、チノンジェネシスに続く4番手である。そしてこの時点では最も高機能で、AF一眼レフの領域に食い込むことを明確に意識したスペックのカメラであった。形式としては「35mm・一眼レフ式ファインダー・4倍ズーム・フォーカルプレーンシャッター・TTL位相差AF搭載カメラ」ということになる。実はこの各要素はほぼオリンパスの回で説明したL-1と同じである(MIRAIの方が約2年早い)。ただ、そのフォルムは大きく異なっている。MIRAIのフォルムは同じオリンパスで言えばIZM300に近い、横長で平べったいデザインになっているのだ。もちろん、IZM300とMIRAIとでは形式が異なるため、部材の配置は大きく異なっている。

 

そもそもこのカメラ、IZM300と違って一眼レフ式ファインダーである。しかし、一眼レフであれば存在するはずのペンタプリズムはカメラのシルエット上ほとんど痕跡がなく、僅かにボディの中央部に膨らみが残されているだけである。実際には普通の一眼レフ同様、この部分にペンタプリズムが格納されている。ただし高さを抑えるために、ペンタプリズムの光軸はわずかに傾けられて配置されている(なお、このペンタプリズムを傾けてカメラ全体の高さを抑える手法は後年ミノルタ α-sweet II(2001年)などでも採用されている)。余談だが、オリンパスに供給されたIZM400では更に天面のフラット化は徹底されており、より一眼レフっぽさを消している。
 

兄弟機となるオリンパス IZM400
 

 

電池室を兼ねたグリップは折りたたみ式となっており、引き下げていわゆるガングリップ的にも使えるし、畳んだままならばいわゆるムービースタイルということになる。電池はCR-P2リチウム電池と乾電池との兼用式で気が利いている。実際に握ってみると、ムービースタイルでは重心位置もあってやや手首の角度に無理が出るので、引き下げてしっかり握り込めるガングリップで使った方が扱いやすい。なお、このグリップの角度はノッチ式で6段階に調整可能になっている。


レンズを挟んでグリップの反対側には格納式のストロボが配置されており、展開すると縦長のストロボがバネ仕掛けで勢いよく飛び出してくる仕組みとなっている。デザインもこの時期は3DCADの普及による曲線デザインとの切り替わり直前の時期ということもあり、80年代特有の直線基調を引き継いでいる。このためガンダム的というか、あるいは変形合体ロボ的というか、とにかくメカメカしく、実際に可動部が多いカメラである。


なお背面だけを見ると、ちょっとファインダーが低いくらいで見慣れた一眼レフの景色であり、この部分だけを見る限りは変わったデザインのカメラであるという感じはしない。裏蓋を開けて見えるフォーカルプレーンシャッターも、一眼レフを触り慣れた人なら見慣れた景色である。フォーカルプレーンシャッター搭載のメリットはシャッター単体のスペックとして見ると高速側に強いことであり、このカメラも当時の中級機相当である1/2000シャッターを実装している。とはいえ、マニュアルモードやシャッタースピード優先AEはないため、この高速シャッターが真価を発揮するシーンは思ったほど多くない。ただ、副次的な要素としてはレンズ設計時にシャッターの口径に縛られることがなくなるので、そういったメリットを狙っているのかもしれない。どちらにしろ、基本的に高輝度は絞り込んで対処するプログラムとなっている。なおプログラムラインは焦点距離別に変化する自動切り替え式のマルチプログラムとなっていた。これも当時のAF一眼レフではお馴染みの機能である。


本機の仕組みがほぼAF一眼レフということもあり、操作性に関しても基本的には同時代のAF一眼レフに近いものとなっている。シャッターボタンの前側に原点復帰式のジョグダイヤル、後ろ側にプッシュボタン式の上下ボタン、そしてシャッターのすぐ脇にはリセットボタンが設けられている。ジョグダイヤルはズーム用、上下ボタンはプログラムシフト用である。このカメラにマニュアル露出モードはないが、プログラムシフトにAELと露出補正があるため、慣れた人なら一通りの露出調整は可能である。なお露出補正ボタンは左手側フラップに隠されているが、比較的手の届きやすい位置に配置されている。こうした部分からも、本機のターゲットはAF一眼レフへの乗り換えを検討している初級〜中級者くらいまでということがわかる。フルモードの露出を備えたAF一眼レフ中級機ほど高機能ではないが、一方でプログラム専用の完全な初級一眼レフ機やコンパクトカメラに比べれば十分に高機能というわけである。とはいえ、こうした立ち位置が「丁度良い」のか「中途半端」なのかは意見が分かれるところであろう。


ボディの真ん中に配置されたレンズは、写真工業誌のメーカー解説記事では「レンズ特有の円柱形状を出さないように」意図してデザインされており、これによってフラット化された鏡筒上部(構えたときペンタプリズムの奥)に液晶パネルが配置されている。この液晶パネルには焦点距離の数字や撮影距離のバーグラフも表示されるのだが、電源を入れると一旦撮影距離のバーグラフがアニメーションしながら振り切れるようになっていて、ちょっとした遊び心を感じる。


レンズのスペックは35-135mm F4.2-5.6というもので、35mmのブリッジカメラとしては初めて約4倍のズーム比を達成していた。このサイズで高倍率を達成できた理由の一つが、バリフォーカルレンズを採用したことである。


ここで少し説明を入れると、これまで本稿では「画角が可変できるレンズ」という意味で「ズーム」の語を使ってきた。だが、これらの語も光学設計上はもう少し厳密であり、実際には画角が可変できるレンズの中で更に「ズームレンズ」と「バリフォーカルレンズ」に分けることが出来る。この二つの差は何かと言えば、ズーミング中にピントが外れるかどうかである。


さて、MF一眼レフの時代はバリフォーカルはあまり歓迎されなかった。ズーミングをするとピントがズレてしまうということは使いづらさに繋がるからである。一部にはこの弱点を許容することで逆に当時のズームレンズでは達成が難しい大口径&高倍率を両立した1972年のコニカバリフォーカルヘキサノン35-100mm F2.8といったレンズも登場したものの、この動きがそれ以上広がることはなかった。


とはいえ、AF一眼レフの時代になるとこのバリフォーカルレンズの弱点についても対策されるようになった。というのも、オートフォーカスの時代はピント調整も自動(電動)なのだから、ズーミングに応じて適度にピントを連動して調節してしまえば、ユーザーから見ればズームもバリフォーカルも結果は同じではないか? というわけである。ましてブリッジカメラであればハナからMFのためのピントリングを設ける必要もなく、ズーミングやフォーカシングも最初からフルにモーターで制御されていた。コンパクトさやズーム倍率を求められるブリッジカメラは、仕組みの上でもバリフォーカルレンズが適任だったと言えるのだ(なので、本稿では以降バリフォーカルレンズとズームレンズを区別せず、ズームレンズ搭載カメラとして扱い、呼称もズームとする)。


なお、本機はこのようにバリフォーカルレンズ搭載のため、電源投入直後の何処にもピントが合っていない状態ではズーミングのみが作動するのだが、一度何処かにピントを合わせてからズーミングすると「少しズーム→ピント外れる→フォーカス群が追いついて補正→少しズーム……」の繰り返しで焦点距離が変わっていくことがわかる。このせいもあって本機のズーミングは一眼レフや現代のコンデジに慣れた身としては随分のんびりしているように感じるが、この動作こそがこのカメラの機構面の特徴の一つでもあるのだ。なおファインダー内には露出情報が絞り・シャッター速度共に表示されており、当時の一眼レフ初級機よりもよほど充実している。こうした部分からもやはりこのカメラは中級機相当であると言って良いだろう。


さて、先にオリンパスの項でも述べた通り、この時期のオリンパスとリコーには相互供給体制が組まれており、リコーからは一眼レフ式ファインダー・フォーカルプレーンシャッターのMIRAIを、オリンパスからは実像式ズームファインダー・レンズシャッターのIZM300をそれぞれ相手へ供給するという補完関係にもあった。この相互供給体制はOEMとはいえ、当時の商社ブランド一眼レフのようなバッジ張り替えだけではなく、多少両社の既存シリーズに寄せたデザインに手直しされていた。
 

リコー MIRAI105(1988年)
 
 

例えばMIRAI105(1988年)は、先に挙げたMIRAIが「レンズの円柱形状を敢えて打ち消すようなデザインをした」と語られている通り、IZM300にあったレンズ鏡筒部の抉り込んだ形状がなく、右手グリップ側とフラットに繋げられており、それがMIRAIとのデザイン上の共通点にもなっている。また、背面部では機能ボタンをフタの中に隠したオリンパスと、全て表に出したリコーの考え方の違いも興味深い。ただ、MIRAI105のボタンは誤操作防止のため奥まって配置されており、表に出ているからといって決して操作がしやすいというわけではない。


AF一眼レフ市場を戦う手駒を持たなかった二社は、こうしてそれぞれのラインアップを引き入れることで「レンズ固定のほぼAF一眼レフの系統」と「ズームレンズ搭載高機能コンパクトカメラの系統」の両方のブリッジカメラを手に入れることになったのである。


……しかし、両社の協業は実質的にはこの二機種の相互供給で終わりを告げ、以降はそれぞれの路線を敷くことになった。先に述べた通り、オリンパスは1990年、よりAF一眼レフに寄せた自社製のL-1を投入。この時点で、この「レンズ固定のほぼAF一眼レフの系統」の主力はOEMのIZM400から自社製のL-1へと切り替わることが決定的となった。両者の価格も、IZM400の定価77,500円に対して、L-1は79,000円と、完全に重複するものであった。またオリンパスはこの時期IZM300のマイナーチェンジ機としてIZM330を発売しているが、これのリコー版が出ることもなかった。


一方のリコーはというと、1991年になりMIRAIシリーズの三機種目(そして結果として、これが最後)となったMIRAI Zoom3を発売している。しかしこのカメラ、その機構面から見るとMIRAIの後継機ではなく、どちらかと言えばMIRAI105(≒IZM300)の後継機的ポジションである。そのスペックは「35mm・実像式ズームファインダー・3倍ズーム・レンズシャッター・外部パッシブ(位相差)AF搭載カメラ」というものであり、これは要するにMIRAI105が担っていた、コンパクトカメラからステップアップしてきたカメラの系統であった。ただし、形状はMIRAI105を踏襲した横型フォルムでありながら、グリップはムービースタイルをやめ、より既存のカメラに近いホールディングに変更されている。どうもムービースタイルはあまり受け入れられなかったようである。


ちなみにこのカメラのレンズは35-105mm F3.8-7.5と、35mmスタートになって「完全3倍ズーム」になった。ただしテレ側の明るさはF7.5と、MIRAIのF5.6、MIRAI105のF6.0に比べても更に暗くなっている。これまでのブリッジカメラでは、概ねテレ側は焦点距離105mmないし135mmで明るさはF5.6+αといったところだったので、明確にレンズが暗くなったと言えるだろう。


もちろんコンパクトの上位を狙うブリッジカメラならではの要素として、このカメラにも多くの機能が搭載されている。撮影モードとして当時の流行でもあったオートズームモード(人物の上半身が適切な大きさに写ると判断された位置までズームする)、ピントを無限遠にロックし、スローシャッターも使える夜景・風景モード(通常時は1/4秒までだがこのモードのみ最大で2秒)、AFが動体追跡を行い1コマ/秒で連続撮影される連写モード、テレビ画面のリフレッシュレートを考慮したテレビ撮影モード、そしてストロボには赤目軽減発光の他に1コマ辺り4回のマルチ発光を行い分解撮影的な写真が撮れるマルチストロボモードがあった。ところでリコーのカメラにはテレビ撮影モードを載せている機種が多いような気がするが、当時はそんなに引き合いのある機能だったのだろうか。テレビの画面がブラウン管から液晶に変わった現在では知るべくもないが、ちょっと不思議なところである。


ちなみにこのカメラの特徴としては、レンズの脇にファインダー光学系がくっついており、ズーミング時にこのファインダー光学系も一緒にズーミングすることが挙げられる。このカメラは高倍率かつある程度マクロにも強い(最短0.7m)ことから、パララックスの少ない仕様として選択されたものだろう。AEはこのファインダー内から分光して測光するという凝ったものであった。なおテレコンも用意されていたのだが、このような仕組みから(初代MIRAIのような一眼レフ式ファインダー採用機のように)フィルター枠にレンズをねじ込むだけでは成立しないため、ファインダーレンズもセットで望遠化するこのカメラ専用形状のテレコンバーターとなっていた。意欲的なカメラではあったが、中古カメラ店においてもあまり見かけないカメラである。そして、MIRAIシリーズはこのカメラを最後に消滅してしまった。


ただ、ここまでにも述べてきた通り、最終機であるMIRAI Zoom3はかつての初代MIRAIのようなフォーカルプレーン一眼レフ式ではなく、OEMであるMIRAI105的なレンズシャッター&ビューファインダー機である。これは最初にIZM300を作り、次にIZM400のOEM供給を受けた後、Lシリーズを作り出したオリンパスとは真逆の動きである。つまり、オリンパスとリコーの協業関係はどちらも最終的に「自社で作ってなかった方」のカメラへと繋がったわけで、そういう意味では隣の芝生は青く見えていたということなのかもしれない。


ただ一つ違ったのは、このあとLシリーズが既存コンパクトカメラと並んで屋台骨を支える存在となったオリンパスに対して、リコーはこのMIRAI Zoom3以降はブリッジカメラからは手を引き、普通の形のコンパクトカメラへと回帰していったことである。最終的には「AF一眼レフの代わり」が欲しかったオリンパスと「高機能コンパクトカメラ」が欲しかったリコー、という対比ということになるのだろうか。


実際、リコーは続く1992年12月に普通の形の高機能3倍ズームコンパクトカメラであるマイポートズームワイドを発売するのだが、このレンズは38-105mm F3.6-5.5(かつ、内蔵ワイドコンバーターセット時28mm F8としても使用可能)と、スペック上はMIRAI Zoom3をも凌ぐものとなっていた。飛び道具的なコンバーター式とはいえワイド28mmを実装し、ズームのテレ端もMIRAI Zoom3より明るくなっている。


もちろんコンパクトカメラとしてはかなりゴツく、機能や価格面からは言わば「ブリッジカメラと普通の形のコンパクトのさらに中間」くらいの立ち位置ではあったのだが、少なくとも形はMIRAIに比べれば一般的なコンパクトカメラの形をキープしていた。筆者も現物を手に入れたが、確かに各部の凹凸が強く、独特の造形をしているが、しかしこれがブリッジカメラという印象はほとんど受けなかった。実際に諸資料を見ても、時期的な要因もあってかこのカメラをブリッジカメラとして捉えているものはほとんどない。やはり「ブリッジカメラから普通の形のカメラへの回帰の最中にある高機能コンパクトカメラ」という位置付けが適当かと思われる。つまり、この辺りまで来るとブリッジカメラがブリッジカメラたる由縁だった特殊な形状は、もはやその意義を無くしてしまったということだし、MIRAIの名が消えたのもまた必然だったのである。

 

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