2021年の春、桜の花が散ってしばらくたった頃、私は新宿御苑に向かった。
この年の花見も散々だった。一年前より悲惨だったかもしれない。一年前はまだコロナ禍が始まったばかりで、まだどこか呑気に構えていた気がする。その後のことなど想像していなかったからだ。勝手にコロナもインフルエンザと同じで暖かくなれば消えてしまうだろう、だから夏くらいには収束するだろうと都合のよいことを勝手に考えていた。だから「夏になったら飲み会しよう」なんて、当たり前に口にしていた。
そう考えていたのは私だけではなかったはずだ。少なくとも東京では、学校の学期始まりを「この際、秋入学にしよう」なんて声があちこちから聞こえていた。4月が新学期というのは世界的には少数派だ。だから国際的、スタンダードである秋の新学期をこの機会に取り入れようというものだ。休校などで失われた数ヶ月を取り戻すための発想だったはずだ。でもそれは数ヶ月では終わらなかった。今考えれば、あの声はなんだったのだろうか。希望的な幻を誰もが見ていたということになるのか。
2020年の春の段階で、私のまわりで一人だけ「どうやらこれは3年くらい続くらしいよ」と口にした人がいた。情報の出所は知らない。本当だかろうかと、私は半信半疑な気持ちで聞いていたが、結果としてそれはほぼ当たったことになる。
新宿御苑。ここは江戸時代、高遠藩内藤家の屋敷跡だった。内藤藩とは私の実家、長野県諏訪から近い。山を一つ隔てた向こう側。
小さい頃から「高遠藩の殿様は参勤交代でこの道を通って江戸へ向かった」と親や小学校の先生に散々聞かされてきた。家の前の、やっと車がすれ違えるほどの幅のなんてことのない旧道をゆく、遠き行列の姿が自然と目に浮かんだ。だからだろうか、私にとっては特別な存在であり続けた。
高遠藩は小さな藩ながら幕府の直轄地だったり、要職を務めるなどしたらしい。だから諏訪よりよっぽど山のなかで田舎なのだが、いまでも一目置かれている。ちなみに城址の桜はかなり有名だ。
私にとって新宿は始まりの地。同時に終点。おそらく私だけのものではない。例えばヨドバシカメラの創業者、三平ストアの創業者共に諏訪の出身だ。彼らはどちらも新宿で事業を始めた。その主軸はいまも新宿にある。秋葉原のヨドバシの方が大きくなっても私には関係ない。
諏訪に本社を置くセイコーエプソンが本店をけっして新宿から動かさないのも似たような理由からではないか。私は密かにそう考えている。セイコーエプソン本店は現在、JR新宿ミライナタワーに入っているらしい。そのビルはほぼJRの線路の上、つまり限りなく中央線の上に近い。象徴的だ。特急あずさ号に本店がすでに乗っているという解釈は飛躍すぎるか。ちなみにセイコーエプソンの本社はいまも諏訪にある。上諏訪駅から歩いて数分のところだ。本社と本店。この微妙は存在の差異、あるいは力関係があるのかないのか。いずれにしてもいまも中央線で結ばれている。
新宿御苑の南側には池が点在している。上の池、中の池、下の池。そもそもはここには渋谷川が流れていた。内藤家は敷地内のその川を堰き止めて、これらの池をつくった。自然の川を堰き止めて庭園にする例は、日本庭園ではけっして珍しくない。
ここは下の池。水面の端に奇妙な現象を見た。水面が微かに動いている。池の底から水が湧き出しているのだ。流れはすぐに公園との境の柵の向こう側へ消えていく。その先は小さな谷だ。江戸時代に開発された玉川上水の「余水吐跡」。武蔵野を流れてきた玉川上水はこの辺りから江戸城内へ入る。
始まり、終わる流れ。濃厚に漂う匂いと気配に向けてシャッターを押す。
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