ずっと以前から気になっている、東京の富士塚という存在。
上京した直後に歩く機会が多かった新宿と中野坂上のあいだ、青梅街道から少し入ったところにその存在があることを私は長いあいだ知らなかった。上京して40年近くも経つというのに。いや、考えてみれば上京してからの長さはあまり関係がないのかもしれない。そんなふうに考えてしまうこと自体が田舎者ということか。
成子天神社の参道は青梅街道に面している。それを進むと境内になり、社が見える。さらに進むと、真新しいマンションの影に隠れるようにそれは突然現れる。成子富士だ。資料によれば高さ12メートル。建物でいえば4階建ほどになる。本物の富士山の溶岩も加えてあるという。
「富士講」がもっとも盛りあがり、盛んだったのは江戸時代のはずだ。だから、てっきりその時代のものだと思い込んでいたのだが、大正9年(1920)につくられたという。そもそも「富士講」とは、江戸の庶民が隣近所などでお金を積み立てて、富士山に参拝登山する信仰のことを指す。その信仰の続きとして、富士山に行けない者のためや、近くにあればいつでも拝めるという目的のために富士塚が江戸のあちこちに作られたという経緯がある。
富士塚の背後にマンションがある。ガラス窓がいくつも並んでいる。こんな部屋に住みたいと素朴に思う。朝、カーテンを開けたら、富士塚が見えているって素敵だ。登り始める。すぐに浅間神社の社がある。手を合わす。さらに歩を進めると、険しさが増す。風景が明らに変わる。意外なほど高い。緊張する。途中にちいさな祠がある。また手を合わす。さらに登ると山頂に着く。狭い。ここにも祠がある。また真剣に手を合わせる。
振り向けば西新宿の高層ビル群。ちょっと時空がねじれた空間に身を置いている錯覚を覚える。ふと、あのビル群や背後のマンションなどなかった大正、昭和の初めにはかなり遠くからこの頂が望めたのだろう。あたかも本当の富士のように映ったのかもしれない。
下山する。地上まで降りると、すっと身体が軽くなる。この感覚、不思議だ。以前、都内でもっと小さな富士塚に登ったときも同じ感覚を覚えた。ひとつの儀式を体験し、終えたような感覚があるのだ。登る前と後では心持ちが大きく変っている。明らかで間違いない。大正の時代に生きていた人も同じことを感じたはずだ。きっとそのため存在する。
私は新宿西口の公園まで歩く。急にコーヒーを飲みたくなったからだ。あっという前に着く。
公園内にあるスターバックスコーヒーは盛況で、席はすべて埋まっている。それでも紙コップに入ったコーヒーを買って芝生の上に直接座って、それを啜る。
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