東京 / 異層

01 虎ノ門

2025/04/07
小林紀晴

2020年春、突然コロナ禍が始まって、いろんなことが突然止まった。そして計画していたいくつものことがあっさりなくなった。

 

当たり前にしていた撮影もまた困難となった。
 
その年の春にベトナムへ撮影に行く予定だった。さらには夏には中国へまた撮影に行こうとも考えていた。2019年の夏に上海と重慶に行ったので、さらに重慶から揚子江を遡った成都を次の旅の目的地と考えていた(コロナ患者が最初にでた武漢は重慶の下流)。

 

当初は数ヶ月したら、元に戻るでしょ、くらいに軽く考えていたが、どうやら、そんな簡単なことではないと理解するまで多くの時間はかからなかった。
 
半年以上を悶々と過ごした。どこにも撮影に行けないことが意外なほど応えた。

 

都民はできるだけ都外へ出ないように。

 

記憶ではそんな発言を都知事がしたはずだ。実際に私は律儀に一年間、一度も都内から外にでなかった。いま考えれば、横浜くらい遊びに行けばよかった。
 
だから東京を撮ることにした。出られないんだったら、ここを撮るしかない。そんな思いからだった。フィルムで撮ることした。大きな理由はないが、できるだけ手間がかかることをしたかったのだ。カメラはシノゴ、あるいは中判6×7。状況によって使い分けることにした。
 
最初に向かったのは虎ノ門。特別な理由はない。その地名が頭に浮かんだ。どうしてだろうか。シノゴのカメラと三脚を携えて週末に向かった。人があまりいない時がいいだろうという判断からだ。
 
30年近く前、地下鉄の虎ノ門駅からホテルオークラへ何度も歩いて行った。当時、私は業界新聞の新米カメラマンだった。取材がホテルオークラで行われることが度々あった。少し坂を登ったところ。記者会見とか、宴会場のパーティの席で政治家とか偉い人が挨拶する、誰かのインタビューが行われるからとか…それを撮るのが目的だった。誰を撮ったのか? 不思議なほど、ほとんど思い出せない。興味がなかったのだろう。
 
明確に憶えているのはその道すがら、写真専門のコマーシャルギャラリー、PGIがあったこと。時間が許す限り立ち寄った。当時、PGIがどのようなギャラリーであるかをまったく理解していなかった。どうしてこんなところに写真のギャラリーがあるのだろうか、どうしてただで観ていいのだろうか? と不思議に思いながらも、そこで過ごす束の間の時間が好きだった。いつも無人だった。建物はレンガの外装だったはずだ。100円を貯金箱みたいなものに入れると、簡単なチラシみたいなものを持って帰ってよかった。憶えているということは興味があったということだろう。
 
カメラを三脚にセットしてから歩きだした。風景がごっそり失われていることに気がついた。あれ、こんなところだっけ?

 

自分はどこに向かうはずだったのだろうか?

 

そんな気持ちに襲われた。

 

ただ、喪失感とは明らかに違う。どちらかというと、爽快感に近かった。

 

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