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東京麻布のPGIで楢橋朝子作品展「1961 They Were Standing There」(楢橋國武遺品のネガより)が開催

2025/04/14

©Asako Narahashi, courtesy of PGI

 

東京麻布のPGIで楢橋朝子作品展「1961 They Were Standing There」(楢橋國武遺品のネガより)が開催される。
 
楢橋朝子は、まだ学生だった1980年代半ばに写真家森山大道のワークショップ「フォトセッション」に参加する。卒業後の1989年、個展やグループ展含め、一年を通して約10回に及ぶ展覧会を開催。沖縄をはじめ、国内の各地へ撮影行を繰り返し、写真家として旺盛な活動を始める。当時は特に写真展という形にこだわり自身の作品を発表する場として、1990年にギャラリー「03FOTOS」をオープンした。
 
1997年には初めての写真集『NU・E』(蒼穹舎、1997)を出版。その後も、『フニクリフニクラ』(蒼穹舎、2003)を出版、2000年ごろより、のちに『half awake and half asleep in the water』(2007年)としてまとめられ、またその後も『Ever After』、「近づいては遠ざかる」などに続いていく、水の作品の撮影を始める。『half awake and half asleep in the water』は世界的にも大きな反響を受け、国内外での展示や出版へとつながった。
 
本展では、新作「1961 They Were Standing There」を展示する。「1961」の文字が示すように、1961年、楢橋の父・楢橋國武が訪れたソ連、東欧の写真を、昨年夏より作者がセレクトしプリント制作した作品だ。
 
 古いネガが時間の経過でどんどん劣化しているという話の中で、ダンボールにまとまって入っているアルバムがあると言う。よく聞けば、作者の撮影したものではなく、作者の父による、ライプチヒ(当時東ドイツ)で開催された国際印刷労働者会議と、モスクワ(ソビエト連邦)での世界労連への行程を写したネガの束だった。そこにはソ連、東ドイツやポーランド、中国などで撮影されたらしきたくさんのスナップ写真があった。街を行き交う人々、車窓からの風景、公園や広場、当時の車や建物、会議や交流会の様子、印刷所などありとあらゆる写真的光景が広がる。
 
撮影から63年後の2024年、楢橋が選び、制作したプリントには、時代やテクノロジー、国家や個人のアイデンティティの変化など、写真には写らないうつろいを描き出すかのように、美しく粒立つ粒子と、剥離や傷、ビネガーシンドロームの痕跡が描き出される。まるで抽象絵画と写真の間を泳ぐようなこうしたイメージは、撮影者の楢橋國武も、プリントをする楢橋も想像しなかった景色だ。本展ではゼラチンシルバープリント作品を展示する。

 

1961 They Were Standing There
 段ボール1箱にまとまって入っていることは知っていた。
以前一度だけ開けたことはあるが、古めかしいアルバムのところどころ変色したカバーに圧倒されて、申し訳程度に覗いただけで再び閉じてしまった。
 アルバムはカラー1冊、モノクロ7冊で、それぞれ10本から12本程度のベタとネガが交互に収められていた。カラーネガはほぼ透明のフィルムと化していて、画像を確認することは不可能だったし、カラーだったはずのベタはモノクロになっていた。モノクロの7冊はベタがきちんと貼られているので、ネガとの照合はやりやすい状態ではあったが、35ミリとハーフサイズが分けられていなくて、まぜこぜになっている。
 幼少期、父がソ連や東欧に行ったことがあるということは聞いていたし、熊のようになって戻ってきて子供たちが泣いたなどといういかにもなおヒレもついていたが、全く記憶にはない。
何度かの引越しや父の死後の大量の物の整理を潜り抜け、20年以上放置されていた段ボールをあらためなければと思い始めてからも、どれくらいの月日が経ったことか。家族のことはいつも最優先ではなく表に出すものでもなかったが、誰かがやらなければこのままただのゴミとして処分されるしかないことに思い至り、一度くらいは向き合ってみようとようやく思えたのだった。
最初はおそるおそる、じき淡々と。
ネガのスリーブを入れている紙のネガ袋はとても薄くてパリパリ音がしてすぐ破けてしまう。箱を開けたときから漂う酢酸っぽい匂いも思いのほか強かった。なにかいけないことをしている気になって気が引けるのだけど、ここでやらなければ何も進まないということはわかっていた。やってみる以外の選択肢はない。やるなら暗室作業ができるうち、つまり今のうち、ということで2024年夏、プリント作業に入る。
 筆まめな父は多くのノートや日記を残していた。ある日、遺品の整理を進めていて日記類を処分していたとき、一段と古めかしい大学ノートが出てきた。捨てる山の方へ放り投げて気付いた。1961と記されている。3冊あった。巻末には途中までだけれど、ご丁寧にネガ番号と何を撮った、どこで、日付なども書き込まれている。ペン、ペンタとつまりハーフカメラと35mmカメラの別も記されていた。これでアルバムとノートを照合すれば日付や場所がわかると喜んだのも束の間、アルバムがその順番になっていないのみならず、ちょっと怪しい情報などもあり一筋縄ではいかない。そういう問題は解決されないまま悩ましい状況は続くものの、これから先、少しずつ判明していくことを願っている。
 夏のあいだにとりあえず300枚くらいの粗焼きをしてみた。期せずして35ミリ、ハーフともに150枚程度になった。以後、8×10、11×14、小休止を挟み、見切れなかったベタを再度チェックして落穂拾いを繰り返す。ネガの状態が変化しているものもあり、まるで生きているかのようで、そのたびに小さな驚きや発見がある。焼きたいときに焼きたいものを焼く、というシンプルでベーシックなやり方が、このシリーズの場合とてもふさわしいと実感している。
 
楢橋朝子

 

  • ■展覧会情報
    楢橋朝子作品展「1961 They Were Standing There」(楢橋國武遺品のネガより)
    会期:2025年5月8日(木)~7月2日(水)
    時間:11:00~18:00
    休廊日:日曜日、祝日、展示のない土曜日
    会場:PGI
    住所:東京都港区東麻布2-3-4 TKBビル3F

 

■プロフィール
楢橋朝子(ならはし・あさこ)
東京生まれ。早稲田大学第二文学部美術専攻卒業。1989年に初に個展「春は曙」を開催。翌年、自作の発表の場としてギャラリー、03FOTOS(1990-2001)をオープンした。97年に初の写真集『NU・E』、2003年にはカラーのスナップショットによる写真集『フニクリフニクラ』を刊行。2000年ごろより、のちに『half awake and half asleep in the water』(2007年)としてまとめられ、またその後も『Ever After』、「近づいては遠ざかる」などに続いていく、水の作品の撮影を始める。『half awake and half asleep in the water』は出版後に大きな反響を呼び、以降、国内外問わず個展や企画展、写真集の出版などを軸に、インディペンデントな活動を続けている。日本写真協会新人賞(1998)、写真の会賞(2004)、東川賞国内作家賞(2008)を受賞。
 
楢橋國武(ならはし・くにたけ)1920-2002
群馬県桐生市出身。野間鉱業部を経て大日本雄弁会(講談社)入社。出版労協・出版労連委員長を27年務める。『明日の無い風景の中で』(腰塚国武、紅天社、1958年)
 
【関連リンク】
https://www.pgi.ac/exhibitions/10718

展覧会概要

出展者 楢橋朝子
会期 2025年5月8日(木)~7月2日(水)
会場名 PGI

※会期は変更や開催中止になる場合があります。各ギャラリーのWEBサイト等で最新の状況をご確認のうえ、お出かけください。

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