top スペシャルインタビュー『エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─ 』スピンオフ企画 ミノルタα-7000 開発者インタビュー第3回  α前史とマウント変更まで

『エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─ 』スピンオフ企画 ミノルタα-7000 開発者インタビュー第3回  α前史とマウント変更まで

2024/10/03
佐藤成夫

お話を伺った、小堀敏男さん(写真右)、井上義之さん(写真左)
 
 
α-7000の開発者インタビューの最終回をお届けする。今回はα-7000の発売以降の展開やその影響、そして操作系のコンセプトについてお聞きした。
 
──α-7000は1985年に無事発売されて、期待通りの大ヒットとなりました。その話題の中心はやはりAF性能の高さでした。
 
井上:世間ではまずAFが取り上げられがちでしたが、実はミノルタ初という部分が非常に多いカメラでもありました。オートローディング付きのワインダー内蔵であったりとか、液晶とボタン式の操作だったりとか。カメラ全体としてもイノベーティブなカメラだったと思います。
 
──当時ボタンオペレーションのカメラは他社からも出ていましたが、中上級機で全てボタン化したモデルはα-7000が初めてだったと思います。そして、これが以降のAFカメラのデザインや操作系のルーツにもなっていると考えています。ただ、X-700とデザインや操作系が全然違うことへの懸念などはなかったのでしょうか?
 
小堀:α-7000だけだと先進的過ぎて社内もユーザーも意見が分かれる可能性が高かったので、αシリーズは当初から三機種の展開を検討していました。α-9000はプロ仕様でトラディショナル、その代わりにα-7000は思い切って先進的なことをやるという分け方です。思い切って先進的なモデルを用意すれば初心者やプロ向けといった既存のくびきから逃れて広いユーザー層にアピール出来るし、各機種の個性がより発揮出来るという狙いもありました。
 
──そして三機種目であるα-5000は、α-7000の左肩ボタンにフタを付けて簡略化したようなカメラでした。初心者向きではありましたが、ポジションが掴みにくいカメラでもあったように感じます。

 

 

[ミノルタα-5000]
 
 
小堀:実は当初考えていた三機種目というのはα-5000のような小改良モデルではなくて、もっと簡単に使ってもらえるように、骨格から変えたものでした。後のα-3700のようなモデルだったんです。
 
──α-3000(?)のようなモデルが本来の想定で、α-5000は計画にはなかったと。
 
井上:α-5000は当時の為替(円高)対策モデルとして企画されました。
 
小堀:(α-3000は)手が足りなくて間に合わなかった。
 
(筆者私物のα-3700のクリアモデルを取り出す・ちなみに前回触れたように、こちらのモデルは底面のギアで巻き戻しの伝達が行われている。井上氏曰く第二世代ではこの部分の設計変更とモーターの変更によって高速化が図られているとのこと)
 
 

 


[α-3700i(クリアモデル) 小型化の為の設計が随所に見られる]
 
 
[α-3700iの底面は巻き戻しの為のギア列が見られる]
 
 
小堀:元々はこういう小さいのも作るつもりで動いていました。ただこの世代ではα-5000でお茶を濁すだけでも十分という判断になりました。
 
井上:世に出ていない裏話をもう少しすると、マウントの電子接点は非常にシンプルな仕組みで、部品点数が極限まで減らされています。この部分はα-7000からコニカミノルタの時代まで設計変更の必要がないほどでした。また同じ人が絞り制御のメカも設計しており、これも同様に最後まで使われ続けることになりました。ちなみにこれらのメカを設計した方がその後作ったカメラがTC-1です。
 
──あのTC-1ですか。私も持ってますがお気に入りのカメラの一つです。
 
井上:その方がα開発時の最初に設計したメカが後の世代のカメラまで生き残ってるんです。ちなみに電子接点は当時この寸法や配置、力のかかり方で問題ないかというのを私が検証していました。(当時の資料を広げる)開発当時はこうした部分も先例がないですから、こういう形で検証して問題ないという証拠を残しておきたかったんですね。
 
 
 
[当時の部品図]
 
 
 
──ちなみに少し話は戻ってしまうのですが、X-700の発売とα-7000の開発スタートがほぼ同時ということでしたが、X-700の上位モデルというのは検討されていたのでしょうか。例えばX-900のような……。
 
小堀:上位モデルも考えてはいたんですが、時期的にαとXの上位モデルを同時に開発することは難しかったので、αシリーズへ注力するために立ち消えになったかと思います。
 
──α-7000は空前の大ヒットを記録しましたが、当時のエピソードで印象に残っているものはありますでしょうか?
 
井上:ヒットの結果、増産に次ぐ増産で堺・狭山・豊川の工場が一体となって、日産5,000台を達成したのは本当に凄かったと思います。α-7000は最終的に250万台生産しました。
 
小堀:あるときα-7000を持って電車に乗っていたら、乗り合わせた子供がこっちをじっと見てきたことがありました。当初はわからなかったんですが、どうもα-7000を見たがってるようだったんですね。そうこうしているうちにちょうど同じ駅で降りたので、声を掛けて写真を撮ってみせて、住所も聞いて写真を送ってあげたことがありました。こういったことは過去経験したことがありませんでしたね。
 
──子供でもα-7000のことを知っていて、子供の憧れの存在になっていたというのは、α-7000が文字通り社会現象になっていたということですね。そんなカメラは後にも先にも存在しないのではないかと思います。
 
小堀:こうしてカメラをやってると、世界中でユーザーに出会うんですね。ロサンゼルスの空港でも入国時にこちらがミノルタの人間だと分かると「ミノルタ使ってるよ」と言ってくれたりと。それこそ世界中にファンがいるんです。
 
井上:アメリカではピークで一眼レフのシェア50%を超えました。ヨーロッパはそこまででもなかったんですがそれでも20数%、日本はその中間くらいでした。とにかくアメリカの勢いが凄かった。そして私も「このカメラは我々が作ったんだよ」というと初対面の方でもパッと打ち解けられた経験がありますね。
 
──製品という形に残るものがあって、ユーザーがそれを愛用してくれるというのはメーカーの醍醐味みたいなところがありますね。そして先ほど伺ったように、αシステムの根幹であるマウント変更に際してはアメリカ市場の声が非常に重要だった(インタビュー第一回参照)ということを考えると、このアメリカでの大ヒットというのはまさに狙い通りだったと。
 
──ちなみに、細かい話ですがα-7000の生産中に変更というか、例えばバージョン違いなどはあったのでしょうか?
 
井上:途中でコストダウンのために巻き上げ系のメカの材質を変えていて、重量が5gくらい軽くなっているというのはあります。ギアの材質が違うので二台並べて聞き比べれば音が違うかも……あとは部品のメッキを変えたとかこまごましたものはあるんですが、大きな変更はそのくらいですね。ちなみに量産前の段階では、部品発注時には(α-7000ではなく)X-700の新バージョン扱いの開発コードで部品を集めていました。秘匿の意味もあったんでしょうが、当時はそういうコードも後で変えられたのです。
 
──逆に言うと、大きな変更というのはほとんどなかったわけですね。先ほどの話(前回インタビュー参照)にもありましたが、やはり開発及び初期生産の段階での作り込みが上手くいっていたという証拠と言えるかもしれません。
 
小堀:先ほどの話以外にもα-7000に至るまでというのは色々あって、私が関わっていた部分だけでも例えば設計面ではX-700の電子部分はその後の電子化カメラを見据えてマイコンに慣れる意味でマルチファンクションバックを設定していてそれが活かされていたり、元々一眼レフを生産していなかった豊川工場でXEの立ち上げを担当した時に、協力工場に聞き取りを実施して加工上のネックになってる点を洗い出していたりと、色々やってきたことがその後のα-7000に繋がってるんですね。
 
井上:XEは唯一(当時のミノルタ一眼レフの主力工場だった)堺工場で生産することがなく、最初から最後まで豊川工場だけで生産されたカメラでした。α-7000の立ち上げ時に堺工場に加えて豊川工場でも生産することが決まった時に、(堺工場がメインだった為)豊川工場は一眼レフの製造経験が少なかったんですが、それでも昔XEの生産をしていたということでだいぶその経験値に助けられたのではないかと思います。
 
──ありがとうございます。やはりα-7000が突然出てきたわけではなく、それ以前からの積み重ねがあって、それがあのタイミングで花開いたということなんだということですね。もちろんそれはタイミングや当時のポジションも良かったのではないかと思いますが、こうして様々なエピソードを伺っていると、そのどれが欠けてもここまでの結果にはならなかったのではと感じました。
 
──ところで、最後に一つ聞いておきたいことがあります。このインタビューの元になったAF一眼レフの連載ではカメラの操作系に着目して論じているのですが、αシリーズの操作系について調べていると「多機能にしてシンプル」というキーワードをよく目にします。これはいつから始まって、どなたが考えられたものなのでしょうか。
 
小堀:これも私です。X-700から本格的にカメラ全体を統括するようになって、そのときから使い始めています。一眼レフは機動性があって多機能なのがウリだけど、それをスキルの違いに関わらず、みんなが使えるようにという意味を込めています。というのも、私が入社した当時の一眼レフカメラというのは機械を理解した人にしか使いこなせないようなものだったので、それは違うんじゃないかと思っていたのです。
 
──せっかく買ったカメラも使いこなせないなら意味がないし、かといって使いこなすまでが難しかったわけですね。ミノルタの一眼レフはα-7000以降も更なる自動化を進めていきますが、そういった自動化の根底にはこうしてカメラの側から寄り添っていくという考えもあったということですか。
 
小堀:そうです。スキルに関わらずシンプルな操作で写すことが誰にでも出来て、さらにその先を目指すのであればそれに応えることも出来る、そういうカメラを作りたかったのです。
 
──一眼レフの魅力は機動性にもありますが、それを最大限活かすための自動化というわけですね。そしてそれを上手く使ってもらうための「多機能にしてシンプル」であると。
 
小堀:X-700が出た当時のカメラは多機能化が行き着くところまで行ってしまったので、例えば当時のライバルであるAE-1と機能比較表を作ってもたいして差が出ないんですね。だから機能比較ではなく、我々はこういう考えでカメラを作ってますよというコンセプトをアピールしようという話になったのです。それが「多機能にしてシンプル」であり、その考え方はαシリーズでも続いていったのです。
 
──「多機能にしてシンプル」はAF一眼レフカメラの操作系の変化を語る上で重要なキーワードだと思っていたので、そのルーツが分かったことは非常に大きな収穫でした。もちろんそれ以外にも非常に貴重なお話を頂きありがとうございました。
 
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これまで全三回に渡って、AF一眼レフの時代を語る上で最重要機種の一つであるα-7000の開発者インタビューをお届けしてきた。α-7000は大ヒットを記録したがそれがカメラ業界内での出来事に留まらなかったことは、例えば1971年から現在まで続いている日経ヒット商品番付で、カメラの特定機種としては唯一横綱に選出されていることや、国立科学博物館による未来技術遺産に登録されていることからも明らかである。α-7000は文字通り「時代を変えた」カメラなのだ。
 
成功の要因はもちろんその当時のレベルを超えた圧倒的な革新性と性能にあったのだが、今回のインタビューで改めて感じたことは、これらが(消費者にとってはそう見えても)突然ポンと出てきたというわけではない、ということである。今回のインタビューではそうした前史や当時の状況、そして生産や販売面についてもなるべく触れたつもりだが、筆者としてはこうした部分が噛み合った結果としてα-7000は生まれ、それによって歴史に残るカメラになったのではないかと考えている。そして、そのα-7000の始まりが会社の上層部からの大号令の元に始まった……というわけではなく、今回インタビューに応じて頂いた小堀氏をはじめとした当時の中堅社員が自主的に始めたものだったということは痛快であり特筆すべき点だと思うのである。
 
最後になりましたが、AF一眼レフの歴史を残すという趣旨にご賛同頂き、このインタビューを快諾頂いた小堀氏、井上氏のご両名には改めて心からの感謝の意を表します。
 
 
 
 
小堀敏男(こぼり・としお)
1939年埼玉県生まれ。1963年にミノルタカメラ入社後、主にカメラのボディ開発設計を担当。αシステムの原型となる構想から初期αシリーズの立ち上げまでを担当した。その後は開発から転じ、事業企画、デザイン、知財等を歴任。
 
 
井上義之(いのうえ・よしゆき)
1959年福岡県生まれ。1982年ミノルタカメラ入社後、最初の業務としてα-7000の生産設計に携わる。以降1994年にAPSシステムカメラの開発設計へと転じるまでの間、一貫してαシリーズのボディ生産設計に従事した。
 
 

 

 

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