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『エアポケットの時代 ─80〜00年代の日本製カメラたち─ 』スピンオフ企画 ミノルタα-7000 開発者インタビュー第2回  α前史とマウント変更まで

2024/09/04
佐藤成夫

お話を伺った、小堀敏男さん(写真右)、井上義之さん(写真左)

 

 

 

第1回に引き続き、今回もミノルタα-7000の立ち上げ当時についてのインタビューをお届けする。
 
元ミノルタの設計者である小堀敏男氏(α-7000開発~発売当時はαシリーズ開発プロジェクトリーダ-を担当)と井上義之氏(α-7000~発売当時は工場にて生産設計を担当)のお二方である。お二人はどちらも平たく言えば設計者ではあるものの、その担当職務は異なっており、α-7000開発~発売当時に同じ職場にいたわけではなく、小堀氏は開発側から、井上氏は生産側からα-7000に関わっていたとのことである(以下敬称略)。

 

 

[ミノルタα-7000]

 

―α-7000登場前、AFセンサーといえばハネウェルのTCLモジュールでした。ミノルタもX-600では使っていますが、最終的にα-7000では不採用となっています(他社では初期の機種でTCLモジュールを使用したものもあった)。
 
 

[X-600 TCLモジュール採用のフォーカスエイド機]

 

小堀:これ(α-7000)を検討する時にハネウェルのTCLがあり、もちろん検討したんですが、性能面から結局は使えないという判断になり、最終的には自社設計となりました。

 

──最終的な生産は半導体メーカーが行うとして、未知の部分であるAFセンサーの仕様決め等をカメラメーカー主導で行うというのは、X-700から見てもさらに次元が違うと感じるので、これまでとは異なる苦労があったのではないでしょうか。

 

井上:実はX-700時代にもマイコンを起こしたりはしています。中を開けてみると(AF以外の電装面については)X-700とα-7000は結構似ており、AF以外、電子化はX-700である程度進んでいた部分は多かったですね。

 

小堀:そしてオートフォーカスの開発をやっていく中で特許を調べていると、特許の出願件数の面ではキヤノンがダントツでした。センサー自体はおそらく開発途中だったのだと思いますが、そうしたセンサーの完成を想定して応用した特許なども当時の段階で多数出願していました。各社ともそれに刺激を受けていたのではないかと思います。

 

──となると、当時α-7000を開発していた当時(特許等の出願で)外部から推し量れる範囲でだと、ライバルだと想定していたのはやはりキヤノンだったのでしょうか?

 

小堀:それともう一社、ニコンは三菱グループなんですよ。キヤノンは自前で電子関係の工場を持っていたし、ニコンは三菱グループ内の協力を得られたはずです。そういうわけで、当時の状況を俯瞰すると、やはり(トップ二社かつエレクトロニクスにも強い)この二社にAFで先に行かれるのではないかという懸念はありました。このαシステムのプロジェクトを進めていく中で、この二社がどう動くのかというのが大きな不安要素でした。

 

筆者注:この当時、キヤノンは既に半導体におけるTIとの協力体制やそれを元にした内製化を果たしており、またニコンはグループ内にこの時期半導体でも強かった三菱電機が存在した。いずれもIC・LSIやセンサーの開発・生産・調達といった面で有利な立場にあったといえるし、もちろん既存一眼レフのシェアとしてもトップ二社である。

 

──トップ二社がいずれもエレクトロニクスを手の内に納めている以上、いつAF機が出てもおかしくないということですね。これらのメーカーはこの時期展示会等にAF機を出してはいませんが、特許等を見る限り開発は確実にやっているわけで、それらを出し抜かなくてはならなかった。

 

小堀:ただ、これは後になって思うのですが、やはりトップ二社にとってはマウント問題が相当に悩ましかったのではないかと思います。レンズシステムは資産ですから、それによって判断が遅れたのではないかなと思います。

 

──やはりトップ二社はシステムとして完成されていて、ユーザー側の保有する資産も大きかったから、αマウントが出るまではここまで思い切ったことは出来なかったのではないかと。

 

小堀:そう思います。ただ、そうは言ってもやはり開発力がありますから、ミノルタが発売して一年後にはニコンが、二年後にはキヤノンが独自のシステムでやってきたわけです。

 

──設計開発から生産までのリードタイムを考えると、いくら各社共に開発は進めていたとはいえ、驚異的なスピードでキャッチアップしてきたように感じます。逆に言うと、当時のミノルタ内から見てキヤノン、ニコン以外のメーカーはどう思っていたのでしょうか? 展示会にAF機を出していたマミヤやコンタックスなどもあり、後者はボディ内AFでかなりαに近かったという評価もありますが。

 
 

 

[展示会で公開されたコンタックスAF 出典:写真工業2005年7月号]
 
 

 

 

[コンタックスAFについては展示会で公開されていないモデルも近年発見されている]
 
 
 


 [同様に展示会で公開されたマミヤZF 出典:モノマガジン別冊HOW TO カメラ]

 

 

小堀:展示会等で見ましたが、それを見てもあまり慌てなくて済んだという感想です。(他のメーカーもAF化に進んでいるということで)自分たちのやってることは概ね間違っていないんだなという確認が出来たかなと。当時の感覚では、一番警戒していたのはキヤノンやニコンでした。

 

──やはり一眼レフカメラというとキヤノン、ニコンがいて、その下にミノルタ・オリンパス・ペンタックス辺りが続いてこの辺りが上位グループ(2+3)、そう考えるとマミヤやコンタックスはそこよりもシェアは小さくて、展示会に実機を出してきたのはとにかく新しいモノを出して人目を引かなければならなかったと……いう事情もあるのかなと思います。

 

小堀:そういう面はあったでしょうね。彼らもまた上位のメーカーを出し抜くために必死だったことは間違いないと思います。

 

──そういう意味では、当時のミノルタはX-700がヒットしたこともあってすぐにAF機を出さなければならないという切迫した事情もなければ、その一方で上位二社ほどのマウント資産もない(?)わけで、αシステムのようなことをするには最適なポジションにいたと。

 

小堀:もっと下位にいて、とにかく何でもいいから他より先に出せと言われていたら大コケしていたかもしれない。ツキもあったんだと思いますね。

 

──お話を伺っていて、とにかくさまざまな面においてタイミングが大事だったということを感じます。そういう意味ではαシステム自体も完全な新規システムの立ち上げにしては、投入時期も含めて非常にタイムリーだった思います。あまりスポットが当たることは多くありませんが、生産等のスケジュールの面ではどのような工夫があったのでしょうか?

 

小堀:αシステムの生産が上手くいったのは、開発と工場の距離感が近かったというのが大きいです。堺工場は開発から道一本隔てただけで物理的にも近かったこともあり、設計のかなり早期の段階で生産技術部門の協力が得られるようになっていました。

 

井上:ちょうどこの時期に工場に入った為、立ち上げから生産までを体験していました。

 

小堀:それ以前は(開発や工場が)それぞれの立場を主張して意見が合わないこともあったのですが、αに関しては早くから協力体制を築いたことから非常に上手くいきました。開発中の段階から生産側にも情報を流すことで課題を予め潰すことが出来たんです。

 

井上:実際にトラブルもあって、当初開発側から回ってきた通りにフィルムの給送機構を作るとフィルムエンドが破れてしまうという問題が発覚して、機構を一度再設計しているんです。開発側から二人、工場の設計から先輩と私の二人の計四人で、二週間弱で給送の設計を全てやり直しました。フィルムを送っていって、最後それ以上送れなくなった時にモーターを上手く滑らせて力を逃がしてあげないとフィルムを引きちぎってしまうんです。

 

井上:また、巻き戻しの機構はα-7000の場合ファインダー側を通っている(筆者注:トップカバー内に鳥居のように伝達メカが組み込まれている)んですが、最初からこうだったわけじゃないんです。元々は底面を通そうとしていたのですが、それ以外のメカを設計して組み込んでいったら巻き戻しの伝達機構を入れるところがなくなってしまって、結局上を通すことになったんです。
 
 

[α-7000の透視図にはファインダー脇にギアとシャフトがある 出典:TRY US III]

 

 

小堀:この件は会議でも話題になりました。どうしてこんなことになったんだと(笑)

 

井上:α-7000では上を通して解決はしたものの、効率が悪いので後継機からはメカ設計を変更して底面を通すようになっています。なので巻き戻し時間がかなり短くなってるはずですよ。

 

小堀:このように細々したトラブルはあったものの、開発と工場側の協力で対処していくことが出来ました。

 

井上:生産面で言うと、本当はα-7000の発売予定は1984年の11月でした。ところがこの給送の問題や他の問題が発覚して二ヶ月延びたんです(筆者注:実際の発表は1985年1月23日)

 

小堀:この設計変更による発売延期の話とは別に、生産担当の専務から作ってすぐに売り出すのではなくて、工場である程度作り込んで品質レベルを確認してから発売しようという意見も出てそれに従ったので、当初開発側が想定していたスケジュールからすると結局半年くらい遅れることになりました。ただ、結果からすればそれで正解だったように思います。

 

──画期的な新製品が出て大ヒットするものの、初期不良や故障が多いとそれであっという間に熱が冷めてしまう……というケースは非常に多いのでまさしく英断ですね。一方で先の話からは他のメーカーがいつAF機を出してくるとも分からないわけで、この辺りは非常に難しい舵取りだったのではと感じます。ただ、結果として1985年の1月23日が来るまで、α-7000に匹敵するカメラは現れませんでした。

 

井上:でも発表から1~2ヶ月は販売はあんまり伸びなかったんですよ。世間も様子見だったというか。

 

小堀:1月の一般発表に先立って11月か12月頃に記者やプロカメラマンを集めて内覧会をやったんですが、当時手持ちなんて考えられなかった600mmが手持ちで使える(AFが実用になる)といった点がカメラをよく知る層からは非常に好評でした。

 

──α-7000が衝撃的だったのは、当時のAF機はほとんどがボディ一台とレンズ数本で始まってたのが、システムとしてレンズが広角から超望遠までフルラインで、ストロボ等の周辺機器も含めていきなりバーンと出てきたことにもあると思います。

 

井上:このα-7000のスタイルがこれ以降のマウント変更時の標準になったと思います。新しいシステムが出るのでレンズも一式揃えるという。

 

──例えばここで、αシステムがカメラ一台レンズ一本で出てきて、もちろんXシリーズも併売しますとなっていたとしたらここまでインパクトはなかったし、買う側も迷ってしまったのではないかと思います。

 

小堀:もしそうなっていたら成功しなかったと思います。大体それでは新システムに移行してもらうにしても説得力がありませんから。

 

井上:ただ、こうして垂直立ち上げだったのでレンズの担当者は相当大変だったようです(笑) αシステムは結果として成功しましたが、表に名前が出ていない方も含めて本当に色々な方が尽力していたと感じます。

 

──メーカーの顔である一眼レフシステムでここまでのフルモデルチェンジとなると、もうメーカーとしても総力戦だと思うのですが。

 

小堀:最初は2~3人で始めたものが、10人になり正式プロジェクト化し、そこでもノーとは言われなかったからそのまま進んだわけですが、当時自分が上の立場だったらやっぱり(マウント変更は)怖かったのではないかと思います。それをやることに必要なリソースがどれだけ必要かも分かっていますし、失敗したら……ですから。私たちはせいぜいクビになるくらいでしょうけど(笑)

 

──そういう意味では、まさしく大きな決断だったと思います。一方で現場の技術者としてはそういう話は一旦横に置いといて理想が追えたという面もあったのかなと。

 

小堀:開発を始めた頃というのはコンパクトでジャスピンコニカが出てきて、次は一眼レフだという機運もありましたし、実際に一眼レフでユーザーに提供出来る大きな価値というのもオートフォーカスくらいしか残ってなかった。小改良でお茶を濁すのか、思い切ってオートフォーカスをやるのか、そういう時期だったんです。もちろん一眼レフにはキヤノンとニコンという二大メーカーがいて、それらと戦わなければいけない。ズバ抜けたことをやる必要があったんです。
 
 

[スイスホテル南海 大阪(難波)のラウンジにて]
 
 
 


小堀敏男(こぼり・としお)
1939年埼玉県生まれ。1963年にミノルタカメラ入社後、主にカメラのボディ開発設計を担当。αシステムの原型となる構想から初期αシリーズの立ち上げまでを担当した。その後は開発から転じ、事業企画、デザイン、知財等を歴任。
 
 
 


井上義之(いのうえ・よしゆき)
1959年福岡県生まれ。1982年ミノルタカメラ入社後、最初の業務としてα-7000の生産設計に携わる。以降1994年にAPSシステムカメラの開発設計へと転じるまでの間、一貫してαシリーズのボディ生産設計に従事した。
 
[第3回に続く]

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