『写真、そして紡がれる物語』は銀座にあるキヤノンギャラリーがオープンして50年、品川にあるキヤノンギャラリーSが20年という節目を記念して刊行された記念誌である。メーカーが運営するギャラリーとしてニコンサロンと並ぶ歴史があるが、ニコンサロンが銀座から撤退し、他のメーカーもギャラリー運営を軒並み休止する中で、いまも現役で展開している。貴重な空間である。
写真評論家の調文明氏が「50年のあゆみ」として、キヤノンギャラリーの歴史と功績を振り返りつつ、その50年の間に写真が取り巻く状況をあわせて紹介している。その中で70年代はギャラリーの時代、80年代は美術館の時代、という記述がある。鋭い指摘に頭が下がる。
ニコンサロンが銀座にオープンしたのは1968年だった。5年後の1973年にキヤノンギャラリーが誕生したわけだが、この5年間は日本にとって時代が大きく動いた時期でもあった。このときメーカーがギャラリーという場を作ったことは、資本経済が文化を担うまでの余裕が生まれたということであろう。
カメラという光学機器は、それを作るメーカーの存在がなければ製造されない。写真という表現手段はつまり資本経済の上ではじめて成り立つともいえる。むろんカメラは道具でしかないわけで、商品として店頭に並べば、購買者との関係となる。そんなカメラとユーザーの図式を考えたとき、1976年に集中して誕生した自主ギャラリーが、これまでの写真表現に対するアンチテーゼとして反抗的な態度を示していても、カメラを買える以上は経済的な余裕がある人たちだったであろうことは事実だ。反体制を唱えるにも金はかかる。
2023年の現在、日本は1990年代から経済は疲弊したまま低空飛行状態にある。自主ギャラリーは潰れては誕生を繰り返すが、メーカーギャラリーはいまも残っている。維持するには資本が必要である。そして文化を支えるには金が必要だ。そう考えたとき、キヤノンギャラリーとは20世紀の資本主義社会が生んだサロン空間の象徴であったといえよう。
【関連リンク】
https://canon.jp/personal/experience/gallery/archive/monogatari-50th-sinagawa
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