top スペシャルインタビュー土田ヒロミ写真展「ウロボロスのゆくえ」インタビュー(後編)

土田ヒロミ写真展「ウロボロスのゆくえ」インタビュー(後編)

2021/12/30
打林 俊赤城耕一
著者近影/会場写真:赤城耕一
すこし、キャリアの初期についてもお話を伺いたいと思います。「自閉空間」という作品で1971年に第8回太陽賞を受賞されていますが、同時代に展開された「コンポラ写真」や『プロヴォーク』に通じる感性も感じます。この当時に土田さんが撮りたかったこと、あるいは目指していた方向性というのはどのようなものだったのでしょうか?

 

日吉の東京綜合写真専門学校に通っていた前後に撮った作品なので、「コンポラ」を意識していたということは大いにあると思いますが、実際には自分の中でも「コンポラ写真」を正確には理解できていなかった。ただ、僕自身の資質、出自みたいなものを考えたときに、田舎(福井)から出てきてサラリーマンをしながら写真を撮っている自分にコンプレックスや矛盾を常に感じていました。そうした自分自身をさらけ出していくような作業として撮ったものです。

 

土田ヒロミ『増補改訂 俗神』(冬青社・2004年)

 

土田ヒロミ『砂を数える 1976-1989』(冬青社・1990年)

 

その後、私は地方を撮り進めて「俗神」という作品をまとめますが「自閉空間」はそこに吸収されていきました。その後に続けて、都市化していく自分を意識しながら都市の群衆を撮り「砂を数える」としてまとめました。

 

2007年に東京都写真美術館で回顧展「土田ヒロミのニッポン」を開催されたとき、レセプションで荒木経惟さんが土田さんに「ドーン! おめでとう!」と言いながら体当たりしていたのを思い出したのですが、土田さん(1938年生)荒木さん(1940年生)くらいの世代はものすごく活躍している写真家が多いですよね。同時代の写真家との当時の関係について教えてください。

 

当時は付き合いはほとんどなかったですね。通っている学校は横浜(日吉)だったし、綜合写専は独特の旗印を掲げていたセクト意識高い学校でしたからね(笑)。 だから新宿界隈のみんなとはあんまり交わらなかったし、交わり難い雰囲気が校内にはありましたね。平日はサラリーマンしていたしね。

 

ポーラでサラリーマンをしながら東京綜合写真専門学校に通われていて相当忙しかったと思うのですが、その中でも毎週のように校長の重森弘淹先生に新しく撮った写真を見せに行っていたそうですね。

 

当時は土曜日も休みではなかったから、日曜日に撮りに行くことが多かったですね。在学中は「コンポラ写真」みたいな作風で撮っていて、僕は尊敬する写真家のロバート・フランクのスナップショットに影響されていました。「自閉空間」もその一つです。それを平日に会社の暗室で焼いて、授業に持って行き見てもらってました。重森先生は私を上手におだててくれるんだよ(笑)。それに乗せられました。 

 

いま手がけている作品について伺っていきたいのですが、広島には今でも毎年原爆投下の日に撮影に行ってらっしゃると聞きました。

 

ヒロシマは50年くらい撮り続けているんですけれど、まず人(被爆者)を撮って、それから風景(原爆遺跡)を撮って、資料館の資料(「ヒロシマ・コレクション」)を撮ってきた三部作があります。風景(「ヒロシマ・モニュメント」)は1979年に撮り始め100カ所ほど撮影したが、以降10年ごとに定点観測的に撮っていて、今は50カ所ほど定点撮影しています。一昨年に4回目の撮影を終えました。広島の都市空間を透視することで“ヒロシマという意識”が時代のなかで変容していく貌が、風景の変化の中に現れてくるのものなのか?がコンセプトです。本当は100年撮りたいけれど、その時106歳になりますから年齢的に難しい。最近考えていることですがデータやネガも全部提供するから、誰か若い人に引き継いでもらいたい。人から人へと繋ぐという表現があっても面白いと思います。スケッチや文章ではできないが、写真は光学的なカメラという客観的な記録表現だからそうしたことができると信じています。こんなことができるのが写真表現の面白いところだと思います。


土田さんの文章を読んでいると、よく、「10年後にまた撮りたい」「10年してまた撮ったら面白いだろうな」ということばを散見します。「ヒロシマ」や「フクシマ」もそうやって続けてきたものですし、日本人全体に関わる問題意識がテーマになっていますね。その中で、昨今は新型コロナというものがありますが…

 

新型コロナについては、まだ(表現として)どうしていいかわかっていません。ただ、「砂を数える」の頃は高度経済成長期でみんなが群れていた。それがバブル崩壊後、2000年以降には、人々が群衆の中で互いにソーシャル・ディスタンスをとっていく行為がみられました。それを捉えたのが「新・砂を数える」です。そしていまは新たなソーシャル・ディスタンス。どんどん人と人との距離感が広くなっているということには関心を覚えますし、不安なものを感じますけどね。そんな状況をどう表現していくか、まだ確固たるプランがあるわけではありません。

ただ、世界が反文明的な措置を取らざるを得なくなった現在の人間の精神・情緒を抽象的に表現していきたいと考えています。

 

©️土田ヒロミ
最後に、今後の活動についてお聞かせください。

 

イスラエルを撮ったシリーズは、2019年にもう一度撮りに行ってまとめる予定でいたけれど、取材できず、まとめられていません。もう一度行く機会を待つか、これまでの記録でまとめてしまうかは、新型コロナで渡航出来ない問題だけでなく、自分の年齢との兼ね合いも関わってきます。ベルリンも30年目の取材を終えて、まとめの途中で止まったままです。「フクシマ」は来年からあらためて継続的に取り組もうと思っています。世界が新型コロナになって休止の状況は、自分に一度立ち止まってゆっくり考えよという時間が与えられているのかもしれませんね。

 

©️土田ヒロミ

 

 

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