渋谷典子『竹の子族』がフランスのAREA BOOKSから刊行された。
1978〜1982年にかけて、東京原宿の歩行者天国に集まる若者たちを撮影している。1979年頃に出現した「竹の子族」と呼ばれる若者やロックンローラーたちが路上に集い、持参したカセットデッキから流れるロックやディスコミュージックを流しながら踊り、パフォーマンスを展開していた。
渋谷は「撮影していると、いつの間にか彼らのエネルギーに吸い込まれるようにシャッターを切っていた。それまで感じたことのない若者たちのエネルギーに魅せられていた」と述懐している。
ピーク時には竹の子族、ロックンローラー併せて7000人、ギャラリーが10万人ともいわれていた。なお「竹の子族」という名称は、当時原宿竹下通りにあった「ブティック竹の子」で販売していたハーレムスーツのような衣装を路上で踊る若者たちが着ていたことが由来だと、本書で渋谷が記している。
話題になっていた当時はマスコミからも注目され、路上パフォーマーの中から芸能界へデビューした人もいた。「いかに目立つかを競い合っていた。代々木公園横の道路一帯にはエネルギーが充満していた。」と、渋谷は振り返る。
1970年代後半の日本において学生運動はすでに過去のものとなり、しらけ世代を通過し、若者たちのエネルギー発散は当時のディスコブームもあって、ダンスや音楽がひとつの手段となっていた。海を挟んだ隣国の韓国では軍事政権下にあり、学生たちは権力と熾烈な闘争を繰り広げていた。だが日本においては政治の季節は下火となり、資本主義的な享楽をひと足早く甘受していたと、今ならそう展望することができる。
渋谷典子は1974年から75年頃にかけて、「Work Shop写真学校」の東松照明、森山大道の教室に通い、写真表現を学んだ。その後森山大道とWork Shopの生徒たちを中心にして作られた自主ギャラリー「Image Shop CAMP」に参加。ここで「竹の子族」の写真を展示していた。この写真が当時「アサヒカメラ」編集者の丹野清和の目に止まり、渋谷は映画の撮影現場の取材を依頼され、その後映画現場のスチールカメラを担うようになった。その当時のことは『映画の人びと』(バジリコ刊)で綴られている。
『竹の子族』は1970年代から80年代初頭にかけての東京原宿を舞台とした、若者たちの群像を写したドキュメントとして見ることもできる。その後日本はバブル経済を迎えるわけだが、その前哨ともいえる頃のエネルギー発散の場として見ると、まだ日本に活気があったと思えてくる。特に原色に彩られた衣装を着る人々の表情を見ると、希望に満ちていたことが伝わってくる。
渋谷典子『竹の子族』
発行:AREA BOOKS
ページ数:116
発行年:2024年
仕様:ハードカバー、17×24cm、カラー
テキスト:渋谷典子、森山大道
部数:350部
【関連リンク】
https://www.placartphoto.com/book/6071/takenokozoku-noriko_shibuya
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