top 本と展示写真集紹介嶋田篤人『そこ一里』

嶋田篤人『そこ一里』

2024/10/22
髙橋義隆

嶋田篤人『そこ一里』が刊行された。
 
2024年8月に目黒の金柑画廊で開催された写真展にあわせて制作された。そのときのテキストを以下に記載する。
 
嶋田篤人は、2011年から房総半島を撮影したゼラチンシルバープリントの作品を制作し続けている。彼にとって房総半島は故郷であり、名もなき場所で記号を持たない場所でもある。
 
そういった身近で遠い場所に彼は戻り続け、撮影し続けることで、取るに足らないであろう微細な変化や自身の変化をつぶさに観察し続ける。継続していく中で、変わらぬ土地にも変化が生まれ、だんだんと記録の要素も作品に内包されるようになった。物事は精進によって徐々に昇華されて、その些細な変化に目を向けることが日々を豊かにしてくれる。継続・観察・記録が彼の作品をどのように変容させていくのか、今後も撮り続けるこの作品群の行程を見続けたいと思わせる作品となっている。

 

繰り返し房総半島で写真を撮っている。写真を撮り始めた頃、私は身近な対象に目を向けたいと感じた。レンズを通して見慣れた場所と新たに出会おうと考えたのだ。低い山並みは雲に届かず、半島故この道は海で終わる。房総に生まれ育った私にとって、この象徴性に乏しい場所こそが見慣れた原風景だ。しかし見知っているはずの場所がレンズを通すことで遠い辺境のように立ち現れることがある。そしてその光景が暗室作業を経てプリントになる時、親しみ深くもよそよそしい郷愁に私はとらわれる。そうした新しい郷愁に心を震わせ、房総の旅を繰り返している。その道はまるでこの土地のお国柄言葉「そこ一里」※のようになかなか終着しない。いくら撮っても「まだ何か」という気がしてならず、後ろ髪を引かれる思いでまた撮影の旅へ向かう。一見同じように見えてもまるで小さな声のような変化がここにはある。耳をそばだて、明瞭な視線でゆっくりと歩く。そうある限り私にとっての房総半島はどこまでも果てなく続く道となる。そして私の撮った写真が存在することも、また私という存在や意識も、そうした変化と等価なモノとしてこの土地へ吸収されていくのであろう。ならばそれでよし。私は写真を通した世界観の移ろいに、確からしい寄る辺を求め撮影を繰り返す。
 
※房総で現地民に道のりを尋ねると「すぐそこ、あと一里だ」と答えるが、いくら行けどもその問答の繰り返しでなかなか到着しないこと。かつて浮世絵師の歌川広重は房総を旅し「菜の花や 今日も上総のそこ一里」と詠み、また夏目漱石は小説『こころ』で「我々は暑い日に射られながら、苦しい思いをして、上総のそこ一里に騙されながら、うんうん歩きました」と綴っている。
 
嶋田篤人

 

嶋田篤人『そこ一里』
私家版
サイズ:183mm×200mm
並製

 

【関連リンク】
https://kinkangallery.com/exhibitions/3490/

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