安掛正仁の『朧眼風土記』は優れた知性と高い感覚値で作り上げられた稀に見る傑作になっている。作者の写真はもちろんのこと、編集、デザイン、巻末に寄せられた戸田昌子氏のテキストも含め、すべてにおいてレベルが高く、完成されている。そのため、筆者のような教養のない凡人が何か言葉を寄せるのは、おこがましい限りであろう。ぜひ手に取って、その理由を実感していただきたい。
と、本作に関しては上記で充分であろうと思っているが、これでは文字数が少ないと指摘されたので、筆者が本作から得た駄文を蛇足ながら付く加えることをご容赦願いたい。
『朧眼風土記』では随所の子供が現れる。被写体である子供が作者とどのような関係性にあるのか、撮影のために要請されたモデルなのか、それはわからないし、この部分が作品の本質ではないだろうが、子供というイメージが本作におけるひとつの基調となっているような気がする。
民俗学において子供に関する事柄は多い。柳田国男の著作にも子供に関する聞き取りや記述も多い。「七つ前は神のうち」とも言われ、柳田も「七歳になるまで子どもは神様だといっている地方があります」という記述を1924年に残している。なぜ七歳なのか? 現在とは違い、栄養の不足や環境が整っていないため幼くして亡くなるという事実もあり、子供を育てることがある意味苛酷であったのであろう。同時に子供のもつ感受性に大人たちがおののくことがあったのかもしれない。現実的な面と神秘的な両面において、子供から計り知れない何かを大人は感じていたのかもしれない。
宮本常一が活動した1940年代以降になると、民俗学の調査においてカメラが用いられてくる。宮本が撮影した子供の姿を見ると、衒いのない様子が伺える。写真という具体的な表象を再現する装置は、フィールドワークに重点を置く民俗学において有効な道具であった。宮本が撮影した写真を見る限り、カメラとの相性の良さも感じる。
宮本は1982年に亡くなっているので、彼の記録したものは戦前、戦中を経て、戦後から高度経済成長に至る日本が対象となっている。カメラを使うようになったのは1950年代以降である。カメラという機械はリアルな実態を検証するには向いているが、見えないものを対象となると、それは不可能に近い。宮本の関心が生活やその周辺にある道具などであることを考えると、カメラでの記録は好都合であった。
柳田の場合、現地の人の言葉を収集することで、その場所のリアリティを求めた。たとえ見えない対象であっても、その人が語ることによってひとつの真実が派生する。『遠野物語』に代表されるように、語られた言葉が重要であった。
『朧眼風土記』の子供を見ると、柳田国男が幻視した子供の姿があるのではないかと感じてしまう。ここにいる子供は宮本が見つめてきた戦後高度成長の中で生きる形而下の光景でなく、柳田が収集した言葉の中から誕生したイメージのように感じる。むろん、これは筆者の勝手な解釈であり、なんとも程度の低い読解であろうと自分でも呆れる。つまり『朧眼風土記』は高い知性と優れた感受性が求められる作品集となっている。
- 安掛正仁『朧眼風土記』
- 価格:4,000円+税
発行:2023年11月23日
仕様:400部、A4変型、上製本、モノクロ78ページ、作品65点
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