本書の作りは中綴じ製本に変型折りのカバーで構成されている。写真はトリミングされ、誌面一杯に写真が印刷されている。各写真の撮影データはないが、これまで通り6×7カメラで撮影されたものであろう。フレームの中は街にある建物、電線、鉄骨、看板などで隙間なく構成されている。これもまた金村が撮ってきた作品の流れにあるが、なぜか飽きることなく見てしまう。すでに芸域に達しているということだろうか。
この作品集の中で、現像に失敗したフィルムを引き延ばした写真がある。現像のときに光が被ったのか、どういう経緯で発生したのかわからないが、常識的に見れば失敗したネガである。このページを見たとき、写真とは〈もの〉であることを再認識させられた。
金村は2019年に埼玉県立近代美術館で開催された「DECODE/出来事と記録─ポスト工業化写真の美術」で小松浩子と参加していたが、この展示は1960年代後半に勃興した「もの派」の作品、特に関根伸夫を中心に紹介していた。このとき金村はロール紙で印画したものを壁から床にかけて敷き、無造作な装いで展示されていた。このとき、ここにあるのはイメージが転写された紙の束、と直感した。イメージに実体はない。これを転写する装置があり、支持体となる物質が必要となる。道具や媒体を経由して写真はその姿を現す。だがこの写真を還元すれば、ただの紙であり、物質である。フィルムもまた物質であり、焼き付けられた像は転写されたものに過ぎない。すべては〈もの〉によって成り立っている。失敗したネガを印刷されたページを見たとき、ふとそんな考えがよぎった。
そしてこの本もまた〈もの〉に過ぎない。写真は存在しない、ただ〈もの〉がここにあるだけだと、言われているような気がしてならない。
- 金村修写真集『Tombstone Pile Driver』
- 発行:リブロアルテ
- 判型:280×210mm、32ページ+カバー、中綴じ
デザイン:伊野耕一- 予価:4,400円(税込)
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