top 本と展示写真集紹介『風景論以後』

『風景論以後』

2023/09/19
髙橋義隆

『風景論以後』は東京都写真美術館で開催されている同名展示の図録である。この図録および展示の前提にあるのは「風景論」だが、構成としては「以後」からはじまる。1章2000年代以降の笹岡啓子、遠藤麻衣子、2章1970年から2010年までの今井祝雄、清野賀子、崟利子らの写真を遡るように「以後」の様相を踏まえている。
 
そして3章《略称・連続射殺魔》、中平卓馬で「風景論」の本質に迫り、4章 風景論の起源として大島渚、若松孝二に至る。この「風景論」の理論的支柱にいたのが映画評論家の松田政男であった。そしてこの展示の中心に位置しているのが映画『略称・連続射殺魔』である。本作は足立正生を中心に岩淵進、野々村政行、山崎裕、佐々木守、松田政男が参加した。
 
『略称・連続射殺魔』は1968年に連続射殺犯として逮捕され、のち死刑になった永山則夫の足跡を辿った映画である。ナレーションは最小限に抑え、富樫雅彦(ドラム)、高木元輝(サックス)によるフリージャズがBGMとして流れる。そこで映し出されているのは永山も見たであろう風景が淡々と映し出されている。本作は1975年まで公開されなかったが、この映画制作と同時に松田は同時代の「風景」について思索を重ね、3冊目の著作となる『風景の死滅』に結実する。
 
『風景の死滅』に収録された「風景としての都市」の中で〈私たちは、アトジェとは逆に、まさに犯行現場を風景のように撮ったのである〉と書いている。ベンヤミンがアジェの写真を評したことを引き合いにして、『略称・連続射殺魔』では犯行現場を風景のように撮ったという。1960年代後半、日常の風景から戦争直後の混沌とした様相は消え、高度成長によって生まれた風景が日常となった。その中で永山則夫は警官から盗んだ拳銃でもって日常の風景を破壊した。松田は永山の足跡をたどりながら、資本主義によって覆われる風景の未来を感受したのかもしれない。そういう意味で2023年において「風景論」を検証することに意義はあるといえる。
 
4章で大島渚、若松孝二を取り上げているが、風景という観点でこの頃の両者の映画を取り上げるとすれば、個人的には大島なら『少年』、若松なら『狂走情死考』だろう。両作はロードムービーであり、同じ時期に合流しながら撮影していた作品だが、都市とは異なる風景の中で撮影しているという意味で、もうひとつの風景論を展開している。
 
最後に余談だが、筆者が古本屋で買った『風景の死滅』は松田の署名入りで、献本先はフランス文学者でありながら映画評論家として絶大な支持を得て、かつて東大の総長も務めた某氏であります。

 

 

 


 
【関連リンク】
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4538.html

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