2016年に刊行された『father』(青幻舎刊)で、金川晋吾は注目を集めた。失踪を繰り返す父親とその周辺で構成された写真集を見たとき、被写体である父親の表情に目を奪われた。撮られていることは承知しているはずなのに、自分が撮られているという自意識が伝わってこなく、かといって投げやりな態度でもない。その佇まいに静かな狂気が醸し出されている雰囲気があった。
『いなくなっていない父』(晶文社刊)は、被写体である父を中心にテキストで綴られた作品である。父親について触れることは、同時に著者自身についても自然と触れられ、これまでの来し方を綴ったエッセイとも言える。
父親を撮るために使用するカメラを35mmフィルム判と中判カメラで試して撮る経緯で発見したエピソードがあり、興味深かった。
「中判カメラで撮ったほうが、それまで私が父に対して感じていたのとは「ちがう」印象を与えてくれる写真になるように感じて、そこがよかった」
カメラは機械装置であり、仕組みを設定して押せば写るものである。だがその仕様は様々であり、同じカメラでも押す人によって見え方が変わることは、写真を経験した人であれば実感としてあるだろう。
金川もまた父を撮るにあたって、中判カメラの方が「それまでと違う」父親に感じられたとあるが、カメラを間に挟んでの息子から見た父の印象の変化は、たぶん誰にもわからない。撮影している当事者すら、その理由は説明できないかもしれない。ただ「感じた」としか言えないだろう。ここに写真行為の不思議さがある。
同時に撮る/撮られる、見る/見られるいう対立軸と関係性、その間に介在するカメラに託された〈なにものか〉について、というテーマが本書に見え隠れしている。そして、終章で介在する関係性についてさらっと述べられているが、ここ数年顕在化してきた多様性を含む人間の複雑さがこれからの著者の主題になるのかもしれないと感じた。
- 金川晋吾『いなくなっていない父』
- 発行:晶文社、2023年4
- 判型:四六判上製・266頁
価格:1,870円(本体1,700円)
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