酒井忠康は慶応大学を卒業後に神奈川近代美術館に勤務し、2004年から現在まで世田谷美術館の館長を務めている。この間に著作も多く発表し、初期には今はなき小沢書店から『海の鎖 描かれた維新』や、幕末から明治にかけて活動した絵師小林清親を取り上げた『時の橋 小林清親私考』などがある。最近の著作の中では、彼が師事した美術評論家である土方定一を取り上げた『芸術の海をゆく人 回想の土方定一』(みすず書房刊)が個人的には興味深かった。
酒井の書くものはアカデミックな評論という形式的な書き方でなく、エッセイの文体で書いている。『遅れた花 私の写真ノート』(クレヴィス刊)も彼独自の文体で、写真に関することをテーマにしたエッセイを集めた編集になっている。もしかしたら、酒井にとって写真を主題とした著作はこれが初めてかもしれない。
世田谷美術館でも写真家を取り上げた企画展は多く開催され、本書にはそれら展示の際に書かれたものも収められている。本書のタイトルはエドワード・スタイケン展の図録に掲載されたものだが、なぜ「遅れた花」という詩的なタイトルなのか、その理由はお読みいただきたいと思う。
また本書の中で、直接知己のあった写真家(濱谷浩、桑原甲子雄、酒井啓之、安斎重男など)や関係者(石原悦郎など)とのエピソードを交えて書いているが、スノビッシュな空気感はない。相手や作品との距離感を大事にしている人なのだろうと、読みながら感じ入った。
本書の中で個人的には、濱谷浩の『學藝書家』に掲載された小田嶽夫(小説家)を撮影した写真のエピソードに関心をひいた。降りしきる雪の中で小田が一人、一升瓶を持って佇むその姿は静かな印象を残す。この写真が口絵に掲載された小田の作品集『三笠山の月』(小沢書店刊)における酒井の体験も含めて書かれているのだが、これを読んだとき著者の人柄が垣間見えたような気がした。
- 『遅れた花 私の写真ノート』
発行:クレヴィス
価格:1,980円(税込)
判型:B6判
192ページ
https://crevis.co.jp/publishing/okuretahana/
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