著者であるカジャ・シルヴァーマンはペンシルヴァニア大学美術史学科で教えており、本書『アナロジーの奇跡 写真の歴史』は単著として9冊目だが、日本での翻訳はこれが初めてになる。
対象としているのは写真に限らず、映画や小説、詩なども取り上げ、現代思想や精神分析の言説を援用しつつ、作品分析を行う。
「アナロジー」とは類似、類比などを意味する。本書の主題については、翻訳を担当したひとりである蟻谷有亮氏のあとがきから引用しながら紹介したい。
まず本書の核にあるのは、〈写真をアナロジーとして、あるいはそれを媒介するものとして理解する視点である。ここではアナロジーとは、撮影された対象と写真とが類似している、ということを意味するのではない。〉という。
本書で意味するアナロジーとは〈「人為とは無縁で超越することもかなわない諸々の類似性」のことであり、それは「存在」あるいは彼女(註:シルヴァーマンのこと)が「世界」と呼ぶものを構築し「あらゆるものに等しい存在論的な重さを与えるような性質」を有する〉ことだという。
つまり〈アナロジーとしての写真は「世界がそれ自体を私たちに開示する―世界が存在し、そして永遠に私たちをこえたものとしてあり続けるということを証明する―主要な手段」であり、その世界が「アナロジーによって構築されていることを私たちに示し、そのなかに私たちの居場所があるのだと想像させてくれる」〉。
そして〈「私たち一人一人がアナロジーの広大な布置のなかの一交点」であることを理解し、世界だけでなくそこに帰属するあらゆる存在とつながり、「ただこの連結を通してのみ存在している」ことに思いいたる。つまりここでのアナロジー、そしてアナロジーとしての写真とは、類似を通して私たちと世界とを繋ぐ媒介として位置付けられている。〉
写真について語るとき、特定の一枚に対して書いているつもりでも、他の写真にもあてはまることがある。つまり、写真が内包する世界とは普遍的でもあるが、同時に類似性を伴っているともいえる。本書にはこうした写真を読み解く鍵が随所に記されている。
個人的に興味を惹かれたのは、第5章「私 あなた」だった。フロイトやラカンといった精神分析の言説を引用しながら、プルーストの作品の読み解きからはじまるが、そのプルーストの小説を原作としたシャンタル・アケルマン監督の映画「囚われの女」を対象としている。
アケルマンはベルギー人の女性映画監督だが、最近日本でもようやく作品が紹介され、アケルマンの作品に言及した日本語テクストはまだ少ない。そういう意味でも本書は写真論という範疇を越えたイメージ論として読むとなお興味深い。
- 『アナロジーの奇跡 写真の歴史』
- 著者:カジャ・シルヴァーマン
- 翻訳:松井裕美、礒谷有亮
- 出版:月曜社
- 46判上製352ページ/縦188mm×横130mm
- ISBN-10:4865031391
- 2022年6月刊行
- 本体価格3,600円(税別)
- http://getsuyosha.jp/product/978-4-86503-139-3/
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