©Nagasawa Shinichiro
京都のPURPLEで長沢慎一郎「Mary Had a Little Lamb」が開催される。
第49回木村伊兵衛写真賞を受賞した本シリーズ『Mary Had a Little Lamb』において、長沢慎一郎は小笠原諸島・父島に残る壕に遭遇し、そこに秘められた「核の記憶」をたどっている。
第二次世界大戦後、アメリカは「抑止力」という名のもと、世界各地に核兵器を配備した。そのひとつが父島にも存在していたとされ、米軍占領下の23年間、核弾頭が密かに貯蔵されていたという。その施設には、アメリカの童謡にちなんだ「Mary Had a Little Lamb(メリーさんの羊)」という名がつけられていた。
長沢慎一郎は2008年から父島に通い続け、前作『The Bonin Islanders』(2021年)では、占領時代に帰島を許された欧米系島民の子孫たちのアイデンティティを丁寧に記録した。本作はその延長線上にあり、彼らの証言やアメリカの研究者ロバート・ノリスらの調査を手がかりに、壕の内部にカメラを向けている。
白く塗装された密閉空間、銅板に覆われた壁、腐食した鉄扉。そこには「空」であるがゆえの重さがあり、写真は失われた時間と記憶を静かに、しかし圧倒的な存在感をもって伝えていく。
羊を見ることはできるか? : 長沢慎一郎 「Mary Had a Little Lamb」 について
横浜美術館 館長 蔵屋美香
写っているのは、打ち捨てられた倉庫のような空間です。ここはどこなのか、何を納めるための場所なのか。意図的に隠され、忘れ去られたものを写真により可視化して、これが何なのか見る人に考えてほしいと作家は言います。
「Mary Had a Little Lamb」(2024年)は、小笠原諸島(英名: Bonin Islands)の父島を舞台とする作品の第二部にあたります。第一部は、この島の「欧米系」と呼ばれる人びとを写した「The Bonin Islanders」(2021年)です。
父島は特異な歴史を持っています。1830年、無人だったこの島に最初に定住したのは、イギリス人、アメリカ人、デンマーク人、ハワイ先住民からなる20数名の移民団でした。1876年には日本の領土となり、6年後に全員が日本国籍を取得。第二次世界大戦中には、日本軍の要塞となったこの島から本土への疎開が行われ、「欧米系」島民は激しい差別を受けました。島は敗戦後の1946年からアメリカの統治下に置かれました。1968年の日本返還までの間、帰島を許されたのは、本土で生きることの困難を訴えた「欧米系」島民129名のみでした。
「The Bonin Islanders」に登場する多くは、統治時代の前後に生まれた人びとです。
アメリカ海軍発行の出生証明書や旅行許可証に「皮膚の色または人種」として記された「Bonin Islander」を自らの拠り所としています。日本人の住めない島に住むがアメリカ人ではない、という特殊な事情から設けられた区分です。アメリカ人ではないとされたものの、アメリカの大きな力に守られた統治下の22年は、コミュニティが傷ついたアイデンティティを立て直すための大事な期間だっただろうと想像します(1)。
この豊かな暮らしの背後で、アメリカは、1956年2月から65年12月までの10年間、父島に核弾頭とミサイルを配備していました。父島は、冷戦下のアメリカにとって戦略上重要な位置を占めていたのです(2)。長沢が撮影したのは、アメリカが旧日本軍の清瀬弾薬本庫を転用して核兵器を格納した「Kiyose vaults」の一部です。この事実は極秘とされましたが、島民の多くは気付いていました。「Mary had a little lamb (メリーさんの羊)」とは、ここにあった核弾頭の愛称です。
二つのシリーズにはこのように、端正な画面を眺めるだけでは読み取れない複雑な背景があります。自ら調べ、知ろうとしない限り、シリーズを十全に理解することはできません。しかしまた、「何が」写っているのかの知識の獲得は、それが「いかに」視覚化されているかに依拠します。つまり、写真が視覚にまつわる表現である以上、「何が」を知ることと同じぐらい、「いかに」について考える必要があるのです。
この点を写真集『Mary Had a Little Lamb』によって見てみましょう(3)。まず現れるのは、大きなヴォールト天井と、その下にある頑丈な扉がついた倉庫のような、いわば建物内の建物です。次いでこの倉庫を、壁一面に銅板が張られた内側から捉えたショットが出てきます。ここから先は、腐食が進む銅板やリベット、扉を覆うサビなどのクローズアップが続き、徐々に空間の全体像は捉えがたくなっていきます。
中には、天井の同じ場所を同じ構図で写した一対のイメージもあります。しかし一対は、色もディテールもかなり異なって見えます。60年前に放棄されたこの場所には電気がきていません。長沢は、その都度軍用のライトで必要な場所を照らしながら撮影を行いました。
つまり2枚の画像の差異は、その時の光のあたり具合と、カメラがそこからどんな情報を読み込んだかにより生じているのです。
最初に述べたように、長沢は、忘れられ、不可視になったものを可視化しようと試みます。しかし「Mary Had a Little Lamb」では、まず、画面に姿が残るのは光が当たった部分のみです。次に、その見え方は時々の光と機材によって変化します。加えて、カメラが腐食やサビなどの細部に寄るたび、光の外にある空間は闇に消えます。思えば父島のシリーズ全体がわたしたちに呼びかけるのは、見えないものが写真によって可視化されている、だから目を凝らそう、ということではないのかもしれません。むしろそれは、カメラが捉え、写真として見せるものを疑い、そこに写らなかったものを想像しようと静かに訴えかけるのです。
「Bonin Islanders」に写る人びとはみな、島の明るい陽光のもとでポーズを取っています。
背景には、星条旗のある庭の一角や、英語の店名を掲げた米軍住宅風の建物など、彼らにとって大切な場所があります。しかし、この画面の外には、長沢があえてフレームからはずした、アメリカ時代の痕跡が失われつつある父島の日常が広がっています。また、彼らのいる場所が光に照らされてくっきりと見えれば見えるほど、当然ながら、 その持続を裏で支えた核の存在は意識の闇に沈みます。「Mary Had a Little Lamb」で長沢は、他ならぬその闇にあかりを持ち込みました。しかしカメラが捉えたのは、一瞬の光に浮かび上がる幻のような画像でした。
童謡「メリーさんの羊」の日本語の歌詞で、いてはならない学校に入り込んだ羊は、先生に追い出され、どこかに姿を消します。父島に関する二つのシリーズは、わたしたちに、羊はどこへ行ったのか、考え続けるよううながします。多くが闇に隠され、見えるものもあやふやだからこそ、わたしたちは知りたい、見たいという欲望に駆られます。不可視の過去を見ようとすることは、未来を見ることにつながっています。
作品の合間には、海辺の光や椰子の木が挿入され、暗がりの中にかすかな余白を与えている。過去の出来事にとどまらず、今なお続く核の脅威とどのように向き合うかを問いかける本作は、私たちに見えない「空洞」としての歴史と、そこに宿る記憶を見つめ直すきっかけを与えてくれる。
- ■展覧会情報
長沢慎一郎「Mary Had a Little Lamb」
前期:2025年8月1日(金)〜8月10日(日)
後期:2025年8月16日(土)〜8月31日(日)
時間:13:00〜19:00
休廊日:月曜日、火曜日
会場:PURPLE
住所:京都市中京区式阿弥町122-1 式阿弥町ビル 3階
■プロフィール
長沢慎一郎(ながさわ・しんいちろう)
写真家。1977年東京都生まれ。
2001年、藤井保氏に師事。2006年に独立。
2008年より小笠原諸島·父島での撮影を開始。
2021年、写真集『The Bonin Islanders』(赤々舎)刊行。
2024年、『Mary Had a Little Lamb』(赤々舎)刊行。
2025年、第49回木村伊兵衛写真賞受賞。
【関連リンク】
https://purple-purple.com/exhibition/mary-had-a-little-lamb/
出展者 | 長沢慎一郎 |
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会期 | 2025年8月1日(金)〜8月31日(日) |
会場名 | PURPLE |
※会期は変更や開催中止になる場合があります。各ギャラリーのWEBサイト等で最新の状況をご確認のうえ、お出かけください。
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