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タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー / フィルムで中平卓馬 「氾濫」が開催

2024/08/08

中平卓馬「氾濫」より、1974年/2018年、発色現像方式印画、42 x 29 cm © Gen Nakahira

 

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー / フィルムで中平卓馬 「氾濫」が開催される。
 
タカ・イシイギャラリーで初となる本展では、1960年代半ばから2010年代初頭に至る中平の50年近くにおよぶ軌跡から、1970年代前半、カラーで都市や都市的な建築をテーマにした写真をより意識的に発表していた時期にフォーカスする。

 

都市そのものが生き物であるかのように、白昼の都市は日々増殖しつづける。それはわれわれの住む都市が少なくともその表層においては健康であり、健全な活動をつづけていることの証拠であろう。
 しかし、そういった都市の片隅にぽっかりと穴のあいたような一画がある。それは都市の裏側へ通じる降り口のようなものだ。いくぶん暗い〈負〉への階段の踊り場にたたずむと風が吹きあげてくる。ここからもぐっていったら一体どこへ通じるのだろうか。罠への戦慄と反世界への期待――「健康な都市」に倦んだわれわれの一瞬の幻想であろうか。
中平卓馬(『朝日ジャーナル』1972年11月17日号所収)

 

写真家として活動を始めた当初より、中平は消費社会のなかで増殖し続ける写真というメディアそのものを批評的に問い直していきた。60年代末から最初の写真集『来たるべき言葉のために』(1970年刊)に至る時期は、それまでの写真美学を否定するような過激な表現のモノクロ作品を主に雑誌メディアで多数発表。ブレたりボケたりすることによる曖昧な輪郭、粗い粒子や傾いた構図を特徴とするその作品は、新しい写真表現として注目され、戦後日本写真の大きな転換点を代表する作品でもある。しかし、1970年の安保改定や大阪万博を経て、停滞する反体制運動や社会変革運動の状況下で、中平は一見緩慢な鎮静に向かう社会にいかに亀裂を生じさせるかを思考するなか、1973年に「なぜ、植物図鑑か」を執筆。そのエッセイで自身の初期作品をあえて自ら否定することで、新たな転換へとさらなる模索を始める。今回展示する《氾濫》および同時期に都市を捉えた作品は、中平によるその一つの回答として見ることができる。
 
1974年に東京国立近代美術館での「15人の写真家」展へ出品した《氾濫》は樹脂ボードに直張りされたカラー写真48点からなる横方向6メートル、縦方向1.6メートルにおよぶインスタレーション作品。1969年から1974年の間に雑誌で発表された作品を含むその写真群は、いずれも全体性を欠いた都市の断片を被写体とし、脱中心的なアサンブラージュのように壁面構成されている。壁を這う蔦、路上のマンホール、ガラス越しにみる水槽の鮫、地下鉄構内など、情報と事物が氾濫する都市空間に潜む、暗部、亀裂や欠損、あるいは異物に触感的に眼差しが向けられている。本展では《氾濫》と併せて、都市論的作品として『アサヒカメラ』1975年1月号に発表された「都市・陥穽」のために撮影されたカラー写真、また1973年に『朝日ジャーナル』に掲載された地下鉄構内のモノクロ写真なども展示する。

 

  • ■展覧会情報
    中平卓馬 「氾濫」
    会期:2024年8月3日(土)~9月14日(土)
    時間:12:00〜19:00
    休廊日:日曜日、月曜日、祝日、夏季休廊:8月11日〜19日
    会場:タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー / フィルム
    住所:東京都港区六本木5-17-1 AXISビル2F

 

■プロフィール
中平卓馬(なかひら・たくま)
1938年東京生まれ。2015年逝去。1963年東京外国語大学スペイン科卒業後同年、現代評論社に入社し、総合雑誌『現代の眼』を通して写真家・東松照明と出会う。東松の構成・文による連載企画「I am a king」の最終回には「柚木明」名で初めて写真を発表。1965年に同社を退職し写真家、批評家として活動を始める。日本写真家協会主催の「写真100年 日本人による写真表現の歴史」展(1968年)の編纂作業に携わる一方、『現代の眼』『朝日ジャーナル』『アサヒグラフ』などに写真を発表。1966年に森山大道と共同事務所を開設。1968年に評論家の多木浩二、詩人の岡田隆彦、写真家の高梨豊と写真とエッセイ・詩篇による写真同人誌『Provoke』を創刊(2号から森山大道が参加、3号で終刊)。「思想のための挑発的資料」とサブタイトルが付され、現実の断片から新しい言葉や思想を喚起させるような写真を提示していくことがマニフェストとして掲げられた。『Provoke』時代の作品は「アレ・ブレ・ボケ」と称されて流行の写真手法の一つと受け取られ、広告写真にまで採用され消費されることにもなるが、後に中平自身当時を回想し、ブレやボケは様式などではなく「たまたまそうなっただけで」、自分にとっては「正確な像よりはるかに肉眼に近いもの」であり、「一枚の写真とは、一回限りの生を日づけとともに生きるその生の痕跡」にすぎないところにリアリティーを求めた結果であったと述べている。1970年、第13回日本写真批評家協会賞新人賞を受賞、同年初期モノクロ作品をまとめた写真集『来たるべき言葉のために」を刊行。1971年には第7回パリ青年ビエンナーレに参加、現地に赴いてパリの街で目にしたあらゆる事象を無差別に撮影し、その日のうちに会場に貼り巡らせるという実験的なインスタレーション作品「サーキュレーション 日付、場所、イベント」を発表。1973年には評論集『なぜ、植物図鑑か』の巻頭エッセイで、自ら初期の作品を情緒的な表現であったと鋭く批判、この頃逗子海岸にて過去に発表した主要作を含むネガフィルムとプリントを焼却した。1974年の「15人の写真家」展では「氾濫」を出品。その後、奄美、吐噶喇で撮影した作品を発表して南島の文化的・地域的境界に目を向け、篠山紀信の写真と中平の文章による「決闘写真論」を『アサヒカメラ』誌上で連載開始、マルセイユではコンセプチュアルな作品「デカラージュ」を現地制作し、また『プレイボーイ日本語版』では中上健次の連載に写真家として参加し欧州とアジアの旅に同行するなど、70年代後半の模索と活動は多岐に及んでいたが、『決闘写真論』が単行本として刊行された1977年、病に倒れ記憶と認知機能の多くを失う。翌年、妻子と共に療養を兼ねて沖縄に旅行、そのときの撮影で、写真を撮ることが自らの原点であると自覚。以降、日々の撮影が日課となり撮影行為は淡々と継続されていった。1970年代末から1980年代末にかけての10年あまりの撮影はモノクロが主で、友人の助けを得ながら自らプリントを自宅で制作。1983年に復帰後初となる写真集『新たなる凝視』を刊行。1989年には『Adieu à X』を刊行し、翌年同写真集は第2回写真の会賞を受賞。1990年代以降はカラーに移行し、縦位置の構図による独特のスタイルが徐々に確立されていく。1997年にカラー作品による初めての個展「日常 中平卓馬の現在」(中京大学アートギャラリーC・スクエア)を開催、2点を一組として展示された。2002年には『hysteric Six NAKAHIRA Takuma』を刊行。2003年には、初めての大規模な回顧展である「中平卓馬 原点復帰―横浜」(横浜美術館、2003年)が開催され、あらためて活動が注目される。2011年、「Documentary」を個展および写真集として発表、同年には280点余の作品を展示した個展「キリカエ」が大阪で開催される。2009年から2011年にかけて何度か赴いた沖縄で撮影された写真による『沖縄』が没後の2018年に刊行。2024年、美術館における二度目の回顧展となる「中平卓馬 火―氾濫」が東京国立近代美術館で開催された。
 
【関連リンク】
https://www.takaishiigallery.com/jp/archives/32646/

展覧会概要

出展者 中平卓馬
会期 2024年8月3日(土)~9月14日(土)
会場名 タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー / フィルム

※会期は変更や開催中止になる場合があります。各ギャラリーのWEBサイト等で最新の状況をご確認のうえ、お出かけください。

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